第245話 傀儡の王

スケッギヨルドの涙とルカの決意に、マルセルとモリスが折れた形でオルデンセ島への旅路は再開されることになったのであるが、これはノルディアス王国に訪れた大いなる危難を避ける意味でも一行にとっては僥倖ぎょうこうであったかもしれない。


周辺五か国の侵攻によって、ノルディアス王国内はかつてないほどの戦禍に見舞われ、多くの民が死に、生き残った者たちも安全な場所を求めて、その住み慣れた土地を追われることとなった。

故郷に留まれば、各国軍の虜となり、奴隷の身分に堕とされることになってしまうのは、この時代では当然のことであり、かつてノルディアス王国も過去幾度にもわたる外征で同様のことをしてきた歴史がある。


光王ヴィツェル十三世の死後、まもなく現れた謎の光る翼を持つ怪物によって王都が陥落するという前代未聞の出来事から立ち直る間もなくのことであったから、この五か国侵攻は、ノルディアスをさらなる混迷へと導くことになったのである。


治安はさらに悪化し、田畑は荒れ果て、民草は困窮していた。


少ない食料と物資を巡って各地で争いが起こり、善良な人々にとってはまさしく生き地獄のような時代の到来を迎えるかに思われたのであるが、しかし、新たなる光王ルシアンによるヴァナフェイム王国軍殲滅の報が各地にもたらされると、瞬く間に状況が一変しだしたのである。


ヴァナフェイム王国軍はその数、およそ一万とされ、これを全滅に追い込んだのは光王ルシアンの≪呼び名ケニング≫の力によるものだと大々的に宣伝された。


おお。

新たなる光王ルシアンの威光たるや、凄まじき。


ワールベリ、ワリング、カールスガル、ウプサーラ。

哀れな犠牲者となったヴァナフェイム以外の四か国は、この報せに大いに打ち震え、それ以上の侵攻をためらわざるを得ない情勢となったのだが、これに対する新光王の打つ手も迅速かつ適切だった。


外交の使者を送り、ノルディアスの南に位置するウプサーラ王国以外のそれぞれの国に条件での和睦を申し入れたのである。




「ショ……、いや、メルクス。聞かせてくれ。なぜ、ウプサーラにだけ使者を送らなかったのだ。これで各国が引き揚げてくれれば、王都奪還に全力を傾けることができるではないか」


新光王ルシアンが問いかけたのは、その場にいる領王たちなどではなく、よわい二十代半ばほどの若き商人メルクスだった。


商人と言っても、このメルクスは今やオースレン経済の中心的人物であり、周辺都市との交易を一手に担っているといっても過言のない豪商と目されるようになっていた。

相場を巧みに操り、物不足のこの時代にどこから仕入れたのかわからない大量の食料や武具の類を取り扱い、今となっては希少な魔物由来の宝珠オーブや魔石などをひさぐ。


このとおり、出自定かならぬ怪しげなところがある人物であるものの、このメルクスが領王ギヨーム並びに新光王ルシアンの最大の支援者であることが周知の事実となっていたことから、この場にいる者たちの中で、そのことに異を唱える者は一人もいなかった。


ちなみにこのメルクスというのは、≪老魔の指輪≫を外し、若返ったショウゾウの本来の姿であり、その氏素性や身分は、実在する奴隷商から金などと共に殺して奪ったものだ。

身分を証明するものとして、行商の権利証が必要になり、それで殺害を決断したのだが、今はこのメルクスという名と自分なりに肉付けした人物像を気に入っており、そのまま世を忍ぶ仮の姿としてそのまま利用している。



かつて、光王家は宮廷における王族たちの合議制により国内の政治の方針を決定し、その下の司王院がその決定に即した実務に当たるという行政組織になっていたのだがショウゾウは、それを解体し、領王ギヨームとデルロス、そして最近になって北部地域から落ち延びてきた元宰相のデュモルティエを中心とした諮問会議に置き換えた。


無駄に役職や人数を増やさず、王族三人、非王族四人の総勢七人からなる光王直下の暫定的意思決定機関だ。


特定の七人に権限が集中するという弊害はあるものの、国内の情勢が乱れ、体制が十分に整っていない現状を考えると迅速な決定がなされるという点でふさわしかろうとショウゾウがルシアンに提案したのだ。

不都合が生じた際に、その原因になっている人物を判別しやすく、取り替えやすいという利点もあった。


奇数なのは多数決を取りやすいからで、しかも非王族四人の人選もショウゾウが行った。

メルクスはこの諮問会議の七人には名を連ねておらず、あくまでも領王ギヨーム直下の参謀ないし相談役という立ち位置だ。

仕官はしておらず、だがそうであるにもかかわらず、この重要な会議に列席を許されているのは異例のことで、財政面での多大な貢献があるにせよ、光王と領王の特別の許しが無ければありえないことであった。


