第228話 魔眼の示すもの

誰もいなくなった軍議の間で、ショウゾウはまだ一人で思索にふけっていた。


腕組みしたまま動かず、軍議台の上の地図をじっと睨んでいる。


この地図は手書きのひどく大雑把なもので、そこに記された地名によって辛うじて各都市間の位置関係がわかる程度のものとなっている。

山や川なども一応は描き入れられているものの、実際の地形は思い浮かべにくい。


この異世界の文明の測量技術が如何に未発達かを雄弁に語るこの地図は、さらにもう一つ、ノルディアス王国に暮らすものたちの世界の狭さをも表していた。

地図の中央にこの国全土が大きく配置されており、その周辺国については、地図の端の方の余白にその国名があるばかりだ。

地図自体が貴重なものであり、グリュミオール家が所蔵しているものの中ではこれが最も精緻せいちで広範な土地を記した地図なのだというから、そうしたショウゾウの推理もあながち間違ってはいないと思われた。


ルシアンによれば、光王家はもっと詳細で、この国のみならず、大陸全体を表した地図を所有しており、外征などに用いていたらしいが、その地図とて確かな調査によって作られたものではなく、見聞や印象による不確かなものであったようだ。


そして、この大陸の外は、沖から見える大小いくつかの島々がある以外は延々と続く海であるらしい。

陸地を離れて、船でどこまでも行こうとすると、やがてどこまでも長く続く、高い光の壁が現れてその先には進むことができないという大昔の逸話が今なお信じられており、それを確かめようと思うような人間はまずいないだろうということである。


つまり、このたった一つしかない大陸の限られた土地を巡って、いつの世も人々は相争ってきたわけであり、その覇権を握っていたのが光王家が支配するこのノルディアス王国であったというわけだ。


一強のノルディアスとそれに呑み込まれまいと連携する周辺の五か国。


今、その各国のパワーバランスが崩れ、新たなる戦乱の時を迎えようとしているわけであるが、この国を損なうことなく手に入れたいと考えるショウゾウにしてみればこのことは大いに迷惑な話であったのだ。


ただでさえ、光王家の迷走と≪光の使徒エインヘリヤル≫の出現によって、国も民も疲弊している状況なのだ。

その上、国境を侵してくる周辺の国々に荒されては、多大な富と資源の喪失となる。


一刻も早くルシアンの完全なる即位を実現し、この国の安定を取り戻さなければならないと考えていた。

そのための新光王即位の宣言であり、それを一刻も早く内外に示す必要性があったのだ。




翌日、ルシアンの即位宣言のためのセレモニーの準備が着々と進められ、もはや当日を迎えるばかりであるという状況に至ったその夜のことである。


大将軍デルロスが出した書状の効果もあって、比較的近隣に逃れていた王族や宮廷人が続々とこのオースレンに集まりつつある中で、≪眼魔≫ベリメールが伏魔殿で翌日の警備体制の再確認をしていたショウゾウのもとに、ある報告をしに訪れた。


それは密かに探らせていた王都の現状。

そして≪光の使徒エインヘリヤル≫たちの動向だった。


暗灰色のローブに身を包み、フードを目深に被ったベリメールは、その低く、暗い声色でショウゾウに、おのれの≪魔眼≫が見た一部始終を報告した。


ベリメールは足が生えた目玉のような使い魔を多く従えており、その目玉が潜入先で見たすべてを己が≪魔眼≫で共有することができる。


「王都は今、無人の都から、新たな姿へと変貌しようとしています。虚ろな死者の骸が徘徊し、夜には無数の人魂ひとだまが宙に漂う死者のみやこ。あれは、おそらく王都で死んだ者たちのものだけではなく、王都周辺で死んだ無関係の者たちのものまで吸い寄せられるように集まって来たものだと思われます」


「吸い寄せられたじゃと?」


「はい。オルディンが従えし、戦姫ヴァルキュリャたちはかつて戦場で死せる魂をも操り、おのが軍勢としました。それと同様の力をあの≪光の使徒エインヘリヤル≫たちも有しているのかもしれません。私の人格のもとになっている魂は、≪光の使徒エインヘリヤル≫出現以前にその命を落としていたために、その実際のところはわかりませんが、さきほど≪鍛魔たんま≫マルクに尋ねてみたところ、そうした力を持っていた形跡が確かにあったとのことです」


「それは、この国の有史以前にあったという神々の争いの話だな?」


「はい。≪光の使徒エインヘリヤル≫は、ヨートゥン神が討たれ、戦いの趨勢が完全に決した後の掃討戦で投入された新戦力であったとの話で、私があの者たちの存在を知ったのは、ショウゾウ様と同じ、グロアの死によってでございます」


「なるほどな。あの連中の残虐な行いを知れば、その当時の掃討戦とやらの凄惨な光景が目に浮かぶようであるな。ストロームからも報告が入っているが、奴らは気まぐれに現れては村々を襲い、まるでその死をもてあそぶかのような行いを繰り返しておるらしい。ルシアンの即位宣言の会場に現れてくれれば一網打尽にしてやるところだが、仲間二人がやられたことを相当に警戒しているのか、このオースレンにはまったく近寄ろうとしていないようだ」


「その≪光の使徒エインヘリヤル≫どもの動向についてですが、すこし奇妙なことが……」


「奇妙?」


「奴らは最近、襲った村々で人を攫い、どうやらあの王城に連れ込んでいるようなのです。城の中を調べようと≪目玉≫を侵入させましたが、城内は何らかの力が働いており、それを妨げられました」


「ふむ、それはおそらく≪秘文字ルーン≫によるものかもしれぬな。光王家やオルディン神ゆかりの場所にはそうしたものを用いた結界が張られていて、≪魔洞穴マデュラ≫による侵入を拒むような場所が王都にはいくつもあった。それにしても、人を攫っているか……。連中の意図も目的も今のところ、皆目見当もつかん」


「それともう一つ。定期的に城に出入りしている怪しい人物がいます」


「怪しい人物とな」


「……それはもう怪しいとしかいいようがありません。来る都度、性別、年齢、骨格、服装など異なっていますが、同じ人物……いや人で在るかもわかりませんが同一の存在であることを私のこの≪魔眼≫が認識しているのです」


ベリメールは目深に被っていたフードを上げ、包帯を取ると、その下にある両のまなこを見開いた。


こうして見ると思ったよりも若い容貌であった。

少しやせ気味であるが、どこか知的さを感じさせる顔立ちで端正であると言えなくもない。


金と銀。


左右色違いのその両目が妖しく輝きそして、部屋の壁にある人影を映し出した。


「変装、あるいは変身なのかもしれませんが、真贋見抜くこの両眼にはこのような姿に映ります」


その人影を見て、ショウゾウは思わず眉根を潜めた。


ロ・キだった。

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