第6話 河原で殴り合いの類義語
『決闘』の会場となるのは学園の敷地内に建てられた円形体育館だ。その形状からとって闘技場とも呼ばれており、内部には特殊な結界が展開されている。
ここも原作通りの場所だ。いくつかのルートでは最終決戦の場所になったこともあるスポットで、オレも内心ウキウキだが、手放しで喜ぶわけにもいかない。
あの後、オレは結局、リーズと輪の決闘の立会人をやる羽目になった。
何度拒否しても全然手を離してくれないので根負けしてしまったのもあるが、あのまま断ると結局変に印象に残りそうだから、仕方なく引き受けた。大した役周りじゃないし、直接決闘するよりは何百倍もマシではあるが、おかげで昼食を購買のパンで済ませることになった。
しかし、まあ、土御門輪があの土御門輪であることを確かめるいい機会でもある。ここを逃せば直接主人公の戦闘を見ることもまずないだろうしな。
外延にある観客席にはオレを含めて10人ほどが集まっている。原作主人公の決闘とはいえ、ほかの生徒や教員にとっては新入生同士の決闘に過ぎない以上、こんなものだろう。
そんなことを考えていると背後から声を掛けられる。
「――お! アシヤンじゃん! おひさー!」
この場には、というか、聖塔学園にはおおよそ似つかわしくない軽い調子の呼びかけ。原作でも知っている声だが、何より、彼女とオレはこの現実でも面識があった。
「
「アシヤンかたーい! あーしのことはほのかでいいって! あ、ほのかお姉ちゃんでもいいよ! あーしたち幼馴染みたいなもんじゃん?」
「遠慮しておきます。それに会合で何度か会っただけの相手を幼馴染にするのはどうかと」
シャツの裾を出して腰には上着を巻き、金色の髪を毛先だけ青く染めて、口には棒付きキャンディー。きわきわのミニスカートは心意気の表れか。
どこからどう見てもギャルなこの人の名前は、山三屋ほのか。オレの一歳年上の先輩で、一応、顔見知りではある。
原作における先輩の立ち位置はヒロインではなく、いわゆるサブキャラの一人。探索者としては極めて優秀で、外伝作品では何と主人公を務めている。しかも、危険人物リストでは下位、最高だ。
そんな先輩の両手に下げた袋には棒付きキャンディーがぱんぱんに詰まっている。原作通りの甘党ぶり、大食いタレントもかくやという健啖家なのにスリムな体系を保っているのは、彼女の異能が肉体を酷使する類のものだからだ。
それにしても、あれか、ゲーセンに行ってたんだな、この人。原作だとゲームセンターの景品集めが趣味の一つだったし、実際、肩にかけているピンク色のバッグには小さなぬいぐるみのキーホルダーが戦利品としてぶら下がっていた。
「先輩が決闘に興味を持つとは意外でした」
「まあねぇ、普段だったら近づきもしないんだけどさ。立会人がアシヤンだったし、せっかくだから顔でも見ておこうかなって。嬉しいでしょ?」
「……否定はしませんが」
これまた原作では描写されていない部分だ。
山三屋先輩は見た目通りの性格で、探索者としては異端児だ。オレみたいな名家出身者には関心がないと思ってたのだが……、
「それに聞いたよ。入学試験1位通過なんだって? さすがは今代の『ドウマホウシ』候補! マジですごいじゃん! 惚れ直しちゃうってやつ?」
「どうも。ですが、後者に関しては勘弁してください」
「めんごめんご。でもさ、実際名誉なわけだし、箔がつくと思うけどなぁ。女の子とかより取り見取りだと思うよ?」
「その代わりに食事の度に毒見するはめになるんじゃ釣り合いませんよ」
先輩の言うドウマホウシとは、漢字で『道摩法師』と書く。
蘆屋家の祖である大陰陽師『蘆屋道満』の別名で、蘆屋家の当主は代々その名前を継ぐことになっている。
一見その名を継ぐのは名誉に思えるが、実際には厄ネタの中の厄ネタだ。
なにせ、歴代の道摩法師は大抵早死にしている。しかも、死因はほとんどが骨肉の争いだ。
そこで先走った一部がまだその赤ん坊が異能を発現するかもわかっていない段階にもかかわらず、将来邪魔になるであろうオレを排除しようとしているのだ。
