第239話 地を這う者たち

その身に宿す巨神ヨートゥンの力によって闇の眷属たちを従え、今や着々とノルディアス王国の影の実質的支配を進めつつあるショウゾウや魔導神ロ・キ、そして≪光の使徒エインヘリヤル≫といった人知を超えた力を持つ者たちによって、翻弄されつつあるこのアスガルド大陸の情勢であったが、地を這う人間たちの中にも未だおのが運命を切り開くべく足掻く者たちが少なからずにいた。


その中の一人がこの若者である。


モリスという小柄な従者と赤を基調とした派手な装いの剣士を連れた、背の高いこの若者の名はルカ。


オースレンのかつての領主コルネリスの末子にして、今やノルディアスに勇名を轟かせる≪領王≫ギヨームの弟でもある。


ヴィツェル十三世のオースレンでの虐殺の際に、その変事に巻き込まれ領主の座を失った兄のフスターフと共に母の生家であるオロフソフ伯爵家に身を寄せることになったのだが、とある事情からその地を去らねばならなくなり、二人の供を連れて旅だったのだった。


オロフソフ伯爵は、兄フスターフの懇願もあって、オースレンに五百の兵を派遣し、近隣の領主貴族たちと謀って、その地を奪取しようとしたのだが、その途上、何者かの手によって、その軍は全滅させられることになり、大量の軍糧を失ったばかりか、兵の不足などで領内の治安を保つのも危うくなるほどの窮状に陥ってしまうことになった。


この窮状のきっかけを作ってしまったグリュミオール家の者たちは肩身の狭い思いをすることになり、兄や母たちのこれ以上の重荷にはなるまいとルカはひとり、一族を離れようとしたのだが、それに従者のモリスとなりゆきで付き従っていた≪赤の烈風≫マルセルが同行を希望した形だ。


父コルネリスは、オースレンを失った心痛から病状を悪化させ、オロフソフ伯爵領に避難して間もなくこの世を去った。



旅に出たルカたち一行がまず向かったのは、オロフソフ伯爵軍がその消息を絶ち、全滅したと伝えられた戦場跡だった。


「うっ、これは酷い」


モリスが口元を覆い、顔を背ける。


そこは朽ちた無数の屍が散乱しており、野鳥たちがその死肉にたかったり、ついばんだりしていた。

少し離れた場所には何体かの魔物の姿もあった。


オロフソフ伯爵軍の全滅が伝えられてから、十日ほどの月日がたっていたが、死体がある場所の条件次第ではまだかろうじて原形を残していた。


そうしたむごたらしい惨状に眉をひそめて、それ以上先に進むのをためらっているモリスとマルセルを横目に、ルカはひとり戦場跡に近づいて行って転がる死体を調べ始めた。


皮手袋をしているとはいえ、死で穢れた肉体にれるなど、モリスにとってはもってのほかで、何度も背後からルカを諫めたのだが、当の本人はまるで意に介そうとしない。

魔物たちの興味を引きはしないかとマルセルは神経をとがらせ、彼の腰に下げた長剣≪レッド・ウェラー≫のを手放せないでいる。


一方のルカは、そんな二人の心配などどこ吹く風。

相変わらずのマイペースで、あらかた見回って死体をあらためたあと、地面に這いつくばって何かを見ていたり、その辺に転がっている肉を貪られた後の骨などを拾って見比べたりといった奇行を繰り返している。


「ルカ様。このような場所でいったい何をなさろうというのです?ここは危うい。いつ魔物どもが屍肉漁りをやめて、新鮮な俺たちに食指を向けるかわかったものではないのですよ。はやく、先を急ぎましょう! 夜になれば幽魂が飛び、無念の死を抱えた死者が動き出す。戦場跡というのは、そう相場が決まっているのです」


「私もモリスの意見に賛成ですよ。こんな場所にいつまでも長居すべきじゃない。まだ日は高くなっていないが、夜間はやつら魔物が活動的になる時間帯。できれば日中にはこの先へ抜けてしまいたい」


