第274話 疑心渦巻く

誰が敵で、誰が味方か。

すべてが複雑に絡み合い、混沌とした様相を呈している。


光も闇も、関係ない。

善悪すらも超越して、各々がそれぞれの思惑と利害のために動いている。


誰は信ずるに足りて、誰は信を置くに足りないのか。


それを読み間違えれば、そこで一巻の終わり。


そういう人間をこれまでの人生でたくさん見てきた。


疑いに囚われて疑心暗鬼に陥り、かってに自滅する者もいたが儂とてもそうならないとは限らない。

大事なのは先入観を持ちすぎぬこと。


ルグ・ローグとエリエンが、ロ・キの側に取り込まれたとは限らぬし、仮にそうだからと言って必ずしも儂に不利に働くとも限らない。


今は油断なく、見定めること。それが肝要だ。


エリエンを無理にロ・キから遠ざけることは簡単だが、そうすることで儂の疑心と警戒が相手に悟られてしまい、逆に思わぬ事態を招く可能性もある。


幸運にもオルディン神との渡りがついたことで、今は打つべき手の選択の幅が広がっているし、今はそちらのパイプを太くしつつ、ロ・キとの三つ巴において、膠着状態に持ち込みたいところだ。


互いに迂闊に手を出せぬ。

そうした緊張状態のなかでこそ、交渉と駆け引きの妙が生きる。




ショウゾウは、そうした胸の内を誰にも明かすことなく、一行と共にA級ダンジョン≪悪神の哀涙あいるい≫に足を踏み入れた。


険しい岩山の断崖の末端部付近にある滝の裏側にある出入り口から直接地下へと続くくだり階段があり、地上一階は無い。


「階段の行き着く先が見えない。闇の中だ……。それに、寒い。息が白くなってきた」


すぐ前を行くエリックが呟いた。


ショウゾウたちは普段の装備品の上に毛皮などでできた防寒着を重ねて着こんでおり、それでも露出部分の肌からはこの地下階段の空気の冷たさが伝わってきている。


地上は、夜でも比較的温暖だったため、こうした厚着は必要なかったのだが、ここでは必須のようだ。

そして踏み面が凍結しているのか、やや滑る。


長く、緩やかな階段を下りてゆくと、ようやく小さな小部屋に辿り着いた。


ここからが地下一階で、おそらく目の前の扉の向こうには、ショウゾウにとって未知の危険や怪物たちが蠢いていることだろう。

耳をすませば、もうすでに何か魔物の呻くような声がここまで届いてきており、更にショウゾウにはフロア内を徘徊する複数の気配と生気エナジーの存在が確認できていた。


思わず剣の柄の握りの感触を確かめ、最初の扉の罠解除が終わるのを待つ。


ショウゾウのそうした緊張感を察してか、解除作業中のフェイルードが振り向くこともせずに、手を動かしながら声をかけてきた。


「ショウゾウさん、この迷宮の魔物の再出現リポップ周期はおよそ半日だ。最深部まで行って、戻って来た時にはほとんどの魔物が復活している。余力を残して先に進まなければ、二度と地上の景色を拝むことはできなくなるぜ」


「……ずいぶんと短いのだな。それでは、≪休息所≫での長居もできそうにないし、なかなかに過酷な工程となりそうだな」


ちらりとエリックたちの方を見ると、昨晩の威勢の良さはどこへやら青ざめた顔をしていた。


「……さあて、罠の解除と鍵開けが終わったぞ。こいつの復元周期もだいたい同じ半日くらいだ。向こう側から開けるときも同様の作業が必要になる。面白いだろ? こんな迷宮は他にはない。扉の鍵っていうのは、だいたい内側からの開錠なんか必要ないものなんだ。しかもご丁寧に罠まで仕掛けられている。侵入を阻む以外に、脱出をも防ぐコンセプトなんだな。こうした扉が、≪悪神の哀涙あいるい≫には多く存在する。もし仮に途中で、俺とレイザーの両方が死んでしまっていたら、帰りは相当に難儀することになるだろうぜ」


