第259話 王国を覆う闇

魔導神ロ・キが異なる世界から持ち込んだ不破昭三ふわしょうぞうという名の災いの種子が、今やこのアスガルド大陸中に根を張り、かつて強大国の名をほしいままにしていたノルディアス王国全体をも闇で覆いつくすほどの存在になりつつあった。


世界の裏側にある≪虚界ヴォダス≫から、狡猾なる権謀術数と多士済々たる眷属たちの力を用いて、その中枢を操り、周辺諸国の命運さえ左右する今のショウゾウは、まさしく闇の支配者と呼ぶにふさわしく、その勢力の増大はとどまるところを知らない。


そして、その闇の伸張は、肉体を蝕む病魔のように、人知れず、だが確実に進行していた。


大陸に暮らす無辜むこの民たちにとっては、自分たちの命運がまさか一人の人間によって握られていようなどとは、露ほども思ってはいまい。

だが、それも無理からぬこと。

変わらぬ日常の裏側で、どこの誰が世の流れ、世の仕組みを司っているのかなど、日々の生活に追われる中で、気に留める余裕などは無く、戦乱によって荒れ果てたこの世界で生き延びることで精いっぱいのことであったのだ。



千年にも及ばんとする歴史を誇るノルディアス王国の光王ルシアンは、ショウゾウの傀儡かいらいとなり、それをどうにか支えようと奮闘するデルロスら家臣の者たちもまたその闇の支配力によって、抗うことができずにいた。


政庁や軍など国の統治組織だけでなく、下々の生活の場にさえも≪魔人≫や≪蜘蛛≫と呼ばれるショウゾウの息がかかった者たちが紛れており、些細な反逆の芽も這い出る隙が無い。


さらにその状況に拍車をかけているのが元宰相のデュモルティエの存在だ。


当初は、前光王政権の重鎮であり、諮問会議の七人のメンバーの中でも外王家出身の数少ないルシアン擁護派であったのであるが、最近ではすっかり骨抜きにされて、オースレン入都時より世話になっていた豪商メルクスの言いなりになってしまった。


そして、その傾向は日を追うごとに強まり、まるでその家来であるかのように、進んでメルクスの意を組み、円滑にその提案が推進されていくように働きかけるようになっていったのである。


そのデュモルティエであるが、最近は特に十歳ほども若返ったと噂されるほどに元気で、精力的に光王政庁内でその影響力を発揮している。

そして、王族出身の有力者たちをおのが派閥とし、デルロスに付き従う親光王派を圧倒するほどの勢力を、いつの間にか築き上げてしまったのだった。



そんなある日のこと、デュモルティエは、その勢力を束ねる長として、思いもよらぬ上奏を光王ルシアンにおこなったのだった。


「私に、皇帝を名乗れというのか?」


「はい。おそれながら、陛下は、周辺国からの侵略を防ぎ、さらにウプサーラ王国の併合をも成し遂げられました。その声望と威名は、国内のみならず諸外国に広く轟き、民草もそれを望んでおります」


「……わからぬな。それは誰の入れ知恵だ。戦禍によって疲弊した国内の状況を考えればそのようなことをしている場合ではないと思うし、何より未だ目と鼻の先にある王都の奪還もままならないでいるのだ。皇位僭称せんしょうなど有り得ぬ。後の史家たちの物笑いの種になるぞ。不愉快だ。下がれ」


「これは、誰の入れ知恵でもありません。ルシアン陛下が皇帝になられることで、周辺国に今一度、己が立場を考えさせる機会を与えることになります。ウプサーラ領を加えたことで、もはやノルディアスはこの大陸のおよそ半分ほどを支配しており、諸王の上に君臨する皇帝を名乗ったとて何もおかしくはありません。陛下が皇位に昇ることに賛同する国にはその権威をお認めになり、そうでない国には直ちに兵を差し向け、ウプサーラのごとく併合してしまえばよいのです」


「お前は再びこのノルディアスに戦火をもたらそうというのか? 万が一、再び、彼の国々が連合し、牙をむいてきたらどうするつもりだ。今の我が国にそれを迎え撃つだけの兵と物資があると思うのか」


「そうした戦にはならぬと、陛下が頼りにするメルクス殿が仰っていました。もし仮にそのような事態になってもこちらで何とかする、とも」


「メルクス……。やはり、あの者の差し金か。お前もすっかり取り込まれてしまったというわけだな」


「取り込まれたなどとは人聞きが悪い。すべては陛下の御為おんため。メルクス様の正体をあなた様も知らぬわけではありますまい」


「そうか、すべて知った上での此度の上奏というわけか。そうであるならばわざわざ私を通さずとも、あの瓜二つの影武者にでも了承させればよかろう。私はただの玉座の飾り。それも、いくらでも替えの利く飾りなのだ」


「そんな風に、悪くお思いになられますな。メルクス様に従っておれば、私も陛下も安泰。あのお方は、オルディン神だの、他の神々だの、救いを求めても答えてくれぬただの偶像とは違う。目に見える大いなる奇跡で、矮小な人の子に過ぎぬ我らを導いてくれる、まさしく生ける神そのもののような御方なのです。くだらぬ見栄や理想などはこの際、捨ててしまいましょう。我らはただひたすらにあのお方について行けばよい。それで幸福でいられるのです」


そう言って、贅沢三昧で肥えた体を揺らすデュモルティエの醜悪な笑みに、ルシアンは見るに耐えぬとばかりに玉座を立ち、両脇に控えていた侍従を引き連れて大広間の奥の方に姿を消してしまった。


唯ひとり、その場に残されたデュモルティエもまた、「可愛げのない小僧だ」と呟き、その場を退いた。







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