第272話 戦姫の焦燥と憤り

ショウゾウが去った後のヘイノー城では、ヴァルキュリャであるスリマが、主であるビレイグに詰め寄るような一幕があった。


スリマの凛と響く声が城内に響き、そのあまりの剣幕にビレイグは苦笑いを浮かべるほかはなかった。


「私は承服しかねます!あのショウゾウは、紛うことなき悪の権化。あのような怪しげなものと相容れるなど、ありえません。いえ、あってはならぬのです」


「やれやれ、普段は冷静なおぬしが此度はやけに激しておるではないか」


「激してはおりません。ただ、あのショウゾウをみすみす取り逃がしたことが口惜しくてならないのです。城内に引き入れ、袋の鼠とした迄は良し。それを狡猾なショウゾウめの口車に乗り、一芝居打つなどと……」


「やはり激しておるではないか」


「ビレイグ様、スリマはショウゾウに心搔き乱されているのです。男が群がるような美しい女だと褒めそやされて……。きっと、生まれて初めてのことですものね」


ヴォルヴァがからかうような笑みを浮かべつつ、横から口を出す。

スリマの紅潮した白い肌がますます赤くなり、その眉が吊り上がった。


「ヴォルヴァ! 私をからかうのか」


「おー、怖い怖い。ムキになるところを見ると、ますます怪しいわね。あのおじいの姿の時とは異なって、正体の若者の時はなかなかの美丈夫だもんね。少し骨太で男らしい感じがスリマの好みに刺さったのかな?」


「おのれ……」


黙っていられぬとばかりにスリマが、手に持つ≪冷月刀れいげつとう≫をわななかせた。


「これこれ、やめぬか。いつまでも子供ではあるまいし、そのぐらいにせよ」


「ビレイグ様がいけないのです。ショウゾウをあの場で一思いに討ち取ってしまわれぬから……。そうでなければあの芝居の最中にでも殺してしまわれたら良かったのに」


「スリマ、若いな。それこそがまさしくあやつの思う壺よ。ショウゾウは、常に誘っておったのだよ。お前の言う通り、まさに殺すには、今が千載一遇の好機であるぞとな。事実、我も相当にそそられたぞ。≪極大光爆波ヴォルドゥオーラス≫のあと、危うく止めを刺しに行きたくなってしまった」


「であれば、なぜです? ビレイグ様、なぜ躊躇ためらわれたのです!」


「よいか、スリマよ。あのショウゾウにはおそらく何らかの備えがあったのだ。ああして、我らに囲まれていても生きてこの城から脱出する、あるいは戦闘になった時の算段があった。ショウゾウには自信があったのだ。どのような窮地に陥ろうともそれを脱する自信がな。その証拠に奴の呼吸は穏やかで、その鼓動は乱れることが無かった。あの豪胆さ、実際に大したものだとは思わなかったか?」


「それは……」


「ヴォルヴァよ。お前はショウゾウをどう見た? 」


「……私の占うところによれば、ショウゾウとのこの出会いは吉兆。付け加えるならば対立関係になるのは、凶。それも大いなる災いを招くことになると出ています。もし、ビレイグ様がスリマを止めていなくても、私が止めておりました」


ヴォルヴァは糸巻き棒の先をくるくると回しながら、先ほどとは打って変わって、神妙な面持ちで答えた。


「……そうか。おぬしのはよく当たる。我もよくよく肝に銘じておくことにしよう」


「ときにビレイグ様はなぜ、ショウゾウを見逃されたのですか?」


「ははっ、見逃したのではない。見逃さぬために今は行かせてやることにしたのだ。先ほども言ったが、ショウゾウに逃走のための備えがあった場合に、もし殺し損ねたなら、対立は確定的なものになってしまう。そうなったならば、もうどう取り繕うこともできん。自ら選択の幅を狭めてしまうことになろうし、何より我はまだあの男を計りかねておる……」


