第262話 ビレイグの反乱

ヴォルヴァが危惧していた以上に、コイエット男爵領内の混乱は大きくなってしまった。


城から逃げ出したダデルスワル家の者たちが、集まって来ていた群衆と何らかの理由でいさかいになり、乱闘騒ぎになったようなのだが、それがきっかけとなり大きな暴動に発展してしまったのだ。


暴動を鎮圧しようと別邸からわずかばかりの兵を連れて駆けつけたコイエット男爵家の当主カルーデンだったが、数百にも膨れ上がった暴徒たちを前にしてはどうすることもできずに逆に囚われの身となってしまった。


ヘイノーの住民たちは、領主に日頃から課されていた重い税とダデルスワル家が赴任してきて以後加わった賦役、侵略してきたワールベリ王国に対する貢物のための臨時徴収。そして高圧的なオーバリーが周辺住民との間で起こした諸問題など、列挙すれば限りが無いほどの恨みつらみを抱えており、それが一気に爆発した形だった。

引き金になってしまったのは、城門前での、ビレイグの衛兵たちに対する大立ち回りだ。

圧制者に与する者たちを気持ちいいくらいにバッタバッタと薙ぎ倒すビレイグの姿に、住民たちは勇気を貰い、その背を押されてしまったようだった。


騒ぎに気が付いたビレイグたちが城から駆けつけた時には、熱狂した群衆によってカルーデンは縛り首になっており、ダデルスワル家の者たちも制裁を受けてしまっていた。


ヘイノーの住民たちは、やって来たビレイグをその武勇から、ひとかどの人物であろうと誉めそやし、おだてて自分たちの代表者となってくれるように頼みこんできたのだ。


これは百を超える領主の兵をものともしなかった武勇をあてにした下心見え見えのものであったのだが、こうして頼み込まれると放っておけなくなるのが、ビレイグの性格であった。


狂乱の熱気が去って、正気にもどった住民たちは外王族や領主家に対して行った自分たちの暴挙が急に恐ろしくなったのかもしれない。

いつのまにか扇動を行った首謀者がビレイグとその一行だったことになり、のちにその噂は各地に広がっていってしまうことになる。


片目の者ビレイグ≫の反乱。


コイエット男爵領で意図せずして発生してしまったこの暴動は、いつしかこうした呼ばれ方をするようになる。




「はあ……」


「どうした、ヴォルヴァ。そんなに大きなため息をついて。なにか、悩み事でもあるのか? それに食が進まんようではないか。酒も料理も、大昔に比べれば、かなり進歩しているぞ。まあ、肉は魔物のものと比べると魔素と滋養が乏しいが味付けでその物足りなさを補っている。これはこれで悪くない」


ビレイグは、地下牢から助け出した女たちが作ってくれた家庭的な料理の数々を、数人のヴァルキュリャたちとともに卓を囲み、楽しく食事をしていたのだが、ただ一人浮かぬ顔のヴォルヴァの様子が気になり、思わず声をかけた。


「ビレイグ様は、よく平然としていられますね。こんなに大事おおごとになってしまって、一体全体どうするおつもりなのですか!?」


「はっ、はっ。そんなことを気に病んでいたのか。大丈夫。我に任せておけばよい」


「任せておけないから、こうしてため息をついているのです! そもそも以前は、神はみだりに人間の営みに関わってはならぬと仰っていたではありませんか。それが、どうです? 幾人も自らの手でその命を奪ったばかりか、住民たちに祭り上げられて、暴動の首謀者にされかかっているんですよ」


「首謀者? まあ、主な原因を作ってしまったのは我であるし、それほど状況に差はあるまい。それに、こうして受肉し、今は一介の人間ビレイグよ。千年も人間をやっておると次第に考え方も変わってくるのだな。地上に二本の足で立ち、こうして食事などをとることで肉体を保つよう努めていると、純粋な神であった頃の景色とは別のものが見えてくる。人間をより愛おしく思えるようになり、それと同時に失望も大きくなるようだ。当面は、神ではなく、一人の人間として、積極的にこのノルディアスに介入していくつもりであるから、お前たちもそのつもりでな」


