第227話 危急存亡の秋

B級ダンジョン≪悪神の偽り≫を攻略し、オースレンに戻ったショウゾウを驚かせたのは、ノルディアス王国を取り巻く情勢の目まぐるしい変化であった。


ヴァナフェイム王国の侵犯行為は、その他周辺国を巻き込む五か国による同時侵攻へと発展し、ノルディアス王国は今まさに危急存亡のときを迎えようとしていたのだ。


だが各地に散っている光王家の者たちは、相変わらず新たな≪呼び名ケニング≫の継承者にいずれの者がなったのかのみを注視し、声を上げて事に当たろうとする者は誰も現れなかった。


だが、それも無理からぬことであったかもしれない。

光王家の長い歴史の中で、≪呼び名ケニング≫を宿さぬ王が君臨した例はなく、ましてやその玉座が空位のまま、これほどの時が経過するなど前代未聞のことであったのだ。


各領土を任され、その防衛にあたらねばならぬはずの領地貴族たちの動きも鈍かった。

久しく領土防衛などする必要も無かったこともあり、その備えも十分でなかったことから、その対応は後手後手に回った。

さらには頼みの綱である王都や隣接する他領からの救援なども得られず、孤立化し、侵攻してくる他国の軍勢に為す術もなく蹂躙されるほかは無かったのである。



≪領王≫を自称するギヨームの居城にある軍議の間で、ノルディアス全土を表した地図上に置かれた各勢力を表す駒の配置を眺めながら、メルクスの姿になったショウゾウは思わず唸ってしまった。


海に囲まれた島国育ちであったためか、こうして陸続きの他国、それも多方面から一斉に侵略を受けることがあるのだといった想定が抜けていたのだと素直に認めざるを得なかったのである。


地理や国際情勢など、予備知識も何もない異世界のことであるから仕方のないことであったと言い訳を言うことはできるが、この国を牛耳りたいという野心を持つ者にとって、それは決してしてはならないことだとショウゾウは思っていた。


権力の深奥しんおうにあって、為政者や官僚、経済人などそのすべてを操ろうとする者が、無能であったなら、それはもはや国家の存続にとっては除くべき最大の病巣である。


錦の御旗を笠に着て、勝ち目のない戦いに盲進し、国内外の多くの人々を不幸にした祖国のような愚を繰り返してはならぬ。


そのためには、権力者たちが間違った選択をしないように、彼らを従わせ得る、より巨大な力を手にしなければならない。

そして敗戦によって傷ついた祖国が、もう一度素晴らしい国に戻れるように力を尽くすのだ。


そうした志を胸に、かつてのショウゾウは政財界をも思いのままに動かす闇の大物フィクサーとして一時期、裏社会に君臨したのであるが、それもやはり老いと衰えには勝てなかった。



「……やはり、ルシアン様の新光王即位の宣言は、時期尚早かと。今は侵入してくる他国の軍への備えが急務。即位儀式など行えるような状況にはないと私は考えます」


そう意見を述べてきたのは、今やこの城の主にして≪領王≫となったギヨームだ。


ようやく少しおのれの役割に慣れてきたのか、立ち居振る舞いも落ち着きを見せ始めてきたこの黒鳶くろとび色の髪の若者は、濃い髭も綺麗に整え、なかなかに見られた風貌になりつつある。


「私もギヨームの考えに賛成だ。ヴァナフェイムがこのオースレンのもうすぐ近くまで兵を進めていることを考えると、今はそれをどうやって凌ぐのか、まずはその対策をすべきであろうと思う。せんだってのオースレン侵攻の失敗でヴィスボリ男爵領は兵が乏しいはずだ。そう何日も持ちこたえられるとは思えない……」


ギヨームとルシアンの若い二人のやり取りをデルロスは無言で聞き、そして何かを考えている様子だ。


しばしの沈黙が続き、皆の視線がメルクスのもとに集まった。


闇の怪老と恐れられているショウゾウのもう一つの貌であるメルクスだが、その外見は二十歳半ばほどだ。

状況を知らぬ者がこの場にいたならば怪訝に思うであろうが、この場にいる誰もがこうしてじっと地図上を睨むメルクスの視線や挙動、そしてその考えを気にしている。


そして、そのメルクスがようやく口を開いた。


「……ルシアン、お前、この期に及んで光王になるのを躊躇っておるのではないだろうな?」


「メルクス、これはそういう話ではない。大局を見れば、今がその時ではないことを、お前もわかっているだろう。このオースレンの兵数はどれほど搔き集めても精兵で五百前後がいいところだろう。領民を兵として動員してもまるで足りない。お前の配下のストロームという者の報せでは、ヴァナフェイム軍は万に迫る数だというではないか」


「兵の数はこの際、問題ではない。肝心なのは、機だ。すべての物事には、それを為すにふさわしい時機というものがある。この国難の時だからこそ、今が絶好の機である。そうは思わないか? 誰もが名乗りを上げぬ中、ルシアン、お前が「我こそが新しき光王である」と宣言する。散り散りになっている光王家の勢力を結集し、領主貴族を従えるのだ。この状況になって、初めて五分だ。冷静に考えてみろ。普通にやって、五百で万の軍勢に打ち勝つ方法など有るはずがない。しかも多方面からそれぞれの国の軍勢が侵入してきているんだぞ。敵はヴァナフェイム軍だけではない」


「そ、それはそうだが……」


「わかるぞ。自信が無くなって来たのだろう。≪呼び名ケニング≫無くして、光王を名乗る。そのことに、無意識ではあるかもしれないが、躊躇いが生じているのだ」


メルクスの鋭い指摘に、ルシアンは思わず視線を逸らしてしまう。


「……ルシアン、聞いてくれ。……私もメルクスの考えと同じだ。この劣勢を覆せるかはわからないが、光王の存在無くして、この混乱を鎮める術はないと思う。……光王家の権威あっての大将軍職だ。この状況でいくら俺が声を上げても、ヴァナフェイムに抗いうる兵力は確保できまい」


デルロスは、体調が優れないのか、ひどく青ざめた顔をしていた。

小刻みに震えるおのれの右手をどうにか抑えつつ、メルクスに同意する意見をようやく発したが、それだけでかなり疲れた様子だった。


どうやら精神に受けた傷だけでなく、≪光の使徒エインヘリヤル≫ゲイルスケグルに体を奪われていた時に自らの肉体が行ってしまった蛮行と暴虐の記憶も相当に彼の心を病ませているようだった。

こうして軍議に参加しているだけでも心身に相当の負担がかかっているであろうに、それを拒否することなくこうして自ら進んで臨席しているあたり、相当な精神力の持ち主であるとメルクスは感心している。


「デルロスもこのように言っている。ルシアン、覚悟を決めるのだな。新たな光王の宣言は予定通り二日後に執り行う。そののちに各地にそのことを知らせる使者を送り、民にも高札などで大々的に知らしめるぞ。まあ、ヴァナフェイム軍については心配するな。俺に任せておけばいい。これは通常の戦にはならぬ。兵数など関係ないのだ」


どこか不安そうなルシアンたちにメルクスは余裕の笑みを見せ、そして「お前たち、この俺が信じられないのか?」と付け加えた。


その様子を傍らのアラーニェがくすりと笑い、ルシアンとギヨームは顔を見合わせた。

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