いくらなんでも気が早すぎる。というか、わざわざ殺しに来なくてもオレは道摩法師になる気なんてないんだから、放っておいてほしい。誓約書書いたっていいぞ。
「どこのおうちも大変なんだねぇ。同情しちゃう」
「先輩の家も五百年くらいの歴史はあるでしょう」
「あるけど、うちはなんていうか緩いんだよね。ほら、あーしもこんな格好してても怒られないし?」
そういって、スカートをぴらぴらさせる先輩。下に履いているのはスパッツだと知ってるので特段興奮したりはしない。しないったらしない。
「ちぇー、アシヤンつまんないの。もっとこう、顔赤らめたりしなよ、DKでしょ?」
「なんですか、DKって」
「DT《ドーテー》高校生」
言ってて自分が恥ずかしくなったのか、そっぽを向いている先輩。かわいい。
これが山三屋ほのかの萌えポイントの一つ。自爆癖だ。
先輩はギャルの格好してるし、ギャルなので距離感がバグっているが、素の性格が真面目過ぎるせいで自分の行動を客観視した途端に、照れてしまうのだ。
そもそもギャルの服装をして、そういう口調で話すのはそこら辺を改善したいと思って始めたことなのだが、結果としてバグった距離感だけが残された。
「……聞かなかったことにしましょう」
「う、うん。そうして」
「そういえば、先輩。単独探索の許可が下りたそうで。おめでとうございます」
かわいいので話題を変えてあげることにする。
「あ、そうだった。ありがと、アシヤン! お祝いに何かおごって? あーしはお寿司がいいな、回らないやつ」
いたずらっぽく笑ってキャンディーを舐める先輩。ベロの動きが妙に色っぽくて、一瞬、見惚れてしまう。
うーん、エロい。本人は無自覚なんだが、なんかこう所作が色っぽいところが先輩にはある。
家柄だろう。先輩の異能は舞踊に関するもの。肉体を魅せる方法は骨の髄まで叩き込まれている。
「……先輩高給取りでしょ。むしろ、奢ってくださいよ」
異界探索は入学試験のような特殊な例を除いて、5人体制の班を組んで行うことになっている。例外として単独探索の許可が下りるのは特別に認可された優秀な探索者のみ。その単独探索の許可を山三屋ほのかは二年次上がってすぐに取得した。
理由は、一年生の最後の探索任務で彼女の所属する班が壊滅したから。5人の班員の内、2名が死亡するという痛ましい事件を経て、彼女は一人でも異界を探索できるように力をつけた。かつての仲間のような犠牲者をもう自分の周りでは出さない、そう決心したがゆえの行動だ。
このように、軽いように見えて山三屋ほのかという女性は一途で、真面目で、いい意味で重たい。外伝主人公に選ばれるのも納得の人なのだ。
オレも好きだ。一度、彼女が主役の二次創作を書いたことがあるくらいには。
「あ、飴なめる?」
機嫌がいいのか飴を差し出してくる先輩。チェリー味のそれは先輩の唾液でぬらぬらと輝いている。
……卑猥だ。無意識にやってるのだろうが、人によっては、というか、たいていの男は勘違いするぞ。男女比率の極端学校でよかったですね、先輩。
「……それ、先輩の舐めてたやつですよね?」
「あ……えと………間接キス……」
自分で自分の行為に気付いたのか、頭から湯気が出そうなほどに真っ赤になる先輩。
「間違えた……ごめん……」
もじもじしながら飴をくわえなおして、別の飴を差し出してくる先輩。
どうもと受け取り、胸ポケットにしまう。さすがに立会人が決闘中に飴を舐めてるのは絵面が悪い。
「お、出てきたね。新入生、片方はあ、リーズちゃんか。相変わらず肩に力はいりまくってんねえ」
そんなオレの嘆きをよそに、先輩が闘技場に現れたリーズを見つける。この二人は原作でも面識があった。確か、何かのパーティーでの出会いで、誰にでもつっかかるリーズにしては珍しく山三屋先輩とはそれなりに仲が良かったはずだ。
リーズはローブ型の制服に魔女の象徴でもある
「もう片方の方は……うーん、見覚えないな。スカウト組? 術者じゃなくて異能使いかな?」
