第218話 羨望と葛藤

剣で斬りつけた傷も、魔法で負った火傷もたちどころに治してしまう怪物を如何にしたら殺せるか、フェイルードはショウゾウの一挙手一投足を観察しながら、そのことを考えていた。


思いついた方法は二つ。


それは殺し得るかもしれないという可能性の話に過ぎないのだが、その結論に至ったことで、少し心の安定が取り戻せた気がした。


ひとつは頭部を切断し、胴体から切り離してしまう。あるいは、頭部を完全に破壊してしまうこと。


頭と体の二つに分断された場合にどちらが本体とみなされ、再生するのかはわからないが、よもやその両方が再生し、ショウゾウが二人になってしまうということは考えにくい。

おそらくは思考を司る頭部の方が本体で、そうでない方は再生しないだろう。


もう一つは、吊り天井が落下したり、迫る石壁に圧死させられるような仕掛け罠を用いる方法。


あのレイザーを常に連れている様子からも、迷宮内においては魔物ではなく、そうしたトラップの類をショウゾウはかなり警戒しているようだった。

不意を突かれ、深刻な重傷を負ってしまえば、身動きはできなくなるし、罠からの脱出は困難になる。

そこからすぐに再生が追い付かなくなるほどの損傷を与え続けられれば、いずれ力尽きて死ぬのではないか。

あの無尽蔵に見える再生能力も、無限ということはないと思いたい。



フェイルードはそこまで考えて、急にむなしくなり、そのことを考えるのをやめた。

いずれの方法にせよ、あくまでもそれは想像にすぎず、実行に移すだけのメリットも、勝算も無いことに気が付いてしまったからである。


人間の及ばぬ力を持つ≪光の使徒エインヘリヤル≫や闇の怪老などの出現によって、この世界が自分自身の力ではどうにも打開ができないほどに変貌し、閉塞しきった状況に陥ってしまったと絶望していたのだが、俺は一筋の光明が見えたという錯覚にすがることで心の均衡を取り戻そうとしていたらしい。


フェイルードは改めて自分の心の弱さを実感させられたような気がして、余計に気分が落ち込んでしまった。


運良くショウゾウだけを殺せても、あの≪光の使徒エインヘリヤル≫たちに対抗する術は見いだせていないし、かえって共闘の可能性がある勢力そのものを敵に回しかねない愚かな考えだ。


ショウゾウには、これまで攻略し、解放してきた迷宮の守護者たちが付き従っているのだというし、その力は決してあの殺戮を愉しむ≪光の使徒エインヘリヤル≫たちにも劣らないものであるらしい。


死して屍となったいにしえの神より生み出されたという迷宮に宿る、異能の守護者たち。


なぜ、その彼らを解放し、従えるのが、迷宮の攻略に人生の全てを捧げてきた自分ではなく、あのショウゾウなのだろう。



「おい、フェイルード。どうした? 気分でも優れないのか」


スティーグスが傍らに歩み寄って来て、声をかけてきた。

普段から岩のように無口なこの男が自らこうして話しかけてくるのはよほど珍しいことだった。


「……ああ、すまん。少し考え事をしていた。何か問題でも起きたか?」


「いや、そうじゃない。見ろ、雇い主であるショウゾウが先行して、魔物と対峙してしまっている。このままでは俺たちを雇った存在意義そのものが薄れてしまうぞ。引き受けた以上、俺たちの価値を証明しなければ……」


スティーグスの言う通り、気が付くとショウゾウが、ヴォルンドールから以前強奪した長剣≪主君殺しディルムント≫を手に牛頭魔人ミノタウロスと戦闘中だった。

しかも驚くべきことに剣撃の強さと速さだけで、相手を圧倒しており、瞬く間に屠ってしまった。


ある程度、剣の腕があることは、ヴォルンドールとの一騎打ちで把握していたが、その時はこれほどの膂力と身体能力があるようには見えなかった。


齢八十にも、九十にも見えなくはないその風貌で、このような人並外れた動きをするのはまさに驚嘆すべきことで、ヴォルンドールや他の者たちの目も釘付けになってしまっている。


剣を濡らすどす黒い血を地面に振り落としながら、ショウゾウが戻って来た。


「大した強さだ。俺たちを雇う必要なんかなかったんじゃないのか?」


「いや、そんなことはない。お前たちがいなければ、倍以上の時間がかかっていたであろうし、何より儂の負担はより大きいものになっていたであろう。戦闘時において、普段の儂の役割は、前衛のエリックを補いつつ、攻撃の要となり、さらに後衛を守りながら、戦況の判断もしなければならなかった。まあ、三、四人という少数集団ならではの悩みではあるのだが、やはりこれだけの顔ぶれが揃うと心の余裕がまるで違う。おかげで、試したいことが色々試せている」


