第15話 知らない許嫁
原作『BABEL』において、山縣アオイはもっとも攻略難易度の高いヒロインだと言われていた。
理由は2つほどある。
まず、『BABEL』において各ヒロインの好感度を上げるには会話で好感度の上がる選択肢を選ぶか、行動選択において相手の喜びそうな行動をする必要があるのだが、アオイの場合は何をすれば好感度が上がるのか、非常にわかりづらい。
というか、変に媚びた選択をすると逆にキレてくることさえある。なので、プレイヤーはたいてい1週目では他のヒロインの攻略を優先する。
もう一つの理由は、アオイの個別ルートの展開が非常にハードである点。
ラスボスでもある完全変生したアオイを筆頭として、彼女が変生する前に介錯しようとするライコウ流の刺客たちや彼女の血の匂いにひかれて集まった上位の鬼たち。すべてが強力な異能を持ち、主人公『土御門輪』も戦いを経るごとにボロボロになっていった。
まあ、そこがアオイルートの最高な点の一つでもある。
鬼へと変生し始め、世界中が敵になってしまった彼女。そんな彼女の手を主人公は迷いなく取る。異界探索者としてそれまで積み上げてきたすべてを裏切って、アオイと生きることを主人公は選ぶのだ。
選択に伴う葛藤、苦悩、愛。何もかもがオレの胸を打った。それまで一種の舞台装置であった主人公が読者であるオレ達とリンクしていく、その瞬間の感動、胸が苦しくなるほどの憧れは今もオレの心に焼き付いている。
それはともかくとして、重要なのは山縣アオイは攻略難度の高いヒロインであるということだ。
気難しいし、プライド高すぎだし、正直なところ性格もいいとは言い難い。実際、アオイが主人公に心を許してくれるのは物語も終盤になってからだ。
万が一にも、特に接点のない
しかし、現実は
「――っ動かないでください。その、変なところに当たります」
「は、はい」
耳元でささやかれて、全力で縮こまる。それでも接触部に伝わる熱と柔らかさは減ってくれない。
オレは今はあの山縣アオイに抱き枕にされてる。長い手足が全身に巻き付いて、がんじがらめにされている。
目覚めた時にはこうなっていた。しかも、動いたり、離れようとするたびに怒られる。
なんで……? なんでこうなってるの……?
なんで、オレが山縣アオイに抱き枕にされてるんだ……?
てか、感触的に、ワイシャツは着ているけど下着付けてないですよね? どういうつもりなんですか?
実際、動くたびに何とは言わないが柔らかい中に固いものがあたる……深くは考えないようにしよう……、
「あの、これは、どういう」
「……それで、どうですか?」
無視された。さっきから話を全然聞いてもらえない。アオイもだいぶテンパってるらしい。
「どうって……なにが?」
「……それはわかるでしょう。こうして、わざわざ添い寝をしているんですから」
「……なるほど」
いや、なるほどじゃないが。
そもそもこれは添い寝というより絡めとられてるって感じだし、添い寝だとしてもアオイがわざわざ下着を脱いでいる意味も分からない。
えと、なに、そういうこと? 『BABEL』のそういうシーンって後半に固まってたよな? まさかオレが寝てる間に事が済んだのか? 事後なのか? いや、でも、オレは服着てるし、ズボン履いてるし、大丈夫だよな、オレのっていうか、オレとアオイの貞操。
「それで、どうですか?」
どうって、どう答えろと? 気持ちいいって答えていいの? でも、貴方、オレのこと嫌ってたはずですよね? 少しでも不埒なこと言ったら首を刎ねますよね?
ああ、わかった。これは夢だ。それか死んでるんだ、じゃないとこんなことにはならないだろ。なら、正直に答えても大丈夫だ、多分。
「正直、辛抱たまらない」
あと、今気づいたけど夢じゃない。制服のズボンが結構ぴちぴちしているせいで、股間が痛い。ズボンを脱ぎたいが脱いだら終わる、色々と。脱がなくても終わりかもしれないけど。
「……私はちゃんと魔力が回復しているか聞いたんですが、まあ、いいでしょう。不快ではありませんし」
……えと、回復ってことはあれか? 接触回復か。
つまり、手を握ったり、今みたいに添い寝をすることによって相手に魔力を渡すことで回復を図る。
ちなみに、接触回復の中でもっとも効率が良いのはいわゆる性行為だ。なんとも18禁ゲームらしい設定だが、魔術というのは性と切り離せないものではあるから、まあ、仕方がないのかもしれない。
下着を外していることも一応説明はつく。布一枚とはいえできるだけ肌に近しい方が回復効率はいい。合理的だ。
……別に残念とか思ってないが? オレは原作キャラを尊重する光のオタクなんだが?