「正解です」
先輩のいう術者とは魔術や陰陽道などの技術体系化された異能を扱う異能者全般を指す言葉で、異能使いは体系化された技術ではなく超能力の類を扱う異能者のことを指す。
オレやリーズは前者で、後者には輪が当てはまる。先輩が扱うのは武術なので意外にも術者の方に分類される。
「剣か。あんまり、使えそうな感じはしないけど、ちょっと不思議な感じ。結構強いね、この子」
またもや正解の先輩。流石の洞察力だ。
輪の右手には、先輩の言葉通り、西洋風のロングソードが握られている。
一応、オレと同じで陰陽師の末裔である輪だが、彼は術の類は使えない。というか、使う必要がない。己の肉体と武器だけで術以上の異能を発揮する異能使い、それがBABELの主人公、土御門輪だ。
どちらも本物の武器を使っている。この学園、いや、『BABEL』における決闘の最大の特色がここにある。
この闘技場の内部の結界には互いに相手に対して不殺生の制約を交わし、内部で負った傷そのものをなかったことにする法則が敷かれている。
だから、本物の剣で斬ったり、炎で燃やしたりしても、傷を負うことはない。
しかし、安心安全というわけにはいかないのがこの学園の悪いところだ。
なぜなら傷を負わないだけで他の感覚はすべてそのままになっている。
つまり、斬られれば痛いし、燃やされれば熱い。なので、普通に気絶したり、トラウマになったりする。何でもありな異界を攻略するための訓練の一環と考えれば、まあ、そんなもんなんだろうが、オレは御免被る。痛い思いをするのは実戦の時だけで十分だ。
「蘆屋殿! 開戦の合図をお願いします!」
闘技場からリーズがそう呼びかけてくる。できれば巻き込まないでほしいが、決闘のための不殺の契りを結ぶためには立会人が不可欠。オレはゆっくりと、右手を上げた。
「蘆屋道孝の名において、この決闘を承認する。いざ、はじめ!」
右腕を振り下ろす、その動作と宣誓によって闘技場内部の異界がその意味を変性させた。
さて、ここからのオレは文字通りの第三者。原作通りの展開を高みの見物とさせてもらおう。
それに、告白してしまえば、興奮してもいる。
オレの前世の世界ではBABELは映像化されていなかった。企画はあったんだが、放映前にオレが死んでしまったので見ることはできなかった。
そんなBABELの1シーンを文字通り現実として見ることができるんだ。オタク冥利に尽きるというもの。カメラ撮影ができないのが残念だが、その分脳裏に焼き付けるとしよう。
◇
原作通りならば、この決闘の勝者は土御門輪だ。
初めて異界に潜ってからまだひと月足らずの素人が、名家出身の探索者を破る。この世界の人間にとって想定外の結果で、オレにとっては懐かしい通過儀礼が、今まさに目の前で行われていた。
「ぐっ! なぜ、なぜ! 当たらないのです!?」
リーズの悲痛な叫びが闘技場に響く。その疑問はこの場にいるオレ以外全員に共通しているものだった。
リーズの攻性魔術の練度は年齢からみれば見事なものだ。術の構築にも魔力の循環にも瑕疵はない。繰り出す炎の茨も、雷撃の槍も大抵の悪霊や怪物なら一撃で塵にできるほどの威力がある。
「よっと!」
そんなリーズの魔術を輪はすべて回避している。完全には回避できずあちこち焦げているし、攻撃こそできていないが、それでも一度も有効打はもらっていない。
ただ逃げ回っているだけなら簡単なことのように思えるが、実はとんでもないことではある。
なにせ、魔術や呪術、オレの陰陽道も含めて異能の類というのは基本的に必中必殺だ。これは異界にいる怪物や悪霊の異能も同じで、一般人がどれだけ頑張ってもどうしようもない原因がここにある。
だから、異界探索者は基本的に結界や加護、御符、あるいは自身の異能を使って相手の異能を防ぎ、逸らし、いなしている。意識的にせよ、無意識にせよ、それができなければ探索者にはなれない。
