第210話 天からの使い

かつて、ノルディアス王国においては≪迷宮≫と呼ばれる特殊な場所を除いて、魔物の姿を見ることはほとんど稀なことであった。

地上に生息している魔物たちはその個体数も少なく、まるで何かを恐れるようにして山や森の奥などに隠れ住み、ときおり姿を見せることはあっても、人間の暮らしに被害を与えてくるようなことはほとんどなかったのである。


魔物とは、≪迷宮≫に住み、人間の営みに有益な資源をもたらすもの。


それがこのノルディアス王国に住まう人間たちの当たり前の共通認識であったから、消滅した迷宮から大量の魔物が這い出て、それが自分たちに危害を加えてこようとはまったく考えてもいなかった。

こうした環境の変化により、各地に点在していた小規模の集落らは、その存続そのものが困難になり、そこに住まう人々は住み慣れた土地を離れ、連合自治体ともいうべきものを形成せざるを得なくなっていった。


連合自治体は、その地域の複数の小さな村や集落の住人が寄り集まって来てできたもので、農地を含む広大な土地をまるで都市のようにその周囲を堀や防柵で囲い、共同で立ち上げた自警団によって、自分たちの安全は元より、農作物や家畜などを魔物たちから守る目的があった。


これはいわば農村の都市化であり、手放した農地面積は多くなってしまうものの、生存のためにはやむを得ない苦肉の策であったのだ。

迷宮消滅のもたらす危険性から、職を失うことになった冒険者たち、特に≪迷宮漁り≫などと呼ばれていた者たちの多くは、こうした連合自治体の用心棒や自警団の指導者的存在に転身を遂げていることも少なからずあって、社会の仕組みと成り立ちは、少しずつ変化を遂げつつあったのだった。




こうした連合自治体の形成が進む中、王国北部にあるコムーネリと呼ばれる地域では、魔物たちとは異なる、まったく別の脅威にさらされようとしていた。


コムーネリの連合自治体に住む少年ニルスは、その日、天からの使いを目撃した。


上空から輝く翼を持ち、穏やかな笑みを浮かべた恰幅の良い男が舞い降りて、ニルスに尋ねた。

全身に紋章が削り取られた鎧を身に纏い、両手にそれぞれ一本ずつ別の形の矛を持っている。


両親が任されている畑の草むしりの手伝いに飽きて、虫取りをしていたニルスは思わずその手を止め、興味深げにその空から舞い降りてきた男の出で立ちを呆然と眺めていた。


「おい、子供。この辺りにショウゾウという名の老人は住んでいないか?」


「そういう変わった名前の人はいないよ。おじさんは、神さまのお使いの方ですか?」


「いいえ、私はフロック。邪なる闇の命脈を断つ使命を持つ神です」


「わぁ、神さま! ぼくははじめて神さまをこの目で見ました。神さまは何をしにこの連合自治体コムレにいらしたのですか?」


「ふふっ、言ったでしょう? 私の使命は、闇に連なる者を討つことだと」


フロックと名乗った神は、鎧の下の腹が突き出た体を大いに揺らしながら笑った。


「でも、そんな人はこのコムレにはいないと思うな。みんな、貧しくて、よその土地から逃れてきた人ばかりだけど、親切な人が多いし、ぼくにもやさしくしてくれるよ」


「そんなことはありませんよ。ほら、ここにも一人。≪オルド≫の血を引かぬ者がいます。入り混じっていて、いずれの氏族の末裔かわからぬが、実に疑わしい。疑わしきは……あくだな」


フロックは右手の矛を片手で器用に振るい、少年ニルスの首を刎ねた。


そして、その少し遠くで、息子の異変に気が付いた彼の母親が、辺り一面に響くほどの絶叫を上げた。


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