第240話 異母兄弟

戦場跡から、さらに数日かけてオースレンに辿り着いたが、その慣れ親しんだ故郷の街に、ルカ自らは足を踏み入れることはなく、モリスに頼んで食料や水などを調達にするにとどめた。


ルカは、旧グリュミオール家の者として、すっかり顔が知れた存在である上、兄のフスターフともども、光王のオースレン住民虐殺の際にそれに加担したとみなされてしまっていたので、都市を囲む城壁の門を無事に通り抜けるのは困難であると思われたのだ。


しばらくして、食料などの物資が入った袋を両手いっぱいに抱えたモリスが、外城門から出てきた。

モリスはその荷物をルカたちの前まで運び、それを地面に置くとその広い額に並んだ汗の玉を拭った。

ルカは、そのモリスに感謝し、ねぎらいの言葉をかける。


「いやぁ、驚くほど物価が高騰していて、参りましたよ。この堅パンひとつ、いくらしたと思います? 銅貨五枚!これだけ支払ったら、以前なら三個は買えてましたよ」


「それは、仕方がないだろう。王都からの難民が周辺の都市に避難してきて、軒並み物資不足に陥っているらしいからね」


ルカはそう言いながら、さっそく購入品を三人の背負い袋などに急いで詰め直し、怪しまれぬよう、その場を離れるように二人に声をかけた。


モリスをもう少し休ませてやりたかったのだが、門のあたりにいる衛兵がいつまでもずっと外で待っているルカたちを怪しむような様子で見始めていたので、仕方が無かったのだ。


ルカはモリスの分の荷物も持ってやり、足早にその場を去った。


そのまま、街道をしばらく進み、旅人のための野営所でその日は一泊することになった。



この野営所というものは、迷宮から溢れ出した魔物の姿が地上でも見られるようになった最近になって、各地で作られるようになったもので、水場を中心に簡易の柵や塀などで囲い、安全に夜を過ごせるよう工夫された場所だ。


見張りや冒険者などを前職に持つ用心棒たちも常駐しており、簡単な屋台のようなものまである野営所もあるそうだ。

利用を希望する者は、決して安くはない使用料を支払い、各自空いてる場所で休憩を取る。

この場所での安全は完全に保証されたものではないが、それこそ野宿するよりはかなりマシであると言えて、旅する者にとっては必要不可欠のものになりつつあるそうだ。


追加料金を払えば、屋根付きの場所で休むこともできたのだが、ルカの路銀は母から渡された金貨五枚相当分に限られていたため、節約のため、外でたき火を作り、そこの周りで過ごすことにした。


「いや、なんだか懐かしいな。こうしていると冒険者だった頃を思い出すようだ」


たき火を手際よく作ってくれたのはマルセルで、燃料となる木は、ここの野営所で購入したものだ。


三人はたき火の火を囲んで簡単な食事をとり、温めた水を各自すすりながら、モリスがオースレンの街中で見た様子などの話に耳を傾けた。


モリスによれば、手配書が出回ったりしている様子はなかったらしいが、それでもルカ本人であることを住民たちに知られるのはトラブルの原因になりかねない、そんな雰囲気であったそうだ。


モリスはその社交的な性格から、買い物ついでの雑談で街の様子など、ちょっとした情報収集をしてきてくれたのだが、今やオースレンの領王を名乗るようになったギヨームの人気はとても高く、逆に兄フスターフやルカは極悪人のような扱いになっていたそうだ。

物価高などの生活を困窮する原因を作ったのは前領主のフスターフであり、その後、オースレンを治めることになった領王ギヨームには何の責もないというのが住民たちの総じての評価であるようだった。

それもそのはず、領王ギヨームはオースレン市民として登録し、戸籍帳に名前のある者に対しては食料などの配給を絶やすことなく行い、さらによその土地から流入してきた者たちにも都市近郊の公営農場などでの仕事を斡旋し、暮らしが成り立っていくように支援するなどのきめ細やかな施策が支持されていたのだ。


「本当に、ギヨームの兄上はまるで別人のような変貌ぶりだね。城で最後に会ったときのただ事ならない様子と異変にも驚かされたけど、この見事な為政者ぶりには改めて言葉を失ってしまうよ」


「それは、まことに。悪口を言うわけではありませんが、ギヨーム様は、勉学に秀でて、頭の良かったルカ様と比べて、そうした領主たるものの心得や政の機微といった者には関心を示されない方であったと私も記憶しております。粗暴で、つねに癇癪を起しておられ、父君のコルネリウス様がいない場所などでは、隠れて年の離れたルカ様に暴力をふるったりしておられたのです。同年代の育ちの悪い輩と付き合ったり、もめ事を起こしたりと、元服なされるまで、お父君はいつもグリュミオール家の面汚しだと嘆いておられたのです。体が大きく、武芸には多少向いているのではないかと、その道の師範をつけたりしたこともあったのですが、かえって乱暴なふるまいが増え、周囲は大いに迷惑したものです」


「ふむ、それほど酷かったのか。話を聞く限りではあるが、それでは本当に別人が成りすましているということもあり得るのではないか?」


「それは私も考えないではなかった。だが、やはり腹違いとはいえ血のつながりのある兄弟だ。様子は違えども、あれはたしかにギヨームだと断言できる。何かきっかけがあったのか、少し前あたりから異母兄あには、どこか人が変わったように穏やかになったんだ。以前のように、絡んでこなくなったし、落ち着いているというか、大人になった感じがして、そしてどこか私を含めた身内に対してよそよそしくなったように思う」


「しかし、ルカ様。人間というのはそう簡単には変わらない生き物ですよ。それにあの動く黒い蜘蛛のような痣……。入れ墨か何かのようにも見えましたが、ああやって皮膚の上を生き物みたいに動くなんて、どう考えても普通じゃない。身のこなしだって、とても常人のものではなかったし、なにか私のような者には計り知れない存在のように感じましたよ。城からあんな風に飛び降りて逃げる奴なんか、そうそういるものじゃない」


たき火の中の枝が爆ぜるパチパチという音だけが夜の静寂しじまに聞こえる。


「……本当にわからないことだらけだよ。まるで自分が当たり前だと思っていた日常と世界が崩れ去って、まったく異なる世界に迷い込んでしまったようだ。あのショウゾウという妙な老人が、オースレンにやって来てから、何もかもが変わり始めたように、今は思うよ。あの時、私がショウゾウの本性を見抜けていれば、今日こんにちのグリュミオール家の没落は無かったかもしれない。とても悔いているよ。そして、あと少しというところまで迫っていながら、真実に辿り着けなかったおのれの愚かさと無能さに絶望している。全部、私のせいだ。私が、一族を今日の苦境に追いやってしまったんだ……」


ルカは組んだ手を額に当てて、項垂うなだれた。







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