第215話 愚者を装う者たち

愚か者を演じるのは、賢人を装うよりも難しい。


さらに特定の誰かに対して、ほんの少しだけ自分の方が考えの及ばぬ人間だと思い込ませることは至難で、その人物が考える想像上の自分の行動から逸脱しない範囲で、自然さを装いつつ、相手の思い通りに動かされている振りをしなければならない。


その相手の知が優れているほど、想像の中の自分は大きく、賢しくなる傾向があるので、少しずつ、慎重に、これを下方修正するように持っていき、実像よりも虚像の方が真実の姿であると誤認させなくてはならない。


魔導神ロ・キ。


あの掴みどころのない奇妙なふるまいをする神が、如何なる目的をもって自分をこの異世界に連れてきたのかは今のところ不明であるが、一つだけショウゾウが見抜くことができたかに思える企てがあった。


それは、ロ・キが、自分に残存するすべての迷宮を攻略させたいと内心考えているのではないかというもので、直接そうした発言があったわけではなかったが、の神の言動からそうではないかとショウゾウが推理したのだ。


『こいつら迷宮の守護者たちの処遇は、不破昭三、お前に任せることにしよう』


≪従魔の刻印≫を所持していたロ・キが、それを行使し、アラーニェたち、すでに解放した守護者を己が支配下に置かなかったのはなぜか。


迷宮の守護者たちと自分は、≪従魔の儀≫を経て、魂同士のつながりを持つに至っているが、アラーニェによると強制的な支配力は≪従魔の刻印≫に由来するものであるらしい。


そして、その≪従魔の刻印≫をあっさり手放し、自分に委ねたのはなぜか。


その理由を考えればはっきりと見えてくることが多くある。


ロ・キにとって自分はまだ利用価値がある存在であり、それゆえにあの再会の場面で危害を加えられることもなく、今もなお生かされているのだとショウゾウは考えていた。


芝居がかった態度で、あたかも種明かしをしたかに見えたがロ・キの言葉にじつは無く、しんも感じられなかった。


長年多くの人間を見てきたショウゾウであったが、あのロ・キの言動や態度はあえて愚者を演じ、自分に油断と隙を生ませようとでもしているかのように思えた。


ショウゾウもまた、利害が対立する相手にそうした手を使うこともあるし、ロ・キが意図的にそうした振る舞いをしているのだとすると、当然、自分のことをそうした対象だと考えている可能性が高い。


そして迷宮の守護者たちを自分に委ねたのは、更なる勢力拡大の望みとやる気を削がぬためだ。


全迷宮の消滅と守護者の解放。


迷宮の守護者を解放するには、その発生のもとになったヨートゥン神の力の源≪オールドマン≫が必要で、それと完全に一体化してしまっているという自分にそれをさせようという腹なのではないかと考えたのだ。


だが、それは何のためだ?

それをすることで何が起こり、奴に何の利があるというのだ。


奴は、儂にそうせよと一言も命じてきたりはしていない。


だからこそ、そこに奴の本心があると思う。




「……おい、メルクス。聞いているのか?」


「ああ、大丈夫だ。少し考え事はしていたが、話は聞いていた。フェイルードよ、お前たちが提案するその進路と攻略速度で構わない。ルシアンの光王即位には十分に間に合うし、エリックたちも十分について行けるだろう」


フェイルードの一団に迷宮攻略のための協力を依頼してから、二日後のこと。


メルクスたちは、彼らが拠点にしているイェータという連合自治体コムレにある民宿に滞在していたのだが、思いがけず早くにその返事をもらうことができた。


宿を自ら訪れたフェイルードはいくつかの条件を提示してきて、それをこちら側が吞むという条件で依頼を受諾するとメルクスに伝えてきた。


その条件というのは、依頼者と受注者という関係ではあるが、互いが対等の関係であることを認め、人道に背く行為などの無理強いはしないこと。意見の対立があった場合などには、フェイルード側から一方的に契約の破棄を行えること。迷宮内での攻略に関する主導権は、集団全体の安全の観点から経験豊富なフェイルード側が持つこと。そして、自分たちの命の担保として、エリエンを人質としてフェイルード側の集団に常に同行させるということだった。


なぜ、人質としてエリエンが指名されたのか。

メルクスには、その理由がわからなかったが、これには当然に反対した。

フェイルードたちは、逃げ場のない迷宮内でメルクスが背信的行為に及ぶことを恐れており、信頼関係が築けていない以上、こうした懸念が出るのはむしろ当然のことではあったのだが、その合理的な理由を考慮しても受け入れがたい条件であったのだ。


だが、話し合いを進める中で、エリエンは「自分もなにかの役に立ちたい」と自ら人質になる案を受け入れ、それを断念させようと説得を試みたメルクスを大いに困らせた。


結局、いつものようにメルクスが折れ、フェイルードとの協力関係は成立する運びとなった。


メルクスは、なぜ自分がエリエンに対して甘く、こうしたわがままを許してしまうのか困惑しつつも、それ以外にフェイルードを納得させる代替案も特になかったため、穏便に話を進めるためには仕方がないと自身に言い聞かせることにした。


こうして、フェイルードたちの協力を得られたメルクスが次に目指す迷宮は、オースレン近郊にある最後の迷宮。


かつて四つの迷宮が存在した複合型ダンジョンの最後のひとつ。

一時は、管理型公営迷宮と化し、多くの冒険者たちの人気を博したB級ダンジョン≪悪神のいつわり≫だ。


後日、場所を伏魔殿に移し、攻略のための打ち合わせを綿密に行った。


冒頭の会話はその時のものである。


目先の取り組むべきこと、そしてその先に待つ魔導神とのいずれ訪れる何らかの形の決着。


それはまだ如何なるものになるかはわからないが、当面の間は奴の思惑通り、事が運んでいるように誤認させなければならない。


儂をたばかろうとするロ・キの逆をつき、手のひらの上で踊る愚か者を演じつつ、本当の目的を探り出す。


最後の最後に勝つのは、決着の直前まで愚者を演じきった者だ。


メルクスを演じるショウゾウの頭の中には、考えるべき問題が山積していたが、そのことを重荷に感じることはなく、胸中には、むしろ闘志が滾々こんこんと湧き上がってきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る