というか、そもそもなんでアオイはこんなことをしているんだ? ちゃんと原作を守れ、原作キャラ。
「その、聞きたいんだが、なんでこんなことを……?」
「…………私は貴方に借りがあります。命の借りには、命で返すのが義というもの。なので、こうして、その貞操を預けてます」
……いや、武士かよ。でも、ようやく事情が呑み込めた。
オレが気絶している間に誰かがアオイにあの異界でオレが変生した彼女を命がけで止めたということを話したのだろう。
それで、そのことを恩義に感じた彼女は魔力が枯渇して死にかけているオレに接触回復を施した、というのが真相だろう。
「でも、学園には回復薬が常備してあるはずだろ? オレはそっちでも……」
「…………いえ、在庫切れだそうです。死神がそう言ってましたので」
あの似非教師め。絶対嘘だろ。学校の貯蓄を使い果たすような事件は最近起きてないはずだ。
「……それとも、私のような女に共寝されるのは迷惑ですか?」
アオイにしては弱弱しく、怯えたような声。
やばい、死ぬ。男としても、オタクとしてもこんなギャップを見せられて耐えられるはずがない。気付いた時には首をぶんぶん横に振っていた。
「……私のことは気にせず寝てください。その、こうしているのは間違いなく、私の意志ですので」
「そ、そうか」
「では、そのように。ええ、貴方の『体』は思ったより大きくて、安心します」
げ、原作のセリフ!? それ、原作の終盤で主人公に愛を告白するときのアレですよね!? アオイルート、チャプター13のシーン5ですよね!? あの主人公『土御門輪』の背中におぶさったときのあれですよね!? 背中が体になってるけど、あれですよね!? オレあそこで泣きすぎてティッシュ箱一つ使い切ったんですけど!
なんでこんなところでオレなんかにそれ出すんですか!? 録音していいですか!?
……いかん。オタクが暴走した。
あの山縣アオイが
だからこれは、愛の告白じゃない。似たことを言ったのはそれだけ彼女にとってオレのやったことは重かったというだけだ。
「………………探索での件なら気にしないでくれ。オレはオレで義務を果たしただけだ」
「……ならば、こうするのも私の義務です。それに、貴方には、いろいろ、酷い態度をとりましたし」
お詫びみたいなノリでさらに体を押し付けてくるアオイ。別に気にしてないという暇もない。直情径行のアオイらしい、口より先に手が出るタイプだ。
今度は側頭部に当たっている。思わず鼻の下が伸びそうになるが、どうにか真顔を保った。
「じゃあ、これで貸し借りはなしだ。オレたちの関係は今まで通り、それでいいよな?」
貸し借りなし、これは重要なことだ。借りを理由に何度もこういう目にあってたらオレの理性が崩壊する。
「……わかりました。では、しばらく、このままでいます。貴方は動かないように」
そのままアオイはオレの頭を強く抱く。なにが『では』なのかわからないが、それどころじゃないほどに心地いい。
他人が傍にいる安心感と心地よさに思わず母性さえ感じそうになるが、最後の
特定のヒロインの好感度を稼いでルート分岐した場合、
時報の名は伊達じゃない。死亡フラグが一気に襲い掛かってくる。一応、その時に備えてはいるが、絶対今じゃない。
「…………ありがとうございます。私を、『人』でいさせてくれて」
……くそぉ、そのセリフを言われたら何も言えないじゃないか。だって、泣いてたもんなぁ、原作でも『まだ人でいたい』って。
思い出したら、涙が出てきた。アオイに見られないようにそっと拭って、オレはようやく観念したのだった。
◇
それから数時間後、深夜に差し掛かるころ、オレは解放された。魔力が回復したと三度訴えたら、しぶしぶアオイはオレを離した。
……断じてオレは山縣アオイに好かれていない。虚しい自己洗脳だとしても、そうしないと生存本能とオタク心と男としての自我が衝突してオレは消滅する。世の中には気付いてないと自分に言い聞かせないといけないこともあるのだ。
