第14話 譲れない一線
オレは『BABEL』の登場人物の中で、一番山縣アオイが好きだった。というか、今でも好きだ。見た目も、声も、話し方も何もかもが好きだ。
だが、オレの中で山縣アオイを特別たらしめているのは外見ではなく内面、もっと正確に言えば彼女の背負う運命だ。
その運命が今、オレの前にある。歪にゆがめられた形で顕現しようとしている。
アオイの発する熱で周囲の草が燃え、川の水が泡立つ。立ち昇る魔力は可視化され、光の柱となっていた。もし、力の全てが解放されればこの河原など容易く吹き飛ぶ。
「――リーズ! すぐに扉まで戻れ! 先生を呼んで来い!」
「え? 何が――」
「いいから走れ! お前もだ、輪! リーズを護衛しろ!」
「でも、蘆屋君は!?」
「オレは残る! 邪魔だ! さっさと行け!」
考えるより先に指示を飛ばしていた。そうしなければオレも含めてこの場にいる全員が死ぬ、その確信があった。
「だけど――」
「行け! 足手まといだ!」
オレに怒鳴られてようやく二人は走り出す。本当ならオレも一緒に逃げだしたいが、それはできない。ああ、クソったれ、本当ならこんなのは主人公の仕事だぞ。
目の前のアオイの魔力は一瞬ごとに増大している。すでにあの同源會の導士のそれを遥かに凌駕し、ただあるだけで周囲の空間を揺るがすほどだ。
それでもまだ変生が完了していないのは、アオイが抗っているからだ。凄まじい精神力、地獄の苦しみだろうに、アオイはオレ達のために耐えているのだ。
異界の崩壊は止まっている。アオイの変生が原因だ。上位の怪異は自らの意志で異界を形成することができるが、今、アオイが、いや、彼女の中の鬼が行っているのはそれと同じことだ。。
だが、異界が塗り替わりつつある今ならば『扉』が使える。その間に2人が脱出できれば救援が呼べる。外で待機しているはずの『死神』誘命くらいしかこの状況を解決できない。
オレがやるべきことはそのための時間稼ぎ。背中を見せれば一瞬で死ぬ。死にたくないなら、戦うしかない。
「『六占式盤』、展開!」
展開された式盤が一瞬で赤色に染まる。目の前の存在に対して、最大級の警戒を発しているのだ。
その警告を無視して、順番通りに盤に魔力を通していく。行程を一つでもしくじれば暴走した魔力に内側から焼かれる。自爆なんてマヌケな最期は意地でもごめんだ。
「――『始まりは
これから行使するのは、原作の蘆屋道孝の持ちえなかったオレの二つの切り札のうち、一つ目。
司るのは五行の内、龍の属する『木』と黒を意味する『水』の二つ。大抵の式神は一つの属性にしか紐づかないが、こいつは二つの属性を併せ持つ。階級としては多神教における『神』に位置する怪異だ。
変生が終わるまで、どれだけ多く見積もってもあと数秒。術が間に合うかは賭けになる。
ようするに、チキンレースだ。上等、やってやるよ。
印を結び、魔力を制御し、彼方へと呼びかける。式盤に満ちた魔力が呼び水となり、門を開こうとしたその瞬間――、
「――嗚呼アアアアアアア!!」
その
もはや、怪異としての位階は解体局の定めるところの最上級の等級、Aランク、つまり、『神域』に手が届くだろう。放置すれば独自の異界を確立し、現実を侵す脅威となる。
「っ!」
刹那、稲光が奔る。まさしく
「ご、ご主人……!」
だが、実現はしない。
「お前……!」
雷の刃を止めたのは、我が式神『不動塗壁』。その身を半分まで切り裂かれながらも、オレの命を救ってくれた。
待機状態にしていたはずだが、自分の判断で飛び出してオレを庇ってくれたのだ。
「――に、逃げ……なさい」
そうして目の前のアオイもまた抗っている。
額には二本の角が生え、背には紫色の炎を背負った異形。そんな姿になり果ててなお、彼女は強靭な意志で己を押さえつけようとしているのだ。
これが山縣アオイの背負う運命『鬼神の呪い』だ。かつて彼女の先祖が犯した『神殺し』の咎、それは血に宿り、1000年以上もの間、一族を狂わせてきた。
そう『BABEL』世界において、アオイの先祖、かの『
呪いの因となったのは、その伝説の代表格『大江山の酒呑童子』その討伐だ。
この世界における酒呑童子はただの鬼じゃなかった。さる神の血を継ぐ『鬼神』。強大な呪いを帯び、山どころか都全体を覆うような巨大な異界を構築するまさしく『神域』の怪異だった。
その怪異は消滅の間際、自分を討ったものたちに呪いを残した。それが『鬼神の呪い』。ライコウ流を伝承した一族のものは25歳までに『鬼神』へと変ずる。この現象こそが『変生』だ。
本来、アオイが『鬼神』になってしまうのはアオイの個別ルートのみ。それも、終盤も終盤だ。その時は鬼神の末裔と遭遇したことが原因だった。
今回の変生の原因はあの道士。奴は鬼を食らい、鬼になりかけていた。それも元の中級の鬼ではなく上級へと進化した鬼、その返り血を浴びたことで偶発的に変生が始まったのだろう。
