第226話 虚と実
自分の目の前に現れた、もう一人の自分の存在にショウゾウは思わず我が目を疑った。
同じ顔、同じ背丈、同じ服装。
腰に佩いた長剣≪
「どういうつもりだ? 冗談にしては悪趣味が過ぎるぞ」
『気を悪くされたのなら、謝罪いたしましょう。儂は≪
「……まあ、悪気が無いのであればいい。老いさらばえて、醜くなった自分の容姿を見るのは案外、嫌なものでな。だが、考えようによっては影武者も頼めそうだし、他にもいろいろと策謀に使えそうだな。それにしても、わからんのだが≪虚≫が万物の根源をなす元素とはどういうことなのだ? 火、風、水、土の四元素は、まあわからないでもない。古代の哲学などではそうした考え方をしておったようだからな。シルウェストレによれば、このイルヴァース世界には無数の精霊たちがおって、神羅万象の働きをそれぞれ司っておるのだというが、≪虚≫の精霊というのも存在するのか?」
「それはもちろん存在します。他属性の精霊たちの姿をとるなどして紛れているため、常人であればその存在を感じ取ることは難しいものの、地上のありとあらゆる場所に存在します。先ほど仰られた四元素などはまさしく≪
「ううむ、いまいちよくわからんが……まあいい。その辺のところは、後ほどゆっくり説明してもらうことにしよう。もうじき、この迷宮から去らねばならんのであろう?」
「然り。封印の力はもうすでに失われました。直に、内包されていた魔が解き放たれ、そしてこの迷宮は役割を終え、消滅することでしょう」
ショウゾウは長話を打ち切り、さっさと≪
打ち合わせした通り、安全な地下十一階の≪休息所≫で待機していたレイザーたちであったが扉を開けて入って来たのが、二人のショウゾウだったことでどう反応すべきかわからなくなり、すっかり固まってしまっていた。
駆け寄ってくることもなく、互いに顔を見合わせて、どうしたらいいのかわからないでいる。
先刻の迷宮全体が脈動するかのような大きな揺れに肝を潰した後であったから、豪胆なフェイルードでさえ、この思いもよらぬ珍現象にいかなるジョークも思い浮かばなかったようだ。
「……まあ、無理も無いな。儂でさえ、どこか狐にでもつままれたような気分なのだからな。この儂と瓜二つなのが、この迷宮に封じられていた守護者のエフェメラルだ。こやつは、精霊の類で、人ではないから、特に挨拶などは不要だぞ。さあ、急ぎ脱出することにしよう。日数に余裕はあるはずだが、儂としては早く戻って新光王即位に備えねばならん。メルクスとして臨席することになっているからな。こうみえても色々と忙しいのだ」
フェイルードやルグ・ローグなどにあれこれ詮索されるのも面倒なので、混乱したままでいてくれた方がむしろ都合がいい。
ショウゾウは自ら先頭を切り、≪休息所≫からの出発を促した。
そしてこの部屋にある、上階に向かう方のもう一つの扉の先は迷宮の床から這い出してきた魔物たちの蠢く異様な光景になっていた。
魔物たちは、これまでの例のごとく、ひたすら上階を目指して進んでいたようであるが、ショウゾウの存在に気が付くと慌ててその場を退き、その歩みを妨げぬように、視界の先まで道を空け始めた。
まるで魔物たちが、王の行進を出迎える民たちのように畏まり、跪いてその服従を誓っているようにさえ見えた。
ショウゾウだけでなく、連れのフェイルードたちにも害意を示すものは一匹たりともいない。
先ほどまで、迷宮の攻略を阻んできた時とはまったく異なる様子だった。
「もう驚きすぎて、言葉が何も出てこないぜ。前に外から魔物の大行進を眺めていた時とは違う。これだけの数の魔物に囲まれている中を歩くんだからな。ショウゾウさんよ、あんたが言った通り、誰も体験できっこない経験をさせてもらってるぜ」
フェイルードは、軽口を叩いたが、その顔はどこか引きつっていた。
さすがの彼であっても、これだけの魔物に一斉に襲い掛かられ続けてはただでは済まないことを理解していたからである。
そして、魔物たちと共に地上を目指す行軍はつづく。
ショウゾウは、その力強い歩みを続けながら、この魔物たちとの関わり方、そしてその扱いについて考えていた。
これまでの中位、下位の迷宮の魔物に比べて、≪悪神の
ショウゾウがそうすることを望まないことを察してか、地上に溢れだしたこれまでの魔物たちは、人間の営みに目に見えて深刻な被害を引き起こしてこそいないものの、今後はその生息数の増大から、様々なトラブルの原因になることも容易に想像がついた。
どこか、人の住まぬ広い場所にでも移住させるなど手を打たねばならぬかもしれぬな。
ショウゾウは、ふとあることを思いつき、隣を斜め後ろを歩くエフェメラルの顔をちらっと見た。
虚ろ。
≪
『≪実≫がこの世界で安定し、正常に働きを保つには、無いという前提、すなわち≪虚≫が必要となるのです』
先ほどのエフェメラルの言葉が思い出された。
あの途方もない巨大な空間を、なんとか有効利用できぬものかな?
声には出さず、足も止めずにショウゾウはひとり内心で、新たな構想に思いを馳せた。
かつて存在していたヨートゥンという神が未完成のまま遺したあの空間を、なんとか代わりに儂が完成させることはできぬであろうかと。
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