第235話 ロ・キの焦燥

ヴァナフェイム軍が野営のための陣を敷いていたヴィスボリ領ユーラスカ丘陵は、兵士たちと魔物の無数の屍に覆いつくされていた。


夜間に突如起こった奇襲のような状況であったためであろうか、その割合は人間のものの方が圧倒的に多く、ほぼ一方的な殺戮の場と化していたことは想像に容易たやすい。


「あのクソ爺……。やってくれたな……」


まだ朝霧の立ち込める中を死体の合間をぬうようにロ・キは歩き、ヴァナフェイム軍の損害の程度を確認していた。


マグヌス四世とこの軍を率いていた上層部は、ほぼ全滅。

あの炎を纏った怪鳥の奇襲から間もなく、本陣であったあの天幕の周辺には、おびただしい数の魔物の群れがやってきて、あっという間に乱戦となった。


ロ・キもその持てる魔法の力を使い、魔物たちを駆逐したが、彼らを救うには至らなかった。


死体の多さから、およそ九千人はいたヴァナフェイム軍が壊滅に近い損害を受けたのは間違いない。

指揮系統は乱れ、一度も態勢を立て直せぬまま、兵たちは個々に潰走の憂き目にあったのだが、生まれ故郷の国まで何割が辿り着けたことか。


戦場にはまだ魔物たちの姿が多く残っているが、そうした兵士たちの屍をむさぼるのに忙しく、よほど近づかない限り、ロ・キのことはその視線を向ける程度の興味しかないようだ。

あの襲撃時の殺意に満ちた獰猛さは鳴りを潜め、今は全く大人しいものだ。


この大陸の外。

海上にオルディンが張り巡らせた結界を越えたその先にある暗黒世界に未だ棲息している旧時代の生物たちに比べれば、その危険性はやや低い傾向にはあるものの、やはり普通の人間では大量の魔物に抗うのは難しいということなのだろう。


時折、目を見張るような武勇の者やヴァナフェイムお得意の水魔法の使い手たちもいないではなかったが、圧倒的な数の差に屈して、撤退を選択せざるを得なかったようだ。


自分を崇拝するヴァナフェイムの者たちを救うべく、≪水の魔法神≫エイギルが姿を現すのではと少し期待したが、やはり相当に弱体化したままなのか、それは空振りに終わった。


いずれにせよ、せっかく手懐けつつあったヴァナフェイム王国は当面、使い物にはならないだろう。


ロ・キはため息を大きくし、落胆を隠さなかった。



今回のヴァナフェイム王国軍を襲った魔物の大群であるが、それを裏で動かしたのはあのショウゾウに違いないとロ・キはほぼ確信していた。


いかなる方法を用いたのかまではわからなかったが、このような芸当ができるのは今は亡きヨートゥン神を除けば、その力の源を宿すあのショウゾウ以外にはあり得なかったからだ。


ロ・キにとって、ショウゾウは今や非常にもどかしい存在と化していた。


計画を成就するために必要不可欠なこまでありながら、計画そのものを危うくしかねない存在。


スキル≪オールドマン≫という能力にせよ、ショウゾウには与えたものだという説明をしたが、事実はそうではない。


対象者を探したのはロ・キだったが、ヨートゥン神の死体の頭部から発見したこの力の源が自らショウゾウを選び、勝手に動き出して融合してしまったのだ。

分離して、取り返そうにもショウゾウの魂と密実に結合してしまって、気が付いたときにはもうどうしようもない状態だった。

ロ・キとしては、もっと扱いやすい適合者が望ましかったのだが、それでやむなくショウゾウをこのイルヴァースに連れてくることになったのだ。


今回の魔物の大群の動きは、ヨートゥン神、または≪従魔じゅうまの刻印≫を得た≪魔王≫の力を思わせる。


ショウゾウに渡した≪従魔じゅうまの刻印≫はすっかり本来の働きを失ってしまっていたし、魔人たちに及ぼせる強制力も不十分な紛い物と言っても過言ではない不完全なものだったのだ。

それゆえに、あっさり手放し、ショウゾウに与えた。


ショウゾウも、スキル≪オールドマン≫も不確定要素が強く、その変化はロ・キの予測から大きく外れつつある。


もし、あれだけの数の魔物を自在に操れる能力を得たのであればこれもまた計画の修正を余儀なくされるものだった。


会って、この目でショウゾウの現状を確かめなければならない。


そして、万が一の際に、ショウゾウを従わせ得る抑止力の必要性も高まって来ている。


ロ・キは、傍らの兵士の死体の顔を思いっきり蹴った。


死体の頭部は、鈍い音をたてて、その体から引きちぎれ、遠くの藪の中に消えた。



神であるおのれが、ただの人間に過ぎなかったショウゾウによって振り回されるなどあってはならぬこと。

より強い力と優れた叡智をもって屈服させねばならぬ。



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