第九章 隻眼の神と闇の帝国

第260話 もう一人のオールドマン

偶然訪れた漁村で、おのれの血を引く外王家の人間による横暴を知ることになったビレイグは、村長のハセと村の年寄りたち、そして供のヴァルキュリャを連れて、ダデルスワル家が滞在しているヘイノーの街に向かった。


目的は連れ去られた女たちを返してもらうこと。


ハセの話に深く同情してしまったビレイグは、ヴォルヴァが止めるのも聞かず、この漁村のために一肌脱ぐと約束してしまったのだった。

徴兵されていった男衆はもはやこの地を出立してしまったらしいので、せめて女たちだけでも取り返そうという気になったようだ。



ヘイノーはコイエット男爵領最大の都市であり、二つの迷宮と炭鉱から得られる富によりとても栄えている。

国境を一部接するワールベリ王国の侵攻においても、その所有する財貨から多額の貢物をし、裏でつながりを持つなどして戦火を免れたのであるが、そのコイエット男爵家に寄生する形でこの地に滞在しているのが外王家のダデルスワルの一族である。


ダデルスワルの若き当主オーバリーは、好色家、それも一風変わった性癖を持つ人物として別天地では有名である。

「女の体の研究家」を自称するこのオーバリーという男は、奴隷女を頻繁に購入しては、拷問まがいの様々な実験を行い、如何にすれば女体が孕みやすくなるのかなど、その精神状態や体位の関係に至るまで調べることをライフワークにしている。


それは、優れた女性を産みだし、光王宗家に嫁がせることを宿願とする外王家にとっては、ある意味、趣味と実益を兼ね備えたものであったのだが、それが許されていたのは別天地の中でのこと。


コイエット男爵をはじめとするヘイノーに住む人々はこうしたオーバリーの悪趣味とも悪業ともいえる行いの数々が次第に大っぴらに行われるようになると、眉根を顰め、嫌悪するようになっていった。


しかし、この国の支配者たる光王家に連なる外王家の人間を追い出すわけにはいかず、むしろ新たなる光王が即位した暁には、その執り成しなどをしてもらう都合上、任務を果たし、王都に帰るその日までは歓待を続けるほかは無かったのである。


コイエット男爵は、居城をその滞在先としてダデルスワル家に明け渡し、自らは一族を連れて、別邸に移るなど、まさに最大限のもてなしを続けていたのだが、そんなある日のこと、オースレンでの新光王即位の報がこの北の大地にも届いたのである。


オーバリーは、大将軍のデルロスが募兵を行っているなど、新光王ルシアンが外敵を追い払うための兵を欲していることを聞くと、コイエット男爵に命じ、派兵のための民兵を集めるよう命じてきた。


自らの栄達を望んでいたコイエット男爵は、この命令に従い、部下たちに村々を徴兵して回るよう指示したのだが、それに同行したオーバリーの側近たちが村の若い娘たちをも自らの主に対する貢物にすることを思い立ったのが、村々をさらに苦しめることにつながってしまった。


そうして集められた娘たちは地下牢に閉じ込められ、夜な夜なオーバリーの怪しげな実験の犠牲にされてしまっていたのである。




「おい、じじい。ここは貴様のような下賤の輩がうろつく場所ではない。そうそうに立ち去れ」


ビレイグは、オーバリーが滞在しているというコイエット男爵家の城を訪れ、城の正門にひとり歩を進めたのだが、門を守る衛兵によりその敷地内への侵入を阻まれてしまった。


「そうはいかん。この門をくぐってはならんというのであれば、オーバリーとかいう愚か者をここに連れてくるのだ」


「き、貴様! オーバリーさまを愚か者といったのか。なんという畏れ多いことを。オーバリーさまは名門ダデルスワル家の御当主。偉大なるオルディン神の血を引く一族の御方であられるのだぞ。おのれ、かくなる上はひっ捕らえて、縛り首にしてくれる」


「おう、やってみよ。縛り首には慣れておる。九日九夜、自ら修行のために吊られておったのが懐かしいわい。そんなことより、上役に尻尾を振るだけの能無しに我を捕らえることなどできるのかのう?」


「このじじい。くだらない戯言を……後悔させてやる」


衛兵は顔を真っ赤にして、ビレイグの胸ぐらを掴んだが、思いのほかその背が高かったこともあり、思ったように体が浮き上がらなかった。


「たわけめ」


ビレイグが右の拳で目の前の頭を殴りつけると、兜ごと陥没してしまった。

そして勢い余ってその背骨はへし折れ、衛兵は白目をむいて、奇妙な体勢のまま地面に崩れ落ちてしまった。


遠くの方から、連れてきた老人たちの悲鳴のような声が上がる。


「ビレイグ様! なんという大人げないことをなさるのです」


眼の色を変えてヴォルヴァが駆け寄り、その手に持った糸巻き棒を振り上げた。

少女のまだあどけなさが残る顔に不似合いなほど目が吊り上がっている。


「おい、落ち着け。まさか、その棒で我を殴る気ではあるまいな」


「ま、まさか……。でも、ビレイグ様、相手はただの人間。しかも、職務に忠実な普通の門番さんって感じじゃなかったですか。なにもこんなにひどい仕打ちをしなくても……」


「いや、ついカーッとなってしまってな。じじい、じじいと二度も我を呼びおったし、ああして胸ぐらなんぞ掴まれては、つい体が勝手にな」


「じじいをじじいと呼んで何が悪いんですか。本当のことじゃないですか」


「本当のことならば、何を言ってもいいということにはならん。年長者は敬うのが当然であろう。それに……」


ふと我に返ると周りを大勢の兵士たちに取り囲まれていることに、ビレイグは気が付いた。


兵士たちは各々、槍などの武器を構え、怒気を孕んだ表情でこちらを睨みつけてきている。

ビレイグの放つただならぬ気配をさすがに感じているのか、かなり警戒しているようだが、今にも飛び掛かってきそうな雰囲気だ。


「なんじゃ、おぬしらは? 我と一戦交えようというのか。やれやれ、千年ぶりに戻って来てみれば、人間は成長するどころか、退化しているようにさえ見える。……いいじゃろう。相手をしてやる。かかってこい」


手に持つ杖が、瞬く間に、古めかしい豪槍の姿に変わる。

そして、その輝く槍先は、まるで生きた蛇のように揺らめいた。


「はあ……。ビレイグ様。これから、いったいどうされるおつもりなのかしら。こんなに騒ぎを大きくしちゃって、私、どうなっても知りませんよ」


ヴォルヴァはがくッと肩を落とし、眉間を押さえて項垂れた。

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