第2話 ようこそ、聖塔学園へ

 BABELの世界に転生したことを知った時点で、オレの前にはおおまかに二つの道があった。

 一つは原作通りにゲーム本編の舞台である異界解体局『フロイトユング』、通称『解体局』の運営するを育成するための教育機関『聖塔学園』に進学するという道。もう一つは、原作とは関わらずに生きていく道だ。


 大いに悩んだが、オレが選んだのは一つ目の道だ。


 なぜそうしたかというと、オレが本家の連中から命を狙われているからだ。

 いわゆるお家の事情というやつで、分家の出身である蘆屋道孝オレが当主になることを回避したい本家の連中が隙あらば殺そうとしているのだ。なので、実家に留まっても毎回の食事に毒が入ってないか確かめる羽目になるだけだ。


 かといって、家を飛び出しても今度は往来で背後から刺されるのを警戒しなきゃならなくなる。それでも、収入源は確保してあるからどうにかならないこともないが、やはり、それはそれで大変だ。


 以上のことから、多少危険でもまだ原作知識によってある程度未来のことが予測できる聖塔学園への入学を決めた。ここには強くなるための環境も揃っているし、オレの命狙っている連中も学園には手を出しづらい。


 だから、一つ目の道を選び、学園への入学を決意した。


 そうして、転生してから10年後の2020年4月1日、オレは聖塔学園を訪れた。


 F県F市の山中、かつて修験道の修行場所として知られた霊峰の中腹に、原作ゲーム『BABEL』の舞台である聖塔学園は存在している。

 といっても、幾重にも張り巡らされた防護結界の効果で一般人の眼にはただの森にしか映らず、衛星画像でもここら一帯はただの山として誤認されている。


 まあ、今のオレ、つまり、蘆屋道孝のような『異界探索者』の眼には真っ白な校舎とその背後にある巨大な塔がばっちり見えているのだが。

 この塔こそが原作のタイトルでもあるBABELの由来、つまりは旧約聖書にあるバベルの塔の複製品だ。


 それにしても原作の一枚絵そのままだ。あそこの道は主人公が歩いてた道だし、端っこの方の木はサブイベントで巨大カブトムシが止まってたやつだ。


 ……感慨深い。今日の日付は4月1日、ちょうどBABELの本編が開始される日だ。

 そんな善き日に、BABELの舞台である聖塔学園の前にオレは立っている。


 この世界に転生してから苦節10年、これからこの目で原作キャラを目の当たりにすることができると思うと心が躍った。


「……いかん。試験中だった」


 オタク心は疼きまくるが、今はまだ入学試験の途中、写真を撮りまくったり、感動で早口になっている場合じゃない。

 第一、今のオレはあのかませ犬蘆屋道孝。油断すれば即バッドエンドなのだ。原作より強くなっていても油断は禁物だ。


 学園への入学試験は二段階ある。第一段階はこの学園を目視できること。学園には特殊な結界が貼られており、異界探索者としての才能がないものにはそもそもここに学園があることを目視できない。

 オレは学園を見ることができているので、すでに第一段階はクリアだ。


 問題は次の第二段階。

 その内容は目の前に見えている正門に生きてたどり着くこと。あと数歩進めばそれでそれだけで合格のように思えるが、この世界はそんなに甘くはない。


「行くか」


 自分を勇気づけるためにもできるだけ軽い調子でそう宣言してから、一歩足を踏み出す。

 すると、次の瞬間、周囲の景色が一変していた。

 

 先ほどまで山道にいたというのに、今のオレは屋内にいる。しかも、すぐ右にある窓の外ではいつの間にか日が暮れて空には月が昇っていた。

 明らかな異常事態だが、前世の知識とここ10年の経験のおかげでこういうのには少し慣れた。少し、と控えめに修飾したのはオレの足がまだかすかに震えているからである。


 オレは聖塔学園の正門前からこの異界試験会場にテレポートさせられたのだ。原作における入学試験との内容とも合致している。


「廃校舎か。まあ、スタンダードだな」


 緊張をほぐすためにも状況を声に出す。同時に、左足を弧を描くように後ろに引いて、簡易的な方陣を引いた。これで呪いに掛かって即死するようなことはない。


 オレが今いるのは廃校舎と思しき場所の二階廊下。空気は冷たく淀んで、不吉な気配に満ちたこの空間は当然ただの廃校舎などではない。


 『異界、あるいは異郷』。そう呼び習われされるこの世ならざる小さな別世界、それがこの廃校舎の正体だ。

 窓から見えるグラウンドの向こうにある校門の先にはなにも存在しない。この廃校舎の元凶となった噂が学校の内部に限定されたものだから、学校の外はこの異界には存在していないのだ。


