第242話 舞い降りし者
オルデンセ島を目指すとは決めたものの、その道のりは険しく、ルカたちの前途を表すかのように平坦なものではなかった。
もはや、かつての平和なノルディアスにおける旅ではなく、地上には魔物たちが徘徊し、国の混乱によって乱れた治安などから野盗なども頻繁に出没するようになっており、都市間の移動でさえ容易な状況ではなかったのである。
街道沿いをひた進み、いくつかの都市と
その魔物は、体毛がなく、手足が異様に長い、犬とも馬とも爬虫類とも呼べぬ奇怪な見た目をした奇獣で、マルセルの叫ぶ声によると、ディングィルという名の響きであるらしい。
さすがのルカもこの魔物については知識が無かった。
ディングィルは、群れの中の小さいものでもその
群れの数は七頭。体格にそれぞれ個体差がある。
その扱いづらそうな長い四肢のせいか、移動速度は人間並みだが、群れの強みを活かして、交互に飛び掛かってくるなど、役割分担がなされた巧妙な襲撃の仕方をしてくる。
知能は野生のそうした群れで生きる肉食獣と同等程度はありそうだった。
「くそっ、何だって、C級レベルの魔物がこんなに……。ルカ、モリス!俺の傍を絶対にはなれるんじゃあない。そして、絶対に足を止めるな。走れ! ピスボの
意外なことだったが、モリスが槍の扱いが得意だと言ったのは決してその場限りの冗談だったわけではなく、人並以上に慣れた手つきで敵の牽制には一役買ってくれていた。だが、それにも限界があり、次第に手傷が増え、動きに精彩が見られなくなってきた。
ルカ自身も細剣を奮い、なんとか自分の身だけは守ろうとしていたが、ディングィルにはその切っ先を難無くかわされ、一度も当てる事さえできなかった。
道中、一念発起して、体を鍛えたり、剣の手ほどきを受けたりし始めたのだが、所詮は付け焼刃、こうして実際の魔物を前にするとまったく通用していなかった。
このまま退路を断たれては、体力が尽き、全滅するのも時間の問題になってしまう。
マルセル一人ならば、どうにかこの場を切り抜けられる可能性もあったのだが、自分たちが完全に足手まといになっており、ルカは改めておのれの無力さを呪った。
「マルセル、私たちを置いて行け! このままでは、お前まで逃げきれなくなる」
マルセルにも徐々に疲労の色が見え始め、このままでは全滅になる。
だが、マルセルはルカに返事せず、敵と対峙したまま、それをルカたちに寄せ付けないことに専心している。
気が付けば二頭仕留めており、まだマルセルの戦意は尽きてはいない。
だが、そうしたマルセルの強さを理解したのか、ディングィルは強引に飛び掛かったりせずに、包囲したまま、陽動のような動きを繰り返したりして、こちらの体力を消耗させる作戦を取り始めた。
どれくらい、そのような状況が続いただろう。
三人とも深手こそ追っていないものの傷だらけで、もはや魔物の餌食になるのは時間の問題かと思われたその時、ふとルカの目の前に、輝く翼を持った何者かが忽然と舞い降りてきた気がした。
それはあまりにも不意なことで、疲労も極限に達していたから、その者がどうやってそこに現れたのか、確信を持つことができなかったが、確かに見慣れぬ何者かがそこにはいた。
光る翼が生えていたように自分には思われていたのだが、よく見るとそのようなものは無く、おおよそ普通の人間が扱いきれぬであろうほどの、長大な剣を背に負った見事な体躯の戦士の姿がそこにはあった。
筋骨たくましいが、どうやら女性であるようだった。
長身のルカよりも額一つ分ほどは背が高く、体の幅と厚みは比べるべくもない。
魔物の皮で作ったらしい着衣やマントに身を包んだその姿は、太古の昔にほとんど死に絶えたとされる蛮族の戦士たちを思わせる。
ディングィルもその屈強な女戦士の存在に動揺したのか、一瞬後退ったが、これまで以上の憎悪と敵意をみなぎらせて、奇怪な吠え声と共に一斉に襲い掛かって来た。
慎重で、かつ狡猾そうだったディングィルたちが、まるで不倶戴天の敵を見つけたかのようにいきり立っている。
「死にたくなければ、全員伏せていろ」
女戦士は、そう警告するとやおら背負っていた大剣を片手で軽々と持ち、それをまるで棒っ切れでも振り回すかのような感じで、二度、三度、大きく振った。
ルカたちは女戦士の静かな言葉の迫力に圧倒され、思わず言いなりになって地面に頭を抱えて屈みこんだり伏せたりした。
頭の上を何かが、強風を伴って何度か通り過ぎるような音がして、周囲が静寂に包まれた。
恐る恐るルカが目を開けると、青黒い大量の血液のようなものに塗れて、ぶつ切りになったディングィルたちの体が地面のあちらこちらに散らばっていた。
驚くべきことに、残り五頭すべてが、一瞬で、絶命させられていたのだ。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとう」
その女戦士の顔を見上げると、その目はとても感情があるとは思えないほどに冷たく、無機質なものだった。
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