「……ああ、二人とも、すまないね。でも、どうしても確かめずにはいられなかったんだ」


「確かめる……ですか?」


「ああ。私たちがオースレンを離れる直前まで有していた兵は、予備の者を足してもせいぜい五百ほど。それに対して、東のヴィスボリ、北のアウムフェルト、西からのクリント、オロフソフの各軍勢を合わせるとその兵力は二千にも迫る数だったはずだ。諸侯の各方面からの同時侵攻に対抗する力はあのオースレンにはなかったはずだ。それで、私が兄に献策し、兄にオロフソフ伯爵への進言を促したのだ。だが、ふたを開けてみれば連合軍は各個撃破され、いずれの軍もオースレンに到達することさえ叶わなかった」


「なるほど。その原因を知りたかったっていうんだな。だが、それはあなたの腹違いの兄ギヨーム卿が優れた軍才を備えていたというだけの話だろう。私もこの目で、現場げんじょうを目の当たりにしなければ、信じられない話だと思っていたのだが、実際、大したものだ。見たところ、死体の中にオースレンの兵はほとんど見受けられないようだし、伏兵にでも遭ったのかな? 戦況は一方的なものであったようだ」


「マルセル……。ほとんどでは無いよ。オースレン軍の死者はゼロだ。私が見たところ、この屍が身に着けている兵装は、みなオロフソフ伯爵軍の物だ」


「まさか、そのようなことはあるはずがない。夜襲を受けたにせよ、それほど一方的な殺戮になるなどありえませんよ。私は軍人ではなく、一介の冒険者に過ぎませんが、それなりの集団戦闘は経験してきたつもりです。これだけの規模の戦闘で、相手方に死者が一人も出なかったなど、ちょっと想像が尽きませんね」


「これらの死体をよく見てごらん。兜を脱がせた下の頭はどれも白髪で、顔は皺だらけ。どれもこれも、この戦場まで歩いてやって来れたのが不思議なくらいのお年を召した方ばかりだ」


「ほ、本当だ! これも、こっちのやつもそうだ。老人の兵ばかりです」


モリスは、信じられないようなものをみたような顔で、小さな小太りの体をぴょんぴょんと弾ませ、そこいら中を指さして大声を上げた。


ルカは手に持っていた骨を、二人の前でへし折って見せた。


「死体の骨の密度が低くて、軽い。先ほど拾った骨だが、こうして力を入れれば、私のような非力さでも簡単に折れてしまう」


ルカは折った骨を誰もいない遠くへ放り、手袋についた埃などを叩いて払った。


「そして、奇妙なのはそれだけじゃない。地面に残った足跡、馬の蹄などの動線からもここで行われたのが通常の戦闘ではないことを指し示している。まるで地上に大円だいえんを描くかのように、木々が薙ぎ倒され、地面が抉れ、その付近だけ外傷がある死体が散乱している。円の内側に行くほどに死体は無傷になって行き、死因の判定が難しくなる。外傷のない死体はおそらく老衰死しているんだ。そう、まるであのオースレンで流行した老死病ろうしびょうの時のようにね」


「老死病……」


「これらの状況から私の脳裏に浮かび上がってくる光景は、戦ではない。何者かを取り囲むようにした状況のあとで、その囲いをした者たちが一斉に円の外側に向かって逃げ出したのが死体の向きと、ぬかるみに残った足あとの運びでわかる」


「ルカ様、貴方は何が仰りたいのです? 老死病……、まさかあの一連の事件と今回のオロフソフ伯爵軍の壊滅を結びつけるおつもりですか? これが、行方不明中の闇の怪老ショウゾウの仕業であったと?」


「マルセル、これはこじつけなんかじゃないんだよ。すべての事象がそうであることを証明している」


「しかし、なぜあのショウゾウが? オースレンを目指すオロフソフ伯爵の軍を襲う理由など何もないではないですか?」


「襲ったのか、襲われたのか。その事実関係まではわからない。だが、この場にショウゾウがいたであろうことに私は確信を得ているよ。マルセルは私に同行していたからわかると思うが、モリスはオースレンでの神殿騎士大量殺人事件を覚えているかい?」


