第273話 悪神の哀涙

A級ダンジョン≪悪神の哀涙あいるい≫は、冒険者たちの間で指折りの不人気迷宮である。

出現モンスターは非常に強く、内部環境は過酷で、ここを縄張りに≪迷宮漁り≫をしようなどという物好きはいない。

名声を得んがため、あるいは自身の限界を知る目的で高難度迷宮に挑む≪踏破者とうはしゃ≫と呼ばれる者たちでさえ皆、この迷宮を攻略した後は二度と足を踏み入れたくないという感想を抱くのだそうだが、このS級冒険者であるフェイルードもその一人である。


「俺がこの迷宮を攻略したのは、もう五年以上も前のことだ。俺が立ち上げた旅団クランの前身になる当時のパーティのメンバーはそれこそこの業界の一流どころが揃っていて、光王家支援の≪オルディンの光槍≫だとか、≪隻眼せきがんの魔術王≫みたいな大規模パーティにも劣らない陣容だった。それが死力を尽くしてのようやくの攻略だったわけだ。迷宮から帰還してしばらくの間はそれこそしばらく抜け殻のようになってしまって、何もする気が起きなかった。思い出すのも嫌で、当時の資料なんかもその後、見返したりはしなかった」


「おぬしほどの男がそこまで言うのだから、よほどひどいのだろうな。それを、無理強いして、わざわざもう一度下調べを頼むなど、要らぬ苦労をかけてしまったようだな」


ショウゾウたちは≪悪神の哀涙あいるい≫の入り口の前で夜営し、翌日からの攻略の綿密な打ち合わせをしていたのであるが、その時にフェイルードの回想を皆で聞いた形だ。

たき火で温めた葡萄酒をそれぞれ手に、名うての冒険者たちの話を聞く。


「いや、やはり先行攻略は必要だった。レイザーたちが≪悪神の嘆き≫の方に挑んでいる間に、可能な限りの階層まで潜ってみたんだが、やはり記憶というやつはあてにならないな。俺が攻略した当時から変化している可能性も高いんだが、相当に勝手が違ってた。当時の感覚を取り戻すまで、ずいぶんと苦戦したよ」


「……では、やはり攻略は儂らだけで行う方が無難か。若手を庇いながら最下層を目指す余裕はあるまい」


「ショウゾウさん! それは、無いですよ」


話を聞いていたエリックが思わず立ち上がり、言った。


「エリックよ。今のフェイルードの話を聞いておっただろう。命に関わる。儂はお前たちを無駄に死なせたくないのだ」


「僕も、エリエンさんもあれから相当に経験を積みました。フェイルードさんたちには当然まだ及ばないけど、足手まといには決してなりません。同行させてください」

「私からもお願いします。私も守られてるばかりではなくて、ショウゾウさんのお役に立てるようになりたいんです」


エリックだけでなく、エリエンもどうやら本気で同行を望んでいるようだ。

必死な顔で訴えかけてきた。


レイザーは腕組みして、その二人の様子を眺めているが口を開く様子はない。


「駄目だ。足手まといにならぬということは、いざという時に見捨てられても構わないということだ。そうした覚悟まではあるまい。やめておけ」


ショウゾウは普段は見せない凄んだような目つきで二人を見た。


エリックたちはその迫力にたじろぎ、思わず口をつぐんだ。


「ショウゾウ殿、少し横からよろしいか?」


少し気まずい雰囲気になり、その沈黙を破ったのが、≪失われし魔法の探究者≫の異名をとるルグ・ローグだ。

魔導神ロ・キとの魔法契約を通じ、この男が何らかの接近があった疑いをショウゾウは抱いている。


「なにかな?」


身内の話に首を突っ込まれたくない気持ちを表情に隠さず、ショウゾウは言った。


「この二人のことに関しては、ショウゾウ殿は少し過保護ではありませんかな 」


「そうであろうか。≪悪神の哀涙あいるい≫は、伊達に難易度がA級と位置付けされておるわけではあるまい。エリックたちが成長著しいことはこれまでの話で聞いておるが、物事には段階と順序がある。それを一足飛びに行おうとすると高転たかころびすることが、往々にしてあるぞ」


「ショウゾウ殿の仰ることはごもっともだと思います。しかし、本人たちの気持ちを無視するのはいささか可哀そうではございませんか。人間には、無限の可能性があり、その成長のためにはこうした試練は欠かせぬものとわれは考えます。おのれの力量で確実に成功する体験しかしてこなかったものは、そこで成長が止まってしまう。ショウゾウ殿もそのことに思い当たる節はございませんかな? 彼らからその成長の機会と可能性を奪ってしまうのはあまりにも酷。なあに、我ら皆で、気を配れば、そうそう滅多なことは起こらないと我は思います。彼ら、特にエリエンにはそれだけの素質がございます。ロ・キ様もそのことはお墨付きを与えておりました」


ロ・キとの関係を隠す素振りも見せず、抜け抜けとよくも言ったものだ。

ショウゾウは内心で舌打ちしながらも、平静を装った。


エリエンについては非常に頑固なところがあり、もともと言い出したら聞かないところがあったのだが、エリックについては少し意外な感じがして、複雑な気持ちになった。

普段からどこか自信無さげで、内気で控えめなところがあったエリックがこれほどまでに自分の意見を主張することはめったになく、その成長に目を細めたくなる思いが無かったわけではないからだ。

エリックたちの成長を自分の目でも見てみたい。

そんな気持ちも少なからず湧いてきている。


そのわずかな心の迷いのようなものが、同行を認める結果に結びついてしまうことになった。


≪巨岩≫スティーグスや≪癒せぬ者無き≫フェニヤが、エリックたちの味方をするような発言をし、リーダーのフェイルードと≪自在剣≫ヴォルンドールはそれに何ら反対をせず中立の立場を示した。


場の空気からの流れで、エリックとエリエンは可能な限り同行するということが決まり、渋い顔のショウゾウを尻目に二人は大喜びした。


「レイザー、おぬしはどうする?」


唯一人、意見を口にしなかったレイザーだがそう問われると、「俺はショウゾウさんの考えに従うよ。ついて来いと言われれば、どこへでも行く覚悟はできている」とあっさりと答えた。

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