「積極的に介入ですか? それはどういう……」


「実は、そこの犬めに、光王宛ての書状を書かせておる」


ビレイグはそう言いながら、長い髭が生えた顎で部屋の隅の方を指した。

そこには全裸で首輪をされた状態のダデルスワル家当主オーバリーがうずくまっていて、ぶるぶると震えている。

顔にはおしろいが塗られ、右目にはゴンドゥルが書き込んだ≪服従の円環≫のまじないがある。


「こいつ、王族のわりに教養がまるで無くてな。字も下手だし、誤字脱字も多い。だから、あとで誰かに清書してもらわねばならぬのだが、これが出来上がり次第、今の光王にある申し出をしようと思っておるのだ」


「申し出……でございますか?それはどういうものなのでしょうか」


長く青い髪のエルルーンがその冷静なまなざしをビレイグに向けた。


「うむ。それはな。この地を我らに与えよという申し出だ」


「はあ? 」


ヴォルヴァが顎が外れんばかりの大口を開けて、疑問の声を漏らす。


それは、申し出ではなく、要求ではないかとその場にいたビレイグ以外の全員が内心でそう思った。


「名案であろう。死んだということになってしまっているこのオーバリーが実は生きていて、我らの手厚い庇護のもと何不自由なく暮らせていると、まずは知らせてやるのだ。そして、そのことに深い感謝の念を抱いているとともに、この地の領主であったコイエット男爵に代わって、我を推挙したい旨、上奏させる。コイエット男爵家の圧政や不祥事などあることないこと書き連ね、逆に我のすばらしさを列挙させるのだ。新たな領主貴族として、認めたくなるようにな」


「そんなに都合良く話が進むわけないでしょう!」


「そうかな? やってみなければわからんと思うが……」


「そんな子供でも思いつくような案は却下です! ビレイグ様、そろそろ、その肉体は新しいものに交換しましょう。もう完全に耄碌もうろくしちゃってますよ。そもそも、こんな土地をもらってどうするんですか。私たちにはエインヘリヤルを制御下に置くという大事な目的があったのではなかったのですか? 闇の怪老ショウゾウは? このアスガルドの民を正しい秩序と繁栄に導くという理想はどうなるんですか!!!」


「……エインヘリヤルについては、おそらくもう手遅れであろう。あのロ・キの話しぶりからすると、あの娘たちはもうあやつの手の内にあるとみてよい。異物である人間の魂を、死せるヴァルキュリャの蘇生と復元に用いた影響で、あの娘たちの心の内にはそれに対する嫌悪、そしてそれを排除したいという殺戮衝動が宿ってしまった。程度の差はあるが、元の性格はほとんど失われ、血の通わぬ怪物の様な存在に成り果ててしまった。これはすべて我の至らなさと責任であるのだが、その彼女らがこうしてその衝動を抑え、大人しくしておるところを見ると、それはロ・キによる何らかの方法での抑制が為されていると思われるのだ。今、エインヘリヤルたちにこちらから接触するのは、ロ・キの罠に自ら飛び込んでいくと同じ。闇の怪老ショウゾウについては、こうして探ってみても≪闇の気≫は感じられない。そうした闇に属する者たちが持つ邪なる気を押さえ隠す術を身に着けているのか、あるいはどこぞの結界の中にでも潜んでいるのやもしれぬが、とにかくこの広大なアスガルド中を探し回るなど効率の悪いことはしてられん。向こうが我を放置しておけぬ状況に持ち込み、向こうから接触させた方が話が早い。アスガルドの民を正しい秩序と繁栄に導くというのは、こうした諸問題がすべて解決してからのことだ。それに、このちっぽけな土地の領民を不幸にしておるようでは、そんな理想など絵空事に等しい」


「ビレイグ様にはちゃんとした考えがあったのですね。てっきり呆けちゃったのかと思って、心配してました……」


「ヴォルヴァ……。前々から思っておったんだが、お前、父である我をちっとも敬っておらぬな」


ビレイグの残念そうな問いに、ヴォルヴァはすまなそうに、俯きながら、「はい」と答えた。

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