第10話 ここから入れる保険はありません

 異界探索はオレたち聖塔学園の生徒にとって唯一にして最大の任務だ。

 それさえこなせれば最悪一度として教室に入らなくても卒業できるし、そもそも月一くらいしかない授業の内容も異界探索のノウハウ伝達の作業でしかない。

 なので、普通は万全の準備をして、この実習に挑むものなのだが……、


「……どうする? これ」


 実習当日の早朝、教室であまりにも気まずい空気に隣の席の輪がそう聞いてくる。

 オレにしてみれば主人公であるこいつも悩みの種なのだが、この場においては全面的に味方だ。

 なにせ、オレはアオイに、輪はリーズに嫌われている。おまけに後者はともかく、前者は理由さえ分からない。


 あの班決めから三日が経ったが、班内の不和は何も解決していない。苦渋の決断でなんどか改善を試みたが、結局口もきいてもらえない。


 ぶっちゃけると、かなり悲しい。今世では近づくまいと思っていたが、オレは原作のキャラクターの中では山縣 アオイが一番好きだった。

 彼女のルートで描写される二面性と主人公との関係性、その顛末はオレの胸を深く打った。


 そんな山縣アオイになぜだか嫌われている。正直、泣きそうな気分だが、それ以上に命の危機だ。どうにかして、この不和を抱えたまま実習を乗り越えなければ。


「そういえば、今日実習って話だけど、移動しなくていいの? 異界っていろんなところにあるんでしょ? 県外とかだったら、夜にならない?」


「……おまえ、何も知らないんだな」


「ご、ごめん」


「謝らなくていい」


 輪が異界やこの学園についての知識が乏しいのは、原作通りだ。本来ここら辺の説明はオレではなくアオイがやるはずなんだが……仕方がないか。


「異界がいろんな場所にあるのはそうだ。山の中とか古い廃墟とか日常生活から離れた場所には特に形成されやすい。厳密にいえば、神社の境内やこの学園の中も普通の社会とは隔離された異界と言えるしな。だが、オレ達が探索するのは異界の中でも現実を侵食し始めたものだけ。つまり、既存の物理法則を異界法則で塗り替え始めた異界がオレ達の攻略対象ってわけだ」


「それは、うん、説明された。基本的に危険だし、放っておくと現実世界を壊しちゃうんだっけ」


「そうだ。だから、異界因を取り除いて早い段階で異界を解体するのが異界探索者の使命になる」


 より正確に言えば、現実を侵食していてもその有用性からむしろ率先して保全されている異界もあるのだが、今は関わりがない。


「それで移動についてだが、この学園に在籍している限り、その必要はない。なぜなら――」


「この学園の聖塔はあらゆる異界と繋がっているから、ですわ」


 オレが講釈を垂れていると、意外にもリーズが割り込んでくる。相変わらず不機嫌そうだが、多少は険が取れていた。

 少しは大人になる気になったのか……?


「なんですか、その目は。わたくしとて異界探索者です。実習を前にして個人の感情を優先するほど愚かではありません」


「なるほど」


 いいこと言うじゃないか、リーズ。もっと大声で言ってやれ、具体的に言えば教室の隅でこっちをにらんでいる人に聞こえるくらいに。

 まあ、そもそもリーズはどっちかというとお節介なタイプだ。あからさまな素人である輪を見ていられなかっただろう。


「へぇ……でも、この学園があらゆる異界と繋がってるってどういうことなの?」


「学園の後ろの塔はお前も見ただろう? あの塔は旧約聖書にあるバベルの塔の模造品なんだ」


「バベルの塔……?」


「かつてこの世界に一つの言語しかなかったころ、天の領域、つまり、主のおわす場所に届くほどの高さの塔が建てられたのです。その塔が、バベルの塔です。結局、オリジナルの塔は完成途中で崩落するのですが……」


