第234話 魔王の力

深夜遅くのこと。

いつの間にか多くの書物で溢れかえっている状態になってしまっている伏魔殿の私室で、ショウゾウが調べ物をしていると、耳を疑うような急の報せが舞い込んできた。


ショウゾウの部屋の壁にはずらりと書棚が並べられていて、そこに入りきらなかった書物の類が、床や机の上などに無造作に詰まれている。

それらの書物は、グリュミオール家が所蔵していたものやアラーニェが裏のルートを通じてどこからか仕入れてきてくれたもので、この異世界の魔法、歴史、神話、博物学的なものなど、その内容は、多岐にわたっていた。


まだ今しがた表紙を開いたばかりであった固い革表紙の本を元の場所に戻すと、ショウゾウはため息を一つ吐いて、軍議の間に向かった。

静かな夜で、とても作業が捗っていたところであったから、先ほど置いた本の内容に後ろ髪惹かれる思いだった。


ショウゾウは今、ノルディアス王国の周辺国及び大陸全体の歴史などについて勉強中であり、その他にもそれらの土地を訪れた者の手による旅行記や見聞録といったものにも興味を広げつつあったのだ。

さっきの本は南のウプサーラ王国について書かれていたものだった。



軍議の間には、オースレン周辺の偵察に出していた≪鳥魔≫ストロームが戻って来ていて、現在、伏魔殿にいる他の魔人、魔精ましょうも≪剣魔≫ミュルダールを除くほぼ全員が揃っていた。


「ストローム、ご苦労だったな。それで急な報せというのは何だ?」


ショウゾウのねぎらいの言葉にストロームは首を深く下げ、さっそく報告を始めた。


ストロームは巨大な翼持つ≪魔鳥人まちょうじん≫の姿に変身し、ヴィスボリ男爵領のはるか上空から、そこで野営中のヴァナフェイム王国軍の様子を伺っていたそうなのだが、今宵、その地上にて、思いもかけない事態を目撃したのだという。


「……ヴァナフェイムの軍勢に匹敵するほどのおびただしい数の魔物がヴィスボリ男爵領に集まり、襲撃を開始したのです。不意を突かれた形となったヴァナフェイム軍は、魔物たちの夜襲に総崩れになり、ほぼ壊滅状態に陥りましてございます」


「なんだと? それはどういうことだ。その魔物はお前たちがけしかけたのか?」


「いえ。如何に我ら闇の眷属とはいえ、これほどの数の魔物を、しかも一度に≪使役≫するなど不可能です。我らが従えることができるのは、自らが封じられていた迷宮内よりでし魔物のみ。しかも、それらすべてを同時に操るとなると相当の負荷がかかり、自身もかなりの消耗を強いられてしまいます」


その場にいた者たちを見渡してみたが同様の意見であるようだ。


「……そうか。では、魔物たちが自発的にヴァナフェイム軍を襲ったということなのであろうか。まあ、我らにしてみれば、自ら出向く手間が省けたというものだが、何とも奇妙な話だな」


「その……、ショウゾウ様……。ショウゾウ様は、何か思い当たることなどは無いのでしょうか?」


話を隅で聞いていたアラーニェが、他の闇の眷属たちの気持ちを代弁するかのようにふと疑問を口にした。


「思い当たる節など……」


そう言いかけて、ショウゾウはあることに思い至る。



今日の日中のことだが、この軍議の間で、地図上に置かれた各軍の布陣状況などを再現した置き駒を眺めつつ考えたことがあった。


やれやれ、万の軍勢か。自ら相手をするのも億劫だな。

魔物にでも襲われて、尻尾を巻いて退却でもしてくれぬものかな。


ルシアンの光王即位宣言のための式典で、百人ほどの光王家の縁者の命をスキル≪オールドマン≫の≪広範囲吸精ジェノサイド≫で一度に吸収したまでは良かったが、その時同時に取り込んでしまった異物のような何かが中々、身の内でこなしきれず、消化不良気味であったのだ。


以前、オルディン神殿の宿坊で数十人の王族の子弟を根こそぎ始末した時や、≪光の使徒エインヘリヤル≫のゲイルスケグルを吸収した時にも同様の不快感がしばらく消えなかったのだが、今回は人数も多かったので、精気エナジーについては当分、食傷気味であったのだ。


オルドの血というやつがいかんのかなとショウゾウは考えないでもなかったが、しかし、そうした不快感が消えた後の力の充実具合は、他の生命を奪った時とは比較にならないほどのもので、新たなる力を得たという実感を伴うものであったのだ。


そういった事情もあって、自らヴァナフェイム王国軍の対応をすることに気が進まないショウゾウであったのだが、さりとてこのまま放置することもできなかったため、内心で先ほどのような愚痴をこぼしたのであるが、それがまさかその日のうちに現実のものになろうとは思いもよらなかった。


それゆえ、ストロームの報告を聞いて、強く戸惑ってしまったのである。


「アラーニェ、なにゆえお前は、そのようなことを聞く?」


「ショウゾウ様の胸に刻まれている≪従魔じゅうまの刻印≫は、かつて神々が二つの勢力に別れ相争った時代に、ヨートゥン神が、自らに従いし氏族の人の子に授けた象徴シンボル。それは神が創りし魔物たちを自在に操る権能を預けた証であり、それを得た者を生前の我らは≪魔王≫と呼びました。ヨートゥン神亡き今、≪従魔の刻印≫は本来の力を失い、今や我らとその所持者の主従を保証するにすぎないものと化したと思っておりましたが、此度の異変は、かつての≪魔王≫を思い起こさせるものでございました」


「おい、なにゆえ、ショウゾウ様の胸に≪従魔じゅうまの刻印≫が刻まれておることを、おぬしが知っておるのだ?」


鍛魔たんま≫マルクが素朴な疑問を口にしたが、アラーニェにきつく睨まれ、慌てて口を手で塞いだ。


アラーニェは珍しくその白磁のような頬をやや赤らめ、咳ばらいを一つすると話を続けた。


「とにかく、これまであまり人を積極的には襲って来なかった魔物たちがこのような行動をおこしたのには何か意味と原因が存在すると思われます。まだ、そうであると決まった話ではございませんが、もし、ショウゾウ様の≪従魔じゅうまの刻印≫がなんらかの理由で、その本来の力を取り戻したのであれば、今後はその扱いを慎重に為された方がよろしいかと……」


「慎重にと言われても、儂がそう命じたわけでもないし、困ったな。本当に儂が関与しておるのだろうか?」


光王家の連中もそうだが、権力と軍事力にものを言わせ、戦や弾圧といった非生産的な行為を容易に行おうとする輩を好ましく思っていないのは事実だ。


何も生み出さず、それに巻き込まれたすべてを毀損するばかりの軍人やそれらの上に君臨する暗愚な為政者どもは一人残らず死に絶えても構わないとさえ、本音ではそう思っている。

今回のヴァナフェイム王国軍が見舞われた危難もどちらかと言えば、スカッとした気分になる話だった。


それにしても、魔物たちを自在に操る≪魔王≫の力か……。


果たしてそんなものが、今の儂に備わっているのだろうか。

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