皆が驚いているのは、輪が何らかの異能を行使してるようには見えないからだ。なんの防御手段も行使せずにリーズの魔術を回避している、オレ以外のやつらにはそう見えている。オレも前世の知識がなければ同じ意見を持っていただろう。
だが、実のところ、輪は異能を使っている。澄んだ水色の瞳に金色の線が混じっているのがその証拠だ。
周りから何の魔術も使っていないように見えるのは、使っている魔力が体内で循環し、外部に現れないからだ。
土御門 輪の異能とは『魔眼』。それもこの世界を支配するありとあらゆる確率を可視化、支配する『運命視の魔眼』を彼は所持している。
異能の力の大半が必中と言っても、確率論上は完全な100パーセントいうのは存在しない。だから、理論上は、必中の攻撃だとしても、ほんの億分の1でも回避の可能性は存在しているということになる。
輪の異能はその可能性を可視化し、実現する能力。無論、無敵の異能ではなく小さい可能性を見るのには相応の消耗があるのだが、リーズの魔術を回避する程度なら一時間はやれるだろう。
問題は攻撃の方なのだが、それも眼下の闘技場では戦況が動きつつある。
「――はっ!」
「なっ!?」
焦りから制御の甘くなったリーズの魔術を輪の剣が切り裂く。その間隙を縫うようにして輪は一気に間合いを詰めた。
「これで!!」
全力の一撃が振るわれる。リーズも防御結界を張っているが、輪の魔眼はその防御さえも突破する。
不殺の契りで傷を負うことこそないが、それと同じだけの激痛にリーズは膝から崩れ落ちた。
これで決着だ。観客だけではなく輪本人も、オレでさえもそう思った。
本来ならば致命傷。傷そのものは痛みに変換されるが、意識が飛ぶほどの激痛だ。まともな精神で耐えられるはずがない。もしオレが彼女なら一瞬で意識を失っていた。
「お待ち……なさ……い……まだ勝負は……」
なのに、彼女は、リーズリットは立ち上がった。
原作にこんな
だから、わからない。何が彼女をそうさせているのか、なぜそうできるのか、オレには何一つとして理解できない。
「もうやめたほうがいい。その状態じゃ魔術ももう使えないでしょ」
そんなリーズリットに
彼の言葉通り、リーズリットは死に体だ。立ち上がりはしたものの、痛みと魔力の消耗で初歩的な魔術でさえ発動できないでいる。
「……それが……どうかしまして……?」
いっそ無様でさえある。潔く負けを認めるほうが、まだ救いがある。
立ち上がれるから立ち上がるなんて、そんなのは誰にも望まれちゃいない。すでに決着はついているのだから、さっさと終わらせろとヤジを飛ばしている輩もいる。
でも、そんな無様で、どうしようもない
「悪いけど、いつまでも付き合っていられない」
輪が剣を振り上げる。
「……もう立つな」
それももう終わりだ。輪の二撃目はリーズリットの意識を完全に刈り取った。
どれだけ意志が強固でも、意識を失った体が一人でに立ち上がることはない。そんなことができるとすればそれこそ異能だ。
「この決闘の立会人として、決着を宣言す――」
決闘を終わらせることができるのは、当事者二人の同意か、立会人の宣言のみ。リーズリットは奮闘したが、これ以上の続行は誰のためにもならない。
そう判断して、宣言を行おうとしたその時のことだった。
オレの目は再びありえない、ありえてはならない光景を目にした。
「――え?」
リーズリットが立っている。目は虚ろで、意識はない。充溢していた魔力も風前の灯火で、呼吸さえ絶え絶えだ。
そんな状態で立っている。すさまじいまでの執念で、彼女はまだ勝負にしがみついていた。
「――っ!」
その気迫は対峙するものに恐怖をもたらす。半ば反射的に、輪は剣を振り上げていた。
リーズリットにそれをかわすことはできない。また死に至る痛みを味わってから、立ち上がる。何度でも彼女は同じことを繰り返すだろう。
そんな光景が脳裏にまざまざと浮かぶ。その瞬間、オレは――、
「――塞げ、不動塗壁!」
闘技場の中に飛び込んでいた。
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