「な、なんかすごい塔なんだね」


 素朴な輪の感想に、ため息を吐くリーズ。そういうところだぞ、リーズ。だが、まじめな彼女らしい過不足ない説明だった。おかげでオレもやりやすい。


「塔がすごいのもそうだが、この場合重要なのは『一つの言語』の方だ。言語が一つしかないってことは、世界が一つだったってことになる」


「わからないような、わかるような……」


「人の認知機能を利用した逆説的推論ってやつだ。魔術とかの技術的体系のある異能は基本これで成り立っている。ここに卵があるんだから、近くに鶏がいるって感じだな」


「なるほど……じゃあ、バベルの塔がある以上は、言語が一つで、世界が一つってことになるってこと?」


 さすが主人公、打てば響く。この調子であっという間にオレを追い抜いて、世界を救ってくれたまえ。


「旧約聖書においてバベルの塔を打ち砕いた後、主は二度と同じことができないように人々の言語を分けたとされています。ですが、今ここには確かに聖塔があり、塔がある。ということは言語は一つであり、世界は一つである。そして、世界が一つであるということはあらゆる場所は境目なく繋がっている。これらの推論を利用することで、あらゆる異界への接続アクセスを可能とする、それが大儀式『BABEL』であり、この学園が創立された所以です。我々が受けた入学試験、あの際に突然異界に転移したのもこの大儀式の応用によるものです」


 そこから先はリーズが説明してくれる。オレも詳しいと自負しているが、細かいところはリーズの方が正確だ。興味があるところばかり掘り下げるのはオタクの悪い癖だ。


「じゃあ、この学園は空港のハブみたいな感じなんだ」


「まあ、そんな感じだ。どっちかというとどこでもド――」


「――おっはよー!」


 死神という異名には全く相応しくないハイテンションと共に教室に現れる誘命。もうすこし知識を伝授をしておきたかったが、時間切れか。


「A班のみんな、いい子にしてたかな? してなくても、ボクに付いてきてー」


 死神の先導の元、オレ達は学園の最深部へと向かう。

 そんな場合じゃないとわかってはいるが、少し興奮してしまう。なにせ、廊下も道順も原作通りだ。これからあの『扉の間』に向かうと思うと胸の高鳴りを抑えるのは難しかった。


「ここが扉の間さ。それぞれの扉がいろんな異界に通じてて、一定時間ごとに別の異界に切り替わるようになっている。この学園の心臓部と言って差し支えない場所だよ」


 扉の間もまた原作通りの外見をしている。

 小さな部屋の中にあるのは、三つの扉だけ。一つは木製、一つは鋼鉄製、最後の一つは石造りで封鎖されている。木製の扉は比較的危険性の低い異界に通じており学生向けで、鋼鉄の扉は教員や卒業生のために危険な異界に通じている。

 最後の封鎖された扉の向こうに何があるのかは原作でも明かされていなかったが、ファンの間の考察では特別な異界、おそらくは深異界に通じているのではと噂されていた。


「君たちが今日潜るのは、この扉。向こうには国内で発見された異界が広がっている。外部測定による異界深度はDランク相当。下から数えた方が早いランクだけど、何が起こるかわからないから注意してね」


 死神にしてはまともな言葉に、アオイを除く全員が息を呑む。オレの場合はこいつが真面目になることなんてあるのか、という驚きによるものだが。


 異界深度というのはその異界がどれだけ拡大し、現実に対して影響を与えているかを解体局が精査した基準のことだ。最低ランクのFから最上位を示すAまでが存在し、それぞれに悪徳クリフォトの木にちなんだ名前が付けられている。当然深度が深くなれば深くなるほど異界の内部は現実世界と乖離していき、うろつく怪異も強力になっていく。


 今回の場合はDランクだから、専門的には『無感域』と呼ばれる等級に属する異界だ。確かに深度だけなら下から数えた方が早いが、死神のいう通り油断は禁物だ。

 

 ちなみに、怪異の等級にも同じ基準が適応される。基本的に異界の等級と内部の怪異の等級は一致するものだが、例外はあるのでそういう意味でも決めつけていてはいけない。


「ま、運が悪くても死ぬだけだから安心して行ってきてネ! 遺言があるなら預かるし! さまよってるのを見つけたら導いてあげるからネー!」


 感心しかけて損した。縁起でもないことを言いやがって、そう思いながら一歩前に出る。

 まったく気は進まないが、この状況で先陣を切れるのはオレしかいない。いくら主人公と言っても今の輪は素人に毛が生えた程度の経験しかないし、リーズはリーズだ。本来なら最適任のアオイはあの調子だしで、悲しいことにオレがやるのが一番マシなのだ。


 そうやってぼやく一方、ワクワクしているオレもいる。自分があの『BABEL』の世界にいるのだという実感は何度味わってもいいものだった。


「じゃあ、いくぞ」


 オレの確認に、輪とリーゼが頷く。最後尾のアオイも腰に差した刀に手を添えた。

 不安要素は大量にあるが、とりあえず準備は万端だ。


 ゆっくりと、ドアノブを捻る。ここから先は保険も、保証もない。正真正銘の実習の始まりだ。


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