「珍しいですね。真贋を見定めるその隻眼でもショウゾウの真価は見通せなかったと?」


緋色の髪をもつヒルドルが好戦的な目をぎらつかせ、興味を示す素振りを見せた。


「スリマは、ショウゾウを悪の権化と簡単に断じたが、悪とはそもそもなんだろうか? 我はこの大陸に戻ると決めた時、もっと最悪の事態を想定していた。≪呼び名ケニング≫の後継者たる光王が殺されるほどの闇の者の出現。そこから想起される闇の勢力たちの復権。そして封印を解かれた≪光の使徒エインヘリヤル≫らの暴走を考慮すると、現状よりももっと凄惨な被害が出ていてもおかしくはないと考えていたわけだ。だが、こうして舞い戻って来てみれば、表面上はどうにか、我らの介入がすぐに必要なほどの危機には瀕していなかった」


「それが、ショウゾウのおかげであると?」


「そこまでは言っておらん。あやつが我の血を引く者らを多くあやめ、このノルディアスを思うがままに牛耳っていることにいきどおりを覚えていないわけではないのだからな……。だが、我らはこの地を離れて久しい。状況を把握するには、今しばしの時を要する。あのショウゾウが≪呼び名ケニング≫を宿さぬいつわりの王ルシアンの背後にいることは此度の出会いで明らかになったことであるし、あのロ・キのただの手駒ではないこともおおよそ分かった。なぜ、あのショウゾウが一思いに光王家を滅ぼし、自らノルディアスに君臨しようとしておらぬのか、その目的が何であるのかなどの疑問と謎は尽きぬがそれはおいおい、あの者を通じてわかることだろう。よいか、娘たちよ。悪を悪と断じるのは簡単なことだ。あのショウゾウは少なくとも聖人君子、善人の類の人間ではないことは一目瞭然であるが、だからといって我らにとって不要の存在とも限らない。あのショウゾウは、この地の現状を知るための絶好の情報源であり、なおかつ危ういアスガルド全体の秩序と均衡を保つ調停者バランサーの如き役割を担う存在になっておると、我は見ておるのだ」


「なるほど。つまり、ビレイグ様はあのショウゾウが、我らの目的を果たす上で、有用である可能性を示唆しておられるのですね」


「まあ、そういうことになる。我としては、このアスガルドのみにいつまでも煩わされておるわけにはいかぬし、まだ為さねばならぬことも多い。力の浪費は、ロ・キの喜ぶところになるであろうから、出来ることなら、無駄な争いは避け、省ける手間は省きたいのだ。各地の状況を把握するために、あてのない旅をし、居所のわからぬ相手を訪ね歩くなど徒労に終わるのは目に見えている。そして、そうだな……言うなればあの漁村の村長が言っていた釣り人の境地だ。こちらから出向くのではなく、ゆるりと糸を垂れて、大魚を釣る。我という大きな餌につられて、獲物がやってくるのをじっと待つのだ。実際にこちらから出向かずとも、ロ・キもショウゾウもこうしてやって来たであろう?」


ビレイグは得意げにその分厚い胸板を張るようにして話を続けた。


「あの忌まわしくも偉大であったヨートゥン神の力を宿しているらしいことも忘れてはならぬ。ロ・キも蘇った≪光の使徒≫たちも未だ目立った動きを見せていないのは、おそらくあの男の存在を警戒してということもあるのだろう……。各地に点在して感じるその他の闇の気も正体が知れぬところであるし、とにかく、あのショウゾウを我らの敵とみなすかどうかは、我にしばしの猶予を与えてくれぬか。わからぬものをわかった気になって、決めつけてしまうことは安易な道だが、それこそ愚者の行いよ。あのショウゾウがいかなる存在であるのか、ここはしばしヘイノーの釣り名人のごとく、辛抱強く見極めようではないか。この当りは、竿を引いても良いものか悪いものか。釣り上げる機を見誤ってはならん。物事にはそれを為すにふさわしい状況があるのだ。スリマよ、わかったか? そういうことなのだ」


ビレイグは、宴のあとのテーブルに残っていた焼いた小魚の尻尾をつまみ上げると、それをひょいとおのが口に放り込み、満足げな笑みを浮かべた。


その様子をヴァルキュリャの娘たちは、各々の思惑や感情が表れた顔で見つめていた。

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