第225話 死者の顔貌

不覚。


フェイルードに事前情報はいらぬなどと偉そうに啖呵たんかを切ったが、何と云う体たらくか。

まるで室内に侵入して、人間に捕獲されるときの虫のようではないか。


くしゃくしゃになった黒く薄い紙のような形状の何かに覆われ、閉じ込められてしまったショウゾウは、思わず己の不明を恥じるとともに、軽く舌打ちした。


ショウゾウは脱出しようと滅多矢鱈めったやたらに剣を振り回したが、霧が晴れるように、一瞬、外の光景が垣間見えるだけで、その黒い何かはまたすぐにショウゾウを覆い隠してしまう。


妙だ。

こうして包み込んでは来るものの、攻撃してくる気配はない。

この魔物は一体何なのだ。


剣で斬っても手ごたえが無いことからもわかるが、物理的な感じはなく、圧迫してくる様子もない。

視界が遮られ、煩わしい以外に実害が無い。


仕方ない。剣で駄目なら、魔法を使うか。


そう思った次の瞬間、頭の中になにか映像のようなものが過った。



『立て!それでも不破家の男子か』


忌まわしくも懐かしい声が聞こえ、浮かんできたのは幼少期の自分を鬼の形相で見下ろす祖父だった。

立てずにいるショウゾウをひたすら竹刀で打ち付け、罵倒する。


父を早くに亡くしたショウゾウはこの祖父に育てられたのだが、学業でも体育たいいくでもよその家の子らに後塵を拝することは名門不破家の恥であると考える厳格な人間であった。


ショウゾウの生家である不破家は、古くから続く武門の血筋であるという事を誇りとし、その土地の名家であることを気取っていたが、その実態は、この祖父の事業の失敗で抱え込んだ多額の借金があり、当時は先祖伝来の土地や家宝などを少しずつ切り売りすることでようやく体面を保っているに過ぎない窮状であった。


祖父は「不破の家に恥じぬ男になれ」というのが口癖で、こうして毎日、家の敷地にある武道場で、剣術の稽古と称してショウゾウたち兄弟を折檻した。


「ぐっ……」


おかしい。なぜ急にこんな昔のことを思い出したりするのか。

頭の中に浮かんでくる幻像を振り払おうとすると、今度は女の泣きはらした顔が現れた。


『あなたは人の姿をした怪物です。人の血など流れていない』


これは最初の妻だった女だ。

そして、これは家を出ていく前に見せた最初で最後の泣き顔だ。


『私はあなたから得られなかった愛情を、和男さんの情けで埋めていただけ。責められるいわれはありません。あなたは私の家と結婚したのです。そして私は不破家の跡取りを産むための道具でした。子をし、その務めは果たしたつもりです。もう、自由にさせてください!』


和男というのは、屋敷で働いていた下男だ。

当時仕事で忙しく留守がちで、いつの間にか妻とこの下男は男女の関係となっていた。

二人は、その後、屋敷を出て行き、妻の生家を頼ったのだが、儂が人を使って和男を自殺に追い込んだため、彼女もすぐその後を追ってしまった。

今にして思えば放っておいてやってもよかったのだが、その時は裏切りがただ許せなかった。


ここでようやくこの不快な幻像が、この黒い物体の仕業であることに気が付く。


そうか、こいつは、上の方の階にもわんさかいた≪恐怖の影フィアー≫などの不定形モンスターと同じような類のものであるのか。

こいつが攻撃しているのは儂の精神面だ。


妻の顔が消え、今度は無数の人間の恨めしそうな顔が一斉に浮かんできた。


それらは、ショウゾウが直接的、あるいは間接的に殺めたり、不幸に陥れたりした者たちの顔だった。

ほとんどが名前も思い出せない者ばかりだったが、いくつか印象深い顔があったのでそう察しがついた。

ショウゾウの人生に立ちふさがり、障害となった者たちで、成功と栄達のために蹴散らしてきた連中だ。

あそこら辺の派手に着飾った若者たちは、儂が渋谷で轢き殺した者たちであろうか?

よく見ると、この異世界に来てから殺した大勢の者たちも浮かんでいる。

鉄血教師団ティーチャーズ≫の面々やおせっかい焼きの門番サムス、それと目つきが悪いのが印象的だったジャンなどの顔もあった。


雁首がんくび並べてどうした。 そんなに儂が羨ましいのか?」


何が原因で起きた現象か、わかってしまえばどうということはない。


彼らの死に対してショウゾウは何ら責任を感じておらず、罪悪感は微塵もわいてこなかったのだ。


ただ煩わしいだけ。そういう術だ。


ショウゾウは、おのれの≪魔力マナ≫を≪光気≫に変換し、光魔法の誘導光爆連弾陣ラナカータ・オーラスを再現した。


ショウゾウの周囲に夥しい数の光の弾が浮かび、そして打ち上げ花火のように全方位に爆ぜた。


一つ一つは真髄たる闇の魔法と魔導神ロ・キを介していないので威力は劣っている。


だが、この黒い物体と潜む本体を打ち倒すには十分な威力だったようだ。


『グゥオォォォ……』


室内の壁や天井、床などを光弾が穿つ破壊音と同時に、黒い紙状の何かはもやとなって消え失せ、どこからか呻くような声が響いた。


それはどうやら、室内中のあらゆる場所から聞こえてきていたようで、光弾によって損傷を受けた壁や天井などの表層がばらばらと崩れ始めた。


ショウゾウは、その剥がれ落ちた瓦礫の破片を一つ手に取り観察した。


どうやら、この魔物の本体はこの部屋の内装部分全体にあたる場所に張り付いた薄い板状の陶器質なものであったようで、迫る黒い紙形状のものは攻撃手段であると同時に、本体の存在を隠すダミーでもあったようだ。


この≪悪神の偽り≫のボスモンスターは、動く鎧や木人形などと同系統である、仮初かりそめの命を与えられた器物系の魔物だったらしい。


その正体はショウゾウの予想には無いものだったが、広範囲全方位の破壊魔法を選択したのは偶然にも功を奏したようだ。

本当は、≪聖光付与サクリス≫を試したかったのだが、やはりなんでもそう思い通りにはならないものだ。

光を帯び、輝く剣。

昔見たアメリカのSF映画の剣劇ちゃんばらのようで面白そうだったが仕方ない。


やがて床に落ちた瓦礫は迷宮に吸い込まれていき、床にくるまった濃紺の布のようなものと小さいがやけに重さを感じる魔石が現れた。


マシューから奪い、だいぶ使い慣れた感がでてきた≪鑑定≫で、その布の塊を調べてみると以下のようだった。


虚静きょせいの外套≫

鑑定内容:魔王具。装備者の精神を安定させ、さらにその生き物としての気配を抑える効果がある外套。


ふむ、儂には≪宵闇の外衣ローブ≫があるし、これはエリエンにでもやるか。



『虚の真理を知り、動じぬ心を備えし者よ。認めよう。おぬしは我が主にして、すべての闇を従えるに足る魂の持ち主……』


例のごとく、何者かが現れるのかと思ったが、そこに立っていたのはもう一人のショウゾウだった。

姿かたち、身に着けている物まで瓜二つだった。


これにはさすがのショウゾウも面食らい、思わず口をぽかんと開けてしまった。

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