 異界は人間社会の共通意識から生じる現実の歪みだ。


 例えば地元で有名なAという山があったとする。そこで一家心中事件が起きたとする。そのAという山に『あの山では幽霊が出る』という噂が立ち、Aでは幽霊が出るという認識が集中すると本当に幽霊が出現する。この最初に出現した幽霊、異界のもとになる存在を『BABEL』の世界では『異界因』という。

 そうして、異界因が出現した時点で普通の幽霊の出ないAという山は失認され、人々の間では幽霊が存在するA´という山として認知されるようになる。このように何でもない場所が人の強い認識で上塗りされてしまい、通常の物理法則から逸脱してしまった場所をこの世界では『異界』と呼んでいる。


 さらにいえば、この異界、元となる噂や怪談、都市伝説が特定の場所や出来事を指さない曖昧なものであったとしても成立しうる。どこかの森の中に迷い込んだ子供が行方不明になる遊園地があるという怪談が流れ、多くの人間がそれを信じると世界どこかにある普通の森に神隠しの起こる遊園地が出現してしまうことがあるのだ。


 つまり、異界は原則としてどんな場所にも存在しうる。それが異界の厄介さであり、面白いところでもあった。


 ……ああ、なんか興奮してきた。今更ながら設定を再確認すると、マジでワクワクする設定だ。そりゃ掲示板でみんな自分のオリジナルの異界考えるよな!

 できることなら、今すぐ学校中心で怪異どもに聞こえるくらいの大音声で「オレは今! BABELの世界にいます!」と叫びたい。ていうか、叫ぼうかな? 叫んでいい?


「…………いや、さすがにそれはまずい」


 窓に手をかけたところで、ようやく正気に戻る。オタクがあふれちゃった。


 ともかく原作ゲーム『BABEL』においてはここのような異界を探索、攻略、切除することが主人公たちの目的だった。

 なぜなら、異界を放置すれば、いずれ外部の現実世界を侵食し、塗り替えてしまう危険性があるからだ。


 この廃校舎のように異界は基本的に現実とは別位相に存在し、一般人が迷い込むことはないが、時折、入り口が開き、人を招くことがある。

 大抵の異界には同じく人間の認知から生じた怪物、悪霊、悪魔などの『怪異』がうろついている。怪異が先に生じて異界が生じるか、異界があるからその内部に怪異が生じているのかはケースバイケースではあるが、基本的に怪異は人間に対して害をなすようになっている。おまけに大抵の怪異はさまざまな超常現象を操ることができるから、ただの人間では勝ち目はない。


 そのため、異界に一般人が呼びこまれた場合、まず助からない。犠牲者が出て、死体が発見されれば、さらにうわさが広がり、『あの場所ではおかしなことが起きる』という認識が強まる。

 そうすると異界は広がってしまうのだが、ある程度の大きさまで広がると、周囲で怪奇現象が頻発するようになり、電磁波や磁場に異常な反応を起こすようになる。

 

 この段階で発見、切除ができればまだいいが、放置すると今度は異界への入り口が開きっぱなしになり、中の怪異が直接現実世界へ出てくるようになる。こうなると犠牲者の数はさらに増え、異界はさらに拡がり、強固になる。

 

 そうして最終的には、今ある現実が異界で塗りつぶされることになる。ようは、怪物やら妖怪やら悪魔やらが当たり前のように歩き回る世界になってしまうのである。


 だから、異界は発見次第できるだけ早く消滅させないといけないのだが、異界を消滅させるには、元になった噂が風化し人々が忘れ去るのを待つか、あるいはこうして異界の内部に入り、異界因を排除するしかない。


