第241話 ルカの提案

少しの間だったが、誰もルカに声をかけられないような雰囲気になり、マルセルとモリスは思わず顔を見合わせた。


だが、この気まずい雰囲気を察したのか、ルカは自分の両頬を叩いて、顔を上げた。


「すまない。暗い雰囲気になってしまったね。ここで振り返って落ち込んでいても仕方ない。これからのことを話そう」


「しかし、その、これからが前途多難なのでございますよ。われらはもはや頼るべき先もなく、しかもオロフソフ伯爵のもとに戻ることもできない。まあ、最悪の場合は、わたくしめがどこぞで働き口を見つけてでもルカ様を養って見せますが、このご時世、生計を立ててゆくのも困難。ああ、あの日、オースレンであのような虐殺が行われなければ、今日、この苦境はなかった。オルディン神よ、なぜ、敬虔けいけんな信者である私にこのような試練をお与えになるのですか!」


芝居がかったモリスの大げさな挙動に、思わずルカは吹き出してしまう。


「そうだね。恥ずかしい話だが、私はこれまでグリュミオールという大きな木のうろで、餌を運ばれて育つ雛鳥のようなものだった。少しは正統な剣術の手ほどきを受けはしたが、自分の力で自分の身を守ることもできず、生計を立ててゆく術を持たない。モリスの言葉はとても頼もしいけれど、これからはもっと自分自身が強くならなくてはね」


「武芸を身に着けたいのであれば、私がご教授しますよ。ですが、ルカ様の場合はまず基礎的な体力をお付けにならないと。剣に遊ばれてしまいます」


「そうだね。道すがら、空いた時間にでもお願いしようかな。そうすれば、マルセル、君の負担も少しは減るだろう」


「もし、よろしければ、槍は、このモリスめが稽古をつけて差し上げられますぞ。こう見えても、オースレンにこの人あり。栗イガのモリスとは私のことです。小柄だと思って侮りますと、たいてい皆、痛い目に遭います」


モリスは道中、背に負っていた短槍を地面から手に取ると勇ましくそう言った。


「はは、長い付き合いだけど、それは初耳の話だったね。さて、冗談はそのくらいにして、本題に入ろうか」


「本題……ですか」


「そうだよ。これから、どうするのかという話だ」


「驚いた。うなだれて、途方に暮れていたわけではなかったのですね。さすがは、ぼっちゃまです」


「坊ちゃまはもうやめてくれ。私はもうグリュミオールの名は捨てた。母にもそう告げてきたのだ。今は、ただのルカ。ようやく親の巣を飛び立ったのだよ」


「その覚悟はご立派。しかし、今後、どうなさるおつもりです? どこかく当てでも?」


「……それは当然ある。私とて野垂れ死にするために城を出たわけではないからね」


いつもの平静さを取り戻したルカに、二人の視線が集まる。


「私はね。ここから北西にある、海を渡った先のオルデンセ島を目指そうと思っているんだ」


「オルデンセ島ですか」


マルセルが怪訝な顔で尋ねてきた。


「そう。二人も、名前くらいは聞いたことがあるだろう。光王家のルーツであるオルド人の民族発祥の地さ。オルディン神信仰の聖地でもある」


「いや、ちょっと待ってください。なんだってそんな辺境の未開地へ? ルカ様は神頼みに聖地巡礼でもするつもりなんですか?私じゃあるまいし、いつからそんなに信心深くなられたんです?」


モリスの疑問ももっともだ。

オルデンセ島の住民は、オルディン神の教えだとされる原初的で、文明の進歩を求めない牧歌的な暮らしを営んでいるとされ、光王家によって渡航を管理されていることもあって、直ぐ沖合の島であるにもかかわらず、その実態は大陸に暮らす者たちにとっては謎に包まれているのだ。


「神頼み……。そうだね。まさに神頼みとしか言いようが無いが、このノルディアスで起こっている様々な怪異を考慮すると、これはもう神にでもすがるしかない。私は幼き頃から古い書物を好み、この国の歴史や有史以前の世界の有り様について、私なりに研究していたのだが、この千年にも迫ろうとする王国の歴史をさかのぼると、要所要所で、オルデンセ島にまつわる表記が数多く見受けられるんだ。オルディン神の血脈。神の血を受け継ぐ民族。非常に興味深い……。第四十六代の光王エイリーク二世の「光世記こうせいき」という博物学的な要素を含む歴史研究論文を読んだことがあるかな? これは、教養のための学術書としては割と世に知られた書であると思うのだが、その中には、われら別天地の外の人間が知り得ないような事柄が多く記されていてね……」


「ルカ様! 私たちはもちろんのこと、貴族の方々だって、そのような書庫の奥で仕舞われている様なかび臭い本を読んだりはしませんよ。ルカ様は特別なんです。一緒にされては困りますよ」


また話が長くなるとでも言わんばかりのモリスが呆れたように言い、ルカが話し足りないような顔をする。


「そうか……ええと、どこまで話したんだったかな。とにかく、そこには、この謎に包まれたオルデンセ島の人々が、今なおオルディン神にまつわる事柄や太古の昔、神々の時代におきたことを今世に伝えているのだと書かれていてね。私はそれを頼りにそこを訪ねようと思い至ったわけだ。王都に出現したあの光る翼を持つという怪物たち、そして闇の怪老ショウゾウに、別人のようになってしまった異母兄ギヨーム。他にも、相次ぐ迷宮の消滅とそれに伴う魔物の大量発生など、こうした今世いまよを乱す様々な事柄に対する答えがそこにあるのではないかと私は思うんだ。光王家が混乱の最中にある今なら、オルデンセ島を訪れる千載一遇の好機だ。最悪、船を調達できなくても泳いで渡れなくはない距離にあるそうだからね」