重ねて言うが、オレは山縣アオイが好きだ。彼女が気高く、愛情深い女性であることをオレは知っている。原作での彼女は異界に巻き込まれた子供たちを救うために、文字通り自分の命を差し出した。結果として蘇生はしたものの、彼女は誰かのために一度本当に死んだのだ。山縣アオイはそういうことができる。
だから、
ここばかりはオレの生死に関わる譲れない一線だ。例えかませ犬への第一歩だとしても、戦う価値はある。
「――『昇れ、三日月。独眼龍・
六占式盤にオレの魔力が満ちて、
天に昇るは、隻眼の黒龍。宙に
「こ、れは……!」
鬼神が驚きに目を見開く。当然ではある。龍はあらゆる怪異の中でも頂点に位置する種族だ。その眷属でさえも独自の異界を形成しうる。
そんな強力な龍だが、この独眼龍はできれば使いたくなかった。なにせ滅多に言うことを聞かないからな、こいつ。
「言っても無駄だろうが、オレが死んだらお前は消える。わかってるよな?」
事実、独眼龍は吹き飛ばしたアオイを追撃することなく自分の尾で遊んでいる。オレの言葉も無視ときた。
いくら
そう
その武将の名は、独眼龍こと伊達政宗。さすがに英霊であり神として祀られる政宗公本人を呼び出すことはできないが、彼への信仰を借り受ける形でこの式神を成立させた。
つまり、オレ
なにせ、元になった政宗公は破天荒なエピソードに事欠かない。元の人物の人格を再現しないと式神として成立しないから仕方がないとはいえ、おかげで独眼龍まで人を食った性格になってしまった。
「だ……め…!」
「来るぞ。殺したらお前を消すからな! しっかり仕事しろ!」
再び
次の瞬間、鬼神の刃が独眼龍に迫る。もはや稲妻そのものともいえる斬撃だ。
しかして、黒龍の鱗は雷をも弾く。強度もあるが、相性の問題だ。
陰陽五行論において雷は木に属する、対するこの独眼龍のおおもとの一つである龍、特に青龍も木だ。同じ属性同士なら雷を含めて天候の全てを司る龍に分がある。
「『
オレの指示を聞く気になったのか、黒龍が
一見振出しに戻ったようだが、状況に光が見えた。もしかしたら、どうにかできるかもしれない。
「……変生が完全じゃない。独眼龍、あれやるぞ」
一瞬不服そうにする独眼龍だが、つながった経路を通じてオレの真剣みを感じ取ったのか、ゆっくりと鎌首をもたげた。
風が渦巻く。周辺の気圧が一気に下がり、頭上に雨雲が形成された。
これぞまさしく龍の本懐、天候の操作。たとえここが異界の中でも、いや、異界だからこそ、風を起こし、雷を落とし、雨を降らせるのは龍の領分だ。
「ぐっ……ああああああああああああ!」
危険性を察して、鬼神が突っ込んでくる。刀身にまとうのは背中のものと同じ紫の炎だ。
炎は木に克つ。本能に任せているように見えて、その実、属性相性を考えるだけの知能を残している。これが上位の怪異の恐ろしいところだが、判断が一秒遅かった。
「『禊ぎ、祓い、清めよ、曇天の
降り注ぐのは、雨。最初はぽつぽつとしていたそれはすぐにざーざーと地を満たしていく。
龍はあらゆる伝承において雨と結びつく。そして、龍のもたらす雨は恵みの雨であり、清らかなるもの。
つまり、アオイの身体に付着した返り血もその穢れごと消し去ってくれる。
「がああああああああ!」
鬼神が最後の抵抗を見せる。黒炎を滾らせ、雨を蒸発させながら迫ってくる。だが、明らかに、速度が落ちている。
これならば、まだ引き戻せる。
「――『黒龍水牢』」
オレの命を受け、独眼龍の二角が輝く。想起するのは水を操る権能。最大限に発揮すれば川一つ分の水をまるまる制御することができる。
近くに川があってよかった。この水を利用すれば一から水を生みだす分の魔力を節約できる。
川の水が山なりに浮き上がり、周囲を満たす。この波濤をもって鬼神を鎮める。
アオイルートの最終版、主人公『土御門輪』は鬼神へと変生してしまったアオイの運命を断ち切ることで、彼女を鬼神の呪いから解放する。
オレにはそこまでの力はないが、アオイが抵抗している今の状態なら呪いを弱めて、アオイに主導権を取り戻すことくらいはできる。
「『縛』」
川の水が一点へと集約、アオイを包み込む。浄化の雨が混じったおかげで鬼という穢れは消えるが、溺れることはない。あとはオレの魔力と鬼神の呪い、どちらが勝つかの根性比べだ。
そうして、数秒後、オレの魔力が枯渇し、独眼龍が送還される。雨はやみ、川の水もただの水へと戻り流れていった。
「――っ」
急激な魔力消費の反動で意識が薄れていくが、意地で踏み止まる。
彼女の、アオイの無事を確認するまでは意識を失うわけにはいかない。
「……よかった」
消えゆく視界の中、倒れているアオイの姿を見る。髪の色は黒に戻り、角も消えて、息をしている。どうにかやりとげた。
ああ、よかった。アオイが無事なら、命を掛けた甲斐もあったというもの。オタクとしてのオレはこれ以上なく満足だ……。
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