第247話 人間の命運
オースレンを出た時の兵はわずか三百。
そこから各都市を巡り、募兵を続けて五千を超える軍勢を整えはしたものの、南の国境を侵犯してきたウプサーラ王国はその倍近い兵数を誇っている。
いかにして寡戦に勝つか、デルロスは未だその答えを見いだせずにいた。
ウプサーラは、命の魔法神ドリュアスを強く信仰しており、その軍勢にはおそらく命魔法の使い手を引き連れてきているはずだ。
負傷者を立ちどころに癒し、戦線に復活させる命魔法は、ウプサーラ軍の粘り強さの根幹をなしており、数で劣るノルディアス軍にとっては分が悪い相手であった。
デルロス率いるこの軍勢にも元
二百年以上前に、大陸中で起こった排斥運動により、現在は魔法の使い手自体が貴重な存在である。
しかも、ノルディアスはこの排斥運動の発端となった国であり、不当な差別により命を奪われた魔法使いの数は、他国に比べて、群を抜いて多かったのだ。
その影響が今でも残っており、こと軍事の魔法に関する分野においては、ノルディアスは他国に大きく後れを取っている。
「おお、良かった。まだ休んでおらんかったか」
突如、幕舎の隅の方の空間に大きな穴のようなものができて、そこからショウゾウが現れた。
「デルロス卿、そのように難しい顔をして何をお悩みかな?」
自らが未だ手配中の人間であることを忘れているかのような気安さで堂々とこの場に現れたショウゾウに、デルロスは思わず呆気にとられた。
メルクスの姿であればまだしも、デルロスが一声叫べば、見張りの者を含め、幕舎の外の大勢の兵が殺到してくるのだが、そのようなことを微塵も恐れていない様子だ。
ショウゾウは王都で忙しくしていたようであるし、突然陣中に現れるなど、デルロスは考えていなかった。
「……悩むも何も、我らの方が圧倒的に不利なのだ。地の利はあれども、兵の数に差がありすぎる。せめてあと二千あれば、野戦に持ち込むことも可能だが……」
ウプサーラ軍は、ノルディアス王国南部の国境付近にある一部地域を占領しており、デルロスが率いる軍勢の接近を察知して、もうすでにここから二日ほど進軍した先のハンサ平原に布陣しているという斥候の報が届いている。
ハンサ平原はその名の通り南部を代表する一面拓けた広大な平野で、身を隠す場所もなく、奇襲などの寡兵が用いるべき軍略を取りにくい。
真っ向からぶつかるとなると、仮に勝利できたとしても多大な損害が自軍にも出てしまうであろうことが容易に予測できる状況だったのだ。
「さすがは王国軍を統括する大将軍殿だ。思慮深い。血気盛んに正面から突撃するような猪武者でなくて、善かった」
「しかし、ここでいつまでも睨み合いを続けていても仕方がない。そのうちウプサーラ軍の方が焦れて突撃してくることもあり得る。念のため周辺の領主貴族たちには、増援の兵を出すよう催促したが、合流にはまだ時が必要であろうし、その時をどうやって稼ぐか考えねばならんのだ。お前の差し金であろうが、ルシアン様の署名でウプサーラ軍を撃退せよと命令書が届いているのだからな。撤退はできん」
「なるほどな。やはり、用事のついでに、ここに立ち寄って正解だったな。おぬしはいくつか誤解しておる」
「誤解だと?」
「そうだ。その命令書は儂が自ら書いたものではないから、文面はわからぬが、ギヨームに伝えたのはウプサーラ王国への侵攻だ。デルロス率いる軍を南下させよとは命じたが、その軍でウプサーラを撃退しろなどとは伝えていない。どこで、どう間違ったのか。儂が言葉足らずであったのかもしれんが、書記官を経由する今の軍令の仕組みは今後少し改めねばならんな。危うく、無駄な損失を出すところであったわ」
「……命令書は間違っていない。そこに書かれていたのは紛れもなく侵攻とあったが、ウプサーラ王国の領土内に侵入するには当然に目の前の軍勢を打ち破らねばならんだろう?となれば、我らは犠牲少なく勝利を手にせねばならん。兵糧の問題もあるし、いたずらに時を……」
「デルロス。いい加減に旧態依然とした認識をしておることに気が付かぬかな」
「どういうことだ?」
「ウプサーラ軍をあの地から追い払うのは、お前たちではない。この軍勢はあくまでもウプサーラ王国を占領するための駐留軍なのだ。命令書の文言に書かれてはいなかったか? いたずらに兵を損なわず、敵との一定の距離を保ち、時を待てと……」
「……」
「別におぬしを責めておるわけではない。説明不足であったのは儂の方に責がある。なにせ急を要する上に、色々と忙しかったからな。このあたりのことは、儂自身の今後の反省材料と軍令改革に結びつけるとして……。まあ、こうして自ら説明しに来たわけであるし、気を悪くしないでくれ」
「……正直に言おう。これから一体、どのような展開になるのか、理解が追い付いていない。我らがウプサーラ軍を追い払うのでないなら、どの軍が事に当たるというのだ? ノルディアスの正規軍は、今や私が率いるこの軍だ。領主貴族たちの兵ではその規模、質ともに不十分であるし、とうてい戦にはならん」
「ウプサーラ軍を追い払うのは、軍隊ではない」
「軍ではない? どういうことだ」
「
幕舎内の≪照明石≫の薄ぼんやりした明かりが、漆黒の衣を纏うショウゾウの闇そのものを体現したような姿を浮かび上がらせている。
淡々と続けられるその言葉に、デルロスは息をすることさえできずにただ圧倒されるほかは無かった。
長く軍を統括してきた者にとって、その存在をまさしく全否定されるような内容の話であったのだが、不思議と腹は立たなかった。
軍人としての自負を失っていたわけではなかったが、それ以上に身をもって、すでに非情な現実を知ってしまっていたからである。
殺された我が子も、自分も、そしてこの地上に生きるその他のすべての人間にとって、そうだ。
人知を超えた人外の超越者たちによって、その運命を容易く左右されるような状況に、この
「ウプサーラ軍を退け、滅ぼす仕事は儂らがやる。お前たちはそのあとをゆっくり、ゆうゆうと追って来るだけでよいのだ。さあ、まだ体調も完全には戻ってないのであろう? 夜も更けた。あれこれ悩まずに、
闇の怪老は、笑みを浮かべ、力なく項垂れるデルロスの肩を軽く叩いた。
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