 しかし、異界因になる怪異は大抵強力だ。たとえ武装したとしても一般人では太刀打ちできない。異界因を排除できるのは怪異と同じ力、異能を扱えるのみだ。


「――来たれ、我が式。道を示せ」


 真言を口ずさみ、全身に精気、いわゆる魔力を漲らせる。すると、制服の裾から二枚の形代、人形に整えた懐紙が飛び出した。

 それらは中空で光を放つと、やがて、四本足の獣の形を取った。


「護法・くろがね犬使けんし


 現れたのは、二匹の獣。穢れを清める純鉄で象られた狛犬と獅子はオレの方に振り返ると挨拶するかのように短く吠えた。

 彼らの正体は仮初の命を与えられ、神の使い、災難を退ける牙として定義されただ。


 そう、式神。原作の蘆屋道孝がそうしていたように、今のオレは『陰陽道』という異能を扱う異能者でもある。式神の創造、契約、召喚はその力の一端だ。


 異能とは異界探索者に備わる力。異界と同じく人の共通認識のゆがみから生じた超能力の総称でもあり、この異能は既存の物理法則に縛られない現象を起こすことができる。

 定義上、陰陽道だけではなく魔術や超能力、あるいは極まった体術や特異な体質などもこの異能には含まれていた。


 ……やはり、楽しい設定だ。中二心が騒ぐ。オリジナルの探索者の設定を作って、オリジナルの異能を考えた日々が今現実になっている。

 これでオレがあの蘆屋道孝じゃなければ完璧なんだが、そのことを考えてなお、凄い楽しくなってきた。気を抜くとスキップしてしまいそうだ。


 ……1人でうきうきしていると、式神たちが困惑したようにオレを見つめているのに気付く。いかん、またはしゃぎすぎたか。


 そんな中二心爆発な異能だが、目覚めた時点で一般人よりも異界に引き込まれやすくなるというデメリットもある。異能者になった時点で普通に生きていくという選択肢は自動的に消滅してしまうから、解体局に保護を求めたり、仕方なくこの学園を目指すものも原作にはいた。


 なので、はしゃぐのは今はやめる。仕方なく探索者になった人たちの苦悩をオレは原作を通して知っている。無神経な真似はあまりしたくない。


「この異界の因を探せ」

 

 オレの指令を受けて、鉄犬使たちが走り出す。一族相伝の式神である彼らの嗅覚はオレの第六感なんかよりもよほど優秀だ。すぐに『異界因』を見つけ出すだろう。

 

「む。体育館か……遠いな」


 数分もしないうちに、狛犬の方から見つけたという思念が送られてくる。さすが優秀だ……ん?


「いつ切れた?」


 左手の手首に違和感を覚えて目をやると、見覚えのない切り傷がついている。どこかで切ったか。


 まあ、問題ないだろう――などと流すようなオレではない。原作の蘆屋道孝はいざ知らず、オレは自分がかませ犬ポジなのを知っている。油断も慢心もない。実際に原作の蘆屋道孝アホは小さな呪いを放置したがために、死んでしまったことがある。ちなみに死に際のセリフは「そんな……! この私が……!」である。


 かすかに感じられる魔力からしてこの異界に侵入した時点で付けられた霊障だろう。傷の場所と付き方からして時間経過とともに傷が深くなる類の霊障と推測できる。

 早めに気付いてよかった。この程度ならすぐに治せる。


「癒せ、河童童子」

 

 水の方向、つまり、北の方向に印を切って、別の式神を呼び出す。

 現れたのは名前の通り、河童の式神だ。こいつも一族相伝の式神だが、先祖によって創造された鉄犬使と違い、在野の怪異、この場合は妖怪を調伏して式神にしたものだ。


「助かる。もう戻っていいぞ」


「あい」


 河童童子はオレの左腕の傷に秘蔵の薬を塗りこんでくれる。見た目はドロドロしているが、この薬は河童の仙薬だ。大抵の傷なら、霊障も含めて治してしまえる。


 実際、傷は消えている。修行の甲斐があった。このくらいの呪いでは慢心しない限りオレは死なない。


 それから体育館までの道のりには特別なことはなかった。結構な数の低級霊がたむろしていたみたいだが、めぼしいやつは大体狛犬たちに食い散らかされていたし、害のない霊にはこっちから手を出す理由がない。

 

「悪霊か。まあ、ここまではよくある話だな」


 体育館は外から見てもわかるほどにまがまがしい魔力を放っている。内部にいる異界因、この異界を支配している悪霊のものだ。

 階級は下から三番目のDランクといったところか。異界因として異界を維持する力を持つが、自由自在に異界そのものを操るほどの力はない。


「おじゃましまーす」


 あえて暢気に声をかけてから、体育館の中に入る。

 内部は悪霊の住処らしく薄暗く、窓からは不気味な赤い光が射している。壁には黒く乾いた血痕が残されており、空気からはすえた匂いがした。


 そうして、体育館の最奥、舞台上にそれはいた。


「あ――ア―――あ――」


 制服を着た少女。首には縄が掛けられ、左手は真っ赤に染まり、両足のつぶれた悪霊がこちらを見ていた。

 