「もし、魔法などで扉ごと吹き飛ばしたらどうなる?」


「……それは可能だと思うが、この頑丈で分厚い扉を一つ一つ壊していったら、相当な≪魔力マナ≫の浪費になる。まあ、あんたは、大丈夫だろうが……並みの魔法使いでは、立ちはだかる魔物の相手もせねばならぬし、すぐに立ち行かなくなるだろうね。どうかな? お二人さん、引き返すなら今のうちだぜ」


「フェイルードさん……。私はもう覚悟を決めたんです。もし、足手まといになりそうになったら、見捨てていただいて構いません」


「ぼ、僕も。大丈夫です」


「そうか……。それじゃあ、もう訊かないぜ。これからは一人前の仲間として扱う。そのつもりでな」


フェイルードは、そう言うとショウゾウの方に視線を向けてすまなそうな顔をした。

どうやら、フェイルードはショウゾウの二人に対する心配に配慮してくれたようで、翻意を促そうとしたようだが、失敗に終わった。



地下一階から地下五階までは、呼気凍てつく氷点下の迷路が続く。


フェイルードが開けてくれた扉の向こうは、室内であるにもかかわらず氷の世界だった。

肌を刺してくる冷気と見渡す限りの氷。

例えるならば氷の鍾乳洞であった。


よく見ると石造りのホールの天井や壁、そして床が分厚い氷で覆われて、そのような景観を作り出しているのだ。


ショウゾウでさえ、この光景は想像だにしておらず、同様に初めて目にするエリエンたちも思わず感嘆の声を上げていた。


ひとつ階をくだる毎に、体感でわかるほどの気温低下があるという話だったが、その変化はエリエンのおかげでほぼ感じずに済むことになった。


かつては水魔法といくつかの命魔法しか使うことができなかったエリエンであったが、しばらく会わないうちに多くの魔法を魔導神ロ・キとの契約により得ていた。


エリエンは、火魔法の≪火陣ローカ≫を絶えず展開させ続けることで、周囲の冷気を緩和させ、しかもルグ・ローグが使用する火魔法の威力を高める役目を買って出たのだ。


そう、≪火陣ローカ≫は本来、火魔法を得意とする者がさらにおのれの魔法の威力と≪魔力マナ≫効率を高めるために使用する補助魔法で、効果範囲内の気温が汗ばむほどに上昇するのだが、その副次的効果を利用した形だ。

迷宮内の氷がすぐに溶け出すほどの温かみは無い。

それでも、皮膚が凍傷になるのを防ぐ程度には有効であったのだ。


だが、火魔法の属性素質をもっていないエリエンがこれを維持し続けるには、大きな負担を要する。

膨大な≪魔力マナ≫とそれを制御するセンス、そして強い精神力が必要だ。


これ一つだけを見ても、エリエンの成長は見て取れる。


だが、嬉しく思う反面、ロ・キから得た恩恵と影響の大きさをショウゾウは感じずにはいられなかった。


そして、ルグ・ローグとエリエンが魔法を使うほどに、ロ・キの≪魔力マナ≫は幾ばくかは増すことだろう。

たった二人の契約者から得られる≪魔力マナ≫などたかが知れているようにも思うが、未だその力の全容を見せていないロ・キに塩を送るような状況は内心で面白くは無かった。


「やれやれ。どうしたものかな……」


ショウゾウは、押し寄せる迷宮の魔物たちを火魔法で撃退するルグ・ローグとそれを支援しているエリエンを横目に呟いた。


そして自身も、目の前の氷巨人の大腿部を長剣で斬り下げる。

聖光付与サクリス≫を帯びて輝く≪主君殺しディルムント≫の刃は、そこに宿る≪精霊力≫の影響で通常よりも固く凝集しているらしい氷の塊をいともたやすく切断した。


切断面は焼け融けて、バランスを崩し倒れた氷巨人の損傷個所を広げていく。

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