ちなみに新参者のデュモルティエ以外は、オースレン外に出征しているため欠席している大将軍デルロスも含めて、このメルクスこそがこの新しい光王政庁の、いわば裏の支配者であることを理解していて、その正体が闇の怪老として恐れられているショウゾウであることも知っている。

非王族の出席者は全員、≪蜘蛛≫などのショウゾウの息がかかった者ばかりだ。

温厚なデュモルティエは、この諮問会議の状況に違和感を持ちつつも、オースレンに身を寄せてから、何かと便宜を図り、住居まで用意してくれたメルクスに頭が上がらない状況であったから、特にそのことをとがめることもなく、笑顔を絶やさぬまま、その席の一つを占めている。


「ルシアン陛下の問いかけに、ギヨーム閣下に代わってということであれば、ご説明いたします。これはあくまでも諮問会議の公式の決定。私ごときの一存ではありえません」


悪びれた風もなく、そう言い放つメルクスに思わず反論したくなったが、それを堪えて、ルシアンは一度、吐き出そうと思った言葉を呑み込んだ。

まだ二十代前半の、少年のころの面影を残すこの美しい新光王ルシアンの顔が苦悩に歪む。


「……わかった。それで、良い。いったい何故なのだ。ウプサーラにだけ和睦の使者を送らなかった理由を教えてくれ。ヴァナフェイム軍が壊滅した今、他の四か国が引き揚げてくれれば、王都奪還に全力で取り組めるではないか」


「恐れながら……、現段階では、王都は奪還しません」


「それは、どういうことだ。お前たちは、 王都を取り戻し、そして、あの忌まわしき≪光の使徒エインヘリヤル≫たちから、エレオノーラの姉上を取り戻してくれる。そういう約束だったではないか。話が違うぞ。それにデルロスが周辺都市を巡って募兵しているのは何のためだ。急迫していたヴァナフェイムが壊滅した今、まさしく王都に攻め入る好機ではないか!」


「ですから、あくまでも、「現段階では」と申し上げました。デルロスからの報告では、集まった光王兵の残党などは、およそ五千。ギヨーム閣下は、軍糧などの関係でこれ以上の募兵は不要だと伝えた上で、デルロス大将軍に、この五千を率いてそのままウプサーラに攻め込むよう要請なさいました。デルロス大将軍もこれに同意済みです。ウプサーラに和睦を申し入れしなかったのは、それを討ち滅ぼし、彼の地を占領するため。ギヨーム閣下は、今回の五か国侵攻の責任を、ウプサーラに償ってもらう考えなのです。そして王都奪還の話ですが、これは人間には、成し得ません。仮に万の兵、いや十万の兵を集めてもあの≪光の使徒エインヘリヤル≫たちを退けることはできないでしょう。人ならざる者を退けるのは、人ならざる者にしか成し得ぬのです。世のことわりは、この短きあいだに、一変しました。前光王の死のときさかいに、兵の数で戦の雌雄が決せられる時代は終わりを迎えたのです。戦いの勝敗を決めるのは軍勢の力ではなく、そこに属する個々の力。実は、デルロス大将軍の五千には、私が手配した有数の異能者たちを付けています。それは従来の魔法使いなどの存在とは一線を画す圧倒的な異能。ウプサーラにどれほどの兵がいようともその数は問題ではありません。ルシアン陛下、それにこの場に御臨席の他の皆様方もこれを機会に認識を改めていただきたい」


淀みなく答弁するメルクスに、ルシアンは心底恐ろしいと思った。


自らが傀儡かいらいの王に過ぎぬとは理解はしていたが、おのれの知らぬ間にこれほど大きく事態が動かされていようとは思いもしていなかったのである。

光王ルシアンの名は、ショウゾウの手によって、勝手に一人歩きさせられ、そして世の中を大きく動かし始めている。


ノルディアス王国の国璽が≪白輝びゃくき城≫に取り残されている状態において、ルシアンの直筆の署名は、その代わりを為すものである。

今回の三か国分の和睦の書状にそれを書き入れる際に、なぜウプサーラ王国宛てのものが無いのか気が付いたのだが、それが無ければ、今回の諮問会議におけるこうした説明も受けることができなかったのだ。


自分を飛び越えて、ショウゾウの意のままに、このノルディアスは染め上げられようとしている。


ルシアンはその現実を目の当たりにし戦慄したのだ。


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