「ああ!神殿ごとそこに詰めていた神殿騎士たち全員が焼き殺されたあの事件ですね? もちろん、覚えていますとも!あれもショウゾウが起こした事件だということで大騒ぎになりましたね」


「あの時は、死体が全部黒焦げで一見すると焼死のようにも見えたのだが、そのひとつひとつをちゃんと調べると、その人がどういう状況で、どのような手段によって殺されたのか、その特徴が見えてくる。神殿内に放たれた炎はその火勢が凄まじく、ほとんどが炭化していたために、調べようが無かったが、敷地内に積み重なって焼かれていた死体からはある程度の情報が得られたんだ。外傷が死因の死体は少なく、そのほとんどが無傷のまま絶命していたよ。そして死んだ後に油をかけられ、燃やされたわけなんだけど、それは何のためか。私は、それこそがショウゾウが犯人であることを示す最大の手がかりであると当時は思ったんだ。ショウゾウはおそらく、他者の老化を促すような特別なスキルないし、魔法のような手段を有しているのだと私は思っている。それは、この戦場跡から推察するに最大で半径150トレバル、私の歩幅にして百七十歩あるかないかくらいの半径の円形。手を触れずして、相手を殺すことができる」


「しかし、それはさすがに飛躍しすぎな推理ではないでしょうか。そんな力があったら、逃げ隠れする必要などないように思われますが……」


「まあ、最後のスキル云々の話は少し私の空想のようなものも含まれているが、とにかくここの状況を見る限り、ショウゾウと領王となった異母兄ギヨームとの間に何らかの関わりがあるという可能性が濃厚になった気がする。他の領主たちの起こした軍勢たちがいかにして敗れたのかという情報を得ていない以上、それらすべての敗戦にショウゾウが関わっているとまでは断言することはできないが、少なくとも領主連合の敗北は、結果としてギヨームの利となったのは確かだ。マルセルも実際にその目で見たと思うが、我が兄ギヨームはすでにこの世のものとは思われぬ超人的な力を得ていた。これらの状況を考慮すると、やはりオースレンの奪還はもはや現実的ではないと思う」


「ハア……。では今後我らはどうすればよろしいのでしょうか。オロフソフ伯爵の元を離れ、ほかに頼る者もなく……。ルカ様、なにかいい案がお有りになるんですよね」


「何も無いよ。現時点では、お先真っ暗。オロフソフ伯爵と兄の手前、失策の責任を誰かが負わねばならないだろうし、このタイミングで出奔しゅっぽんすれば、自ずと私が戦犯になる流れになる。モリス、引き返すなら今のうちだよ」


「滅相もない。先代のコルネリス様から、お亡くなりになる間際にルカ様のことを頼むと託されたのです。ついてくるなと言われても、私は決して離れませんよ。幼少の頃からずっとお世話をしてきたのは誰だとお思いですか!? このモリスですよ!」


「ははっ、頼りにしているよ。……マルセル、君はどうするつもりだ? オースレンまでは私に同行してくれるという話だったが、その先まで君を雇い続ける余裕が今の私には無い。この通り、今はもうグリュミオール家のルカではなくなってしまったわけだからね」


「そうですね。正直、ノープランなのはルカ様と同じです。王都のギルド本部が失われた影響で、冒険者ギルドはどこも機能停止。冒険者は廃業同然ですからね。かといって最近流行りの魔物狩りだとか、傭兵稼業に今更、身をやつす気にもなれません。まあ、乗り掛かった舟だ。当分は、お付き合いしますよ。私がいないとお二人だけでは、都市間を旅する事も、今のご時世、ままならないでしょうからね」


マルセルはお道化どけたようにそう言うと、いきなり≪レッド・ウェラー≫を抜き、鋭い踏み込みから、ルカたちの背後に忍び寄ろうとしていた薄気味悪い幽鬼のような見た目の魔物に向かって、その剣に込められた魔力による赤い斬撃を飛ばした。


斬撃は二人の間を通り過ぎて、その魔物を一刀両断にした。

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