「試す?」


「そうだ。実は儂自身、自分がどの程度やれるのか把握できないままの状態でな。こうした実戦での試みによって、少しずつその理解を深めていく必要があるのだ。正直、肉体に備わった身体能力をまだうまく扱いきれずにいるのでな」


「貪欲だな。それだけの強さを得て、まだ上を目指しているのか」


「なに、今の儂など大したことはない。これから先、A級、S級の迷宮を制覇せねばならんのだ。おぬしたちとの連携も精度を増さねばならぬし、個々のレベルアップも必要不可欠だ」


「S級……」


たしかにそうだ。

王都の地下にある最高難度の迷宮≪悪神の深奥しんおう≫は、これまで数多くの名だたるクランやパーティが挑み、そしてその攻略を断念してきた前人未到のダンジョンなのだ。

これまで誰もその最深部には辿り着けておらず、その全容は未だ謎のままだ。


迷宮自体の規模も不明で、地下何階まであるのかさえ、明らかになっていない。


フェイルード自身、クランを組織し、何度も挑戦してみたものの、ごく浅い層で撤退を余儀なくされており、その再度の失敗による人的損失と財務内容の悪化がクラン追放という事態を招く原因になってしまった。


何度失敗しても諦めようとしないフェイルードから、仲間たちの心は次第に離れていき、クランを去る者が相次いだ。

残ったメンバー全員が「お前には、もうついて行けない」と、その意志を伝えに来た時、フェイルードはひとりクランを離れることを決意した。


そして、その後も諦めきれずにこうして新たなパーティを作り、藻掻いてはいるがその目標は少しずつフェイルードから遠ざかって行っている様な実感があった。


光の使徒エインヘリヤル≫の出現による先の見えぬ状況に加え、新たなクラン立ち上げのために蓄えていた資金や物資をそっくり失うなど、不運ばかりが重なった。


現実的に見て、今の自分はS級ダンジョンに挑める状況には無い。


いつしか、その現実を受け入れつつあった。


ショウゾウがすべての迷宮を攻略したいのだという依頼内容を自分は当然理解していたはずであった。

だが、こうして改めてショウゾウの口から「S級」という言葉を聞くと驚かされると同時に、心搔き乱されるものがあった。


自分が手放しかけていた目標を、ショウゾウは揺るがぬ強い意思の宿る眼でしっかりと見据えているように思えた。


フェイルードはそこで、ふとあることに気が付かされた。


そうか。俺は、このショウゾウに醜く嫉妬していたのだ。


人間の限界を優に超えてくる異能、忠実なる僕であるという迷宮の守護者、潤沢な資金、実力に見合わぬ迷宮に危険を覚悟でこうして付き従ってくれる仲間、そして決して揺るがぬ確固たる己。


いつしか、俺が持たざる多くのものを持つこの老人が羨ましくて仕方なくなっていたのだ。


「何を呆けたような顔をしておる? 以前、おぬしが自分で言っておったであろう。S級のダンジョンを攻略するのが夢であると。だから、儂はある提案をするつもりでおった。もし仮に≪悪神の深奥しんおう≫の最深部に到達することができた暁には、ボスモンスターの最初の攻略はおぬしに譲ろうとな。儂は、おぬしが倒した後の、再出現リポップ後。二番目で善い。考えてみろ、そうしたらもう≪悪神の深奥しんおう≫は無くなって、誰も儂らの他には攻略できなくなるんだ。おぬしは、前人未到の最難関迷宮の最初の≪踏破者とうはしゃ≫、儂は最後の≪踏破者とうはしゃ≫となるわけだな。そこがどのような場所で、どのようなボスモンスターがいるのか、誰ももう知ることはできぬ。儂らだけがそうした体験を独占できるのだ。素晴らしいとは思わないか?」


「……フッ。本当に敵わないな……」


不敵な笑みを浮かべ、楽しそうにそう語るショウゾウの様子に、フェイルードは思わず張りつめていた何かが解けていくのを感じた。


本当に厄介なご老人だ。

まるで這い寄る闇のように、つかみどころなく、人の心の隙間に勝手に入り込んでくる。

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