「ルカ様……。言いたいことはわかりました。わかりましたが、それは! 今! 本当に、あなたがしなければならないことですか? 世界を救う! けっこう!高い志で、しかもオルディン神殿の説法に登場する巡礼者のように尊い行いだとは思いますよ。でもね、あなた様は、長子ではないにせよ、高貴なるグリュミオールの血を引く男子なんですよ。亡くなったコルネリスが、今の話をお聞きになったら、どれだけお嘆きになられることか。オースレンを奪還する手立てを考えるとか、どこかの領主貴族の家の婿として転がり込むとか、いくらでも他にやるべきことはお有りになるでしょう。マルセル殿もなんとか言ってやってください」


モリスは胸の内にしまっていた思いをぶちまけるかのように、唾を飛ばしながら、ルカに詰め寄った。


「別に世界を救うだなんて考えてはいないよ。ただ、崩壊してしまったかに見えるこの世の摂理のようなものをどうにか元通りにする術はないものかと考えているだけだ。人間中心で営まれていたこの世界が、いつしかそうでない者たちの手によって造り替えられていく。そんな気がしているんだ。それに、御父上なら、この考えを否定したりはしないと思うけどな……」


「私は、悪くない考えだと思いますし、少しそのオルデンセ島という場所に興味が湧いてきました。私はお供しますよ」


「マルセル殿!あなたまで、何ということを」


「モリス、お前が言う様なことは、はっきり言って、今のルカには不可能だと俺は思う。あのギヨームただ一人が敵であるなら、この俺がどうにか奴を叩っ斬ってやるということもできるかもしれない。だがな、善政を敷いているギヨームを殺したとて、オースレンの民心は戻っては来ないぞ。何せ、自分たちを殺そうとした光王に付き従う態度を取ったフスターフ以下、グリュミオール家の他の者たちを民たちは決して、許さないからだ。オースレンはもうあきらめろ。それに、他の領主貴族たちとて、王都が陥落し、国家の行く末が定かでない今、いかに血筋が良かろうとも領土も後ろ盾も持たないルカ様を家に迎え入れようなどという者はいないのではないかな?俺は貴族の出でも何でもないから断言はできかねるが、世間一般の考えでもそうなんじゃないかな」


「そんな……」


「私が無力なばかりにすまない。長く付き従ってくれているお前の言うようにしてやりたいのは山々だが、もしギヨームあにと闇の怪老ショウゾウが何らかのかかわりを持っているのであれば、私だけでなく、お前たちを危険に晒してしまう。何せ相手は数多くの神殿騎士や王族、いや、それだけではない。老死病騒動もそうだが、様々な人々の命を無慈悲に弄ぶ悪魔の如き存在だ。われらに見せていた好々爺然としたあの姿は、仮初かりそめのものであったのだと今はそう思っているよ」


「だからと言って、行く道の路銀も限られている中、物見遊山などしている場合ではないかと……」


「モリス、これは物見遊山などではないつもりだよ。人間の力で解決ができそうもないこの現状を変えるべくの一縷の望みをかけての行動なんだよ。もちろん、空振りに終わる可能性もある。いや、そうなる公算の方が大きいと思うよ。だが、そうだからと言って、何もしないわけにはいかない。もし何も得られるものが無くても、オルデンセ島をこの目で見て、その文化に触れることができたなら、その体験を一冊の本にまとめて世に公表するという、長年の夢だった学者になりたいという夢の足掛かりにはなるだろうからね」


「……」


「学者か。年相応の夢のある話で、悪くないと私は思いますよ。ルカ様は、そういう方面に向いてらっしゃると思います。世の乱れが治まったら、その知識をもとに仕官でもして、その道で身を立ててゆくのも悪くはないでしょう。それに、そうだな。ルカ様が書いた本が売れたら、その儲けの中から、今回の用心棒代を支払ってもらいますか。出世払いということで」


「はは、そう言ってくれて助かるよ。マルセルが同行してくれなければ、別のプランに切り替えるしかないところだった」


「別のプランですか。他にも何か考えが?」


「ああ。いっそのこと、領王ギヨーム陛下に自ら出頭し、命乞いでもしようかと思っていたよ。これまでのことを詫び、許しを得た上で、家来にでもしてもらうとかね。いかにあまり仲の良くない異母弟だったとしても、血のつながりはあるはずだし、そんなに惨いことにはならないんじゃないかな。オースレンの民たちには白い眼で見られて当分、針のだとは思うけど、奉仕する気持ちで一生懸命仕事すれば、いつか許してもらえる日がきっと来るだろう。懐に入り込めさえすれば、あの闇の怪老とも再び接触することができるかもしれないし、悪くない案だろう?」


「そんな恐ろしいことをおっしゃらないでください。あの乱暴者のギヨームにそのような心根などあるとは思えません。やめてください」


一瞬で青ざめた顔になったモリスにルカは微笑み、その腕を軽く叩いた。


「まあ、いずれにせよ。今は、この地を離れるのは賛成です。光王兵の残党が野盗化しているなんていう話もよく聞きますし、ここいらはもうじき、きっときな臭くなる」


「そうだね。オロフソフ伯爵の話では、監察使だったルシアン卿は行方不明。光王の証たる宝剣ファル・ファザードも未だ見つかっていないとのことだ。突如現れた怪物に殺されたというヴィツェル十三世の次の光王の名乗りがいつまでもなされず空位のままというのも、どうにも様子がおかしい。マルセルの言う通り、われらは王都近郊を避けて、北西へ向かおう。さあ、いざ、オルデンセ島へ!」


楽し気に話すルカとマルセルを、モリスは浮かぬ顔でずっと見つめていた。




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