「いっしょに――き――て」


 金属のきしむようなかすれ声が耳に着く。影になっていたと思っていた双眸は、その実、抉られた真っ黒なうろだった。


「お断りだ。心中相手は別に探せ」


 背筋に疼く恐怖をかき消すように、啖呵を切る。

 BABEL本編の描写によれば恐怖とは理解不能な物事への危険信号。オレはこの悪霊のことを理解できている。であれば、恐れる道理はない。


 というか、こいつの場合は見た目にすべてが現れている。首吊りに、リストカットに、飛び降り。どれも自殺を示す符号だ。この悪霊がそういった怪談群を元に象られたことはまず間違いない。


「だ、め。死ん――で?」


 悪霊が左手を上げる。膿んだ傷口が開き、赤黒い血液が周囲に飛び散った。

 

 分かりやすい攻撃だ。この血液に触れた対象に自分と同じ霊障を発現する類の呪詛。血液に触れさえしなければ問題ない、と見せかけて、蒸発した血液が気体になるからそれを吸い込んでもアウト、そんなところだろう。


 それに加えて、本来なら時間経過とともに最初に与えた霊障を悪化させることでダメージを与えるというのがこの怪異の異能の肝だと推測できる。

 しかし、そちらに関してはすでに解決済みだ。この程度の相手なら完封できる。だてに10年も修行に費やしてない。


「塞げ、不動塗壁」


 呼びかけに応じて現れたのは、一枚の壁。妖怪『塗壁』、河童童子と同じく一族相伝の式神にしてオレの防御の要だ。


 たった一枚の壁では心もとないように思えるが、不動塗壁はただの塗壁じゃない。塗壁という妖怪のもつ『道を塞ぐ』という概念を拡大解釈した能力を持ち、あらゆる攻撃、害意、呪いを塞ぎ止めることができるのだ。

 今も悪霊のばらまいた呪いはすべて壁の前でせき止められている。多少肥えている悪霊程度じゃこの守りは突破できない。


 悪霊は壁の向こうで躍起になって呪いを増幅しているが、そうしている間にこっちは攻撃準備を整えている。


「――ギッ!?」


「詰みだ。もう出てくるなよ」


 悪霊の首に、純鉄の獅子が食らいつく。鋭い牙は霊体を砕き、そのまま存在を無に還した。


 この少女に同情も、哀れみもない。というか、そもそも、こんな少女は実在しない。

 原作である『BABEL』の世界設定上、異界はそもそも人認識のゆがみから生じたものであり、実際の出来事の有無に関わらず成立するので、異界にいる人間霊は九割九分本物の死者の霊ではなく人々がそこにいると認識したものが異界の中で怪異として成立したものにすぎない。


 今回の場合は、特にわかりやすい。学校で自殺した少女の怪談なんて全国の学校を探せばいくらでも存在している。

 あの悪霊はそういったものへのイメージが集約されて成立したもので、この異界の元となった認識の歪みを生みだしたのもそういった怪談の一種だ。


 ともあれ、これで入学試験もクリアだ。ようやく正門に――、


「おっと、忘れてた」


 待機していた狛犬が奔る。その爪は背後に現れつつあったもう一体の悪霊を容易く両断、消滅させた。

 背後をちらりと振り返ると、消えかけのスーツ姿の男の霊が見えた。油断したところで背後から襲おうとしてたのだ。


「やっぱり教師か。気配はもうちょっとうまく隠せよ」

 

 おそらく怪談の中で女子生徒の自殺に教師が関与したバージョンでもあったのだろう。教師のせいで生徒が死んだのか、あるいはその逆で生徒が教師を殺したのか……おそらくは前者か。でなければ、後ろから襲うようなことはしないはずだ。


 悪霊たちの消滅に合わせて、異界自体も消滅を始める。一分もしないうちに廃校舎は完全に消えて、オレは聖塔学園の正門の前に立っていた。


 原作通り、新入生は正門の前で案内があるまで待機するように事前に通達が来ているのだが、周囲を見渡すと…………誰もいない。もう一度、確認してもやはり誰もいない。

 そうして、オレは自分が失敗したことを理解した。


「一番乗り……かませ犬っぽいな……」


 具体的に言えば、最初の強敵に殺されそうで嫌だ。勘弁してくれ。

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