「あら、お帰りなさいませ。お兄様」
「うん。戻った」
オレが屋敷に戻ると、彩芽はいつも通り迎えてくれた。
死に掛けた後だし、アオイとの一件の後だからか、みょうに安心できる。家族ってありがたいね
「…………貞操は、まだ無事なようですね。大分危機にはあったようですが……安心しました」
「…………なんでわかるんだよ。お前、千里眼でも覚醒したのか?」
「いえ、勘です。ちなみに、彩芽もまだ無事です」
「その方が怖えよ。あと、それをオレに報告してどうしたいんだよ」
「言わせる気ですか、お兄様の変態」
いつものやり取りで日常に帰ってきた感があるが、これに落ち着いてる自分に愕然となる。すっかり、この世界に馴染んだな。
「……もう少し心配してくれてもいいんじゃないか? オレ、一応死に掛けたんだけど」
「そちらはもうやめました。キリがないので」
と言いつつ、こんな時間まで待っててくれるのが彩芽。毎回先に寝ろと言っているのに聞いた試しがなく、温かいご飯と共に待ってくれているのだ。オレにはもったいないくらいにできた妹だ。
「ですが、この彩芽、お兄様と命を共にと誓っておりますので、まだその時ではないと確信しておりました」
「……重いぞ」
「女の情とはそういうものです」
受け入れなさい、とほほ笑む彩芽。それだとオレが死んだら後追いするって感じになっちゃうんだが……いや、若死にする気は毛頭ないんだけども。
「それより、お客様がいらしています。食堂でお待ちです」
「客? 誰? 予定なんかあったか?」
「急にいらしたので。それと、いらしたのはお兄様の『許嫁』様です。いわば本妻ですね。彩芽は愛人でも構いませんが、童貞はぜひ彩芽が頂き――」
「……童貞は置いといて、許嫁ってなんだよ?」
初耳なんだけど、オレ。そんなのいたの? オレの心の内を読んだのか、彩芽はこう続けた。
「ええ。お兄様が修行でご不在の間にご本家で取り決められたものです。お見合いの予定もあると、報告はしました。ただ、本家からの取次なんてどうせロクなもんじゃないんだからと無視なさったのは、お兄様です。まあ、彩芽も一度しか報告しませんでしたけど」
「……いや、何度も言えよ」
「いやですけど?」
そうだ、忘れてたがこういう妹だった。オレが小学校でもらった義理チョコ全部勝手に食べてたもんな、お前な。
「じゃあ、大分怒ってるだろ、向こうは」
「はい。先方もそれでお怒りだったようで」
ふーむ、許嫁か。原作の蘆屋道孝にもいたのだろうか? まあ、名家と言われるだけあって、こういうこともあるか。
オレに許嫁がいるなんて事態は想定してなかったが、今のオレのへろへろな姿を見れば向こうの方から破談にしてくるだろう。それで、ダメなら裸踊りでもするか。先方には悪いが、本家の用意した許嫁なんていつ後ろから刺されるかわからない。
「では、お会いになりますか?」
「そうだな。せいぜい幻滅されるとしよう」
ガッツポーズをした彩芽に連れられて食堂に入る。扉を開くと、その先にいたのは――、
「さっきぶりですね、道孝。先に食事を頂いていますが、構いませんね」
「はい?」
山縣アオイだった。当たり前のような顔をしてオレの好物のグラタンを食べていた。
彩芽は許嫁が食堂で待っていると言っていた。
食堂には彩芽がいた。
つまり、アオイがオレの許嫁。
……マジで? 正直信じられないが、そう考えるとすべてが繋がる。アオイが怒ってた理由も明白だ。
オレがアオイの許嫁とすると、彼女視点でのオレは、自分とのお見合いをすっぽかし、学園で出会ってもそのことを詫びもせず、何事もなかったかのような顔をしていたということになる。
そりゃ、怒るわ。え? でも、オレがアオイの許嫁? なんで? 原作が息してないんだけど、オレのせいなのか……これ……。
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