第206話 闇の提案

光王ヴィツェル十三世の崩御ほうぎょからひと月以上が経ったが、未だ新たなる光王は現れず、王都ゼデルヘイムもまた奪還されぬまま、ノルディアス王国は完全なる無秩序状態に陥ってしまった。


光王家の長い歴史の中でこのような空位の期間が生じるなど前例がないことであり、古くから続く慣例やその支配に飼いならされていた各地の領主貴族たちは大いに戸惑い、苦しむこととなった。


王都や光王の身に起きた変事を嗅ぎつけたのか、自領と境を接する周辺諸国が、様子見とばかりに領地を侵犯するような行動を見せ始め、その対処にも自ら当たらねばならくなったのだ。

領内の治安は乱れ、魔物だけでなく野盗などの取り締まりも強化せねばならず、光王家に禁じられていた軍備の増強にも踏み切らざるを得なくなった。

やがて、こうした状況は、領主貴族たちの自立及び君主化を促すことになり、ノルディアス王国はまさに地方の実力者たちが割拠し、乱立する様相を呈し始めることになるのである。



その動きの先駆けとなったのは、やはりオースレンの領王りょうおうギヨームであった。


光王により授与された爵位を持たざる者が、自ら王を名乗るということは、明白なる体制への反逆であり、本来であれば即座に軍を差し向けられ、鎮圧されるところとなるはずであったのだが、そうはならなかった。


光の使徒エインヘリヤル≫らによって、王都を追われた宮廷の者たちは、団結して行政機能を維持しようとせずに、各々が与えられた職務と責任を放棄して、次代の光王の身柄を確保すべく、散り散りになってしまっていた。


加えて、王国正規軍の司令官たる大将軍デルロスも行方不明になり、その代行を任されていた腹心のヴェイセル将軍は占拠された≪白輝びゃくき城≫の奪還に失敗し、≪光神の代行者≫レギンレイヴの手により討ち死にとなってしまった。


このような状況では、オースレンの反逆者に組織だった軍を差し向けることなどできるはずもなく、こういった状況にれて大義の名の下に、その領土の接収を企てたヴィスボリ、クリント、オロフソフらの領主貴族連合軍も、ショウゾウらの暗躍によって壊滅の憂き目にあうことになった。


領王りょうおうギヨーム、若かりしといへども侮りがたし。

その驍勇は、千の兵に匹敵す。


剣士としてはもちろん無名の≪剣魔≫ミュルダールただ一人によるヴィスボリ男爵軍撃破などが、逃走した兵の間違った噂として、ギヨームによる撃退であったとされるなど、話に尾鰭おひれがついて、その勇名は一躍ノルディアス全土に広まることになった。

さらには、他領の領主貴族たちが受け入れを拒んだ王都からの避難民を無償で庇護するなど、その仁君ぶりも評判になっていたのである。


このようになってしまうと、何事も光王家、あるいはその政のほとんどを取り仕切る宮廷やその下部組織である司王院に指図を仰ぎ、謀反を疑われて家の取り潰しなどを受けぬようにひたすら服従を続けてきた領主貴族の多くは、領王りょうおうギヨームの件も、新たなる光王の誕生を待ち、その裁可を仰ぐべしと日和見を決め込むことになってしまい、オースレンに手を出そうという者は誰もいなくなってしまった。




領主貴族連合軍から奪った軍糧により、困窮するオースレンの民や避難民に対する配給の問題を解決することができた領王ギヨームであったが、今後自らがどうすべきであるのかなどの展望はまるで持ち合わせていなかった。


攻め寄せてきた敵軍勢の軍糧をそっくり奪うなどという奇策を思いついたのは、自らが闇の主と仰ぐショウゾウによるものであり、自らの発案によるものではない。


「ショウゾウ様、やはり私には荷が重いのではないでしょうか。無償の配給により民たちは喜び、私に歓呼の声を向けてきますが、それを受けるべきは貴方様です。私には民を守る力は無く、領地を富ませる知恵もありません。私は己が境遇を苦にし、周りに当たり散らすことしかできなかったただの愚者であったのです。人の上に立つ能力も資格もあるとは思えぬのです」


「また弱音か。まったく、いったん男がやると決めたら腹をくくらぬか」


ギヨームにしてみれば、直接の主人であるアラーニェが心服するショウゾウの言葉は絶対であり、無理矢理今の地位を押し付けられた経緯を考慮しても抗う余地など微塵もないのではあるが、それでも領王などという大それた呼称が自分のようなものにはふさわしくないとしか思えなかったのだ。


アラーニェの使い魔の黒蜘蛛と共に自分の中にある闇を受け入れた効用か、先々に対する心の不安や死を恐れるような気持ちは不思議と無かったが、領王などと周囲に呼ばせているのはどうにも居心地の悪いものであった。


伏魔殿にあるショウゾウの私室に報告に訪れたギヨームは、その悩みを口にしたのだが、以前と同様に叱責されてしまった。


その様子を見て、ショウゾウの傍に立つアラーニェがクスリと笑った。


「いいか。よく聞けよ。血筋や生まれなどというものだけは、いかに努力しようとも決して手にすることはできぬ。長子ではないとはいえ、お前はれっきとしたグリュミオール家の血を引く末裔。しかも自分の身と立場を捨て、民を守るべく奔走したという逸話付きだ。この地に住む者を統治するうえで、これ以上に相応しい者が他におろうか。領王という呼び名も、あくまでもこのグリュミオールの地に限定した王であるという意味であるし、決して大仰なものではないと思うがな」


ここで扉をノックする音が聞こえて、扉が開いた。

軟禁中のルシアンが、空洞に赤く光る眼を持つ動く全身鎧に連れられ、入室してきた。

喰魔しょくま≫アンドレに喰われた欠損部分が元通りになり、持ち前の整った容姿も取り戻しつつある。

だが、酷く痩せ、無精髭を生やしたその風貌は、未だ虜囚の身であることを表していた。


「……私に何か用なのか?」


「ああ、わざわざ来てもらって悪かったな。食事は十分に与えるように伝えていたのだが、顔色が悪いな。飯はちゃんと食っておらんのか」


「一日中、日の当たらない部屋の中に閉じ込められているんだ。食欲など出るはずもない」


吐き捨てるようにルシアンが言った。


「そうか。では、そろそろ外の世界に出てみるか?お前の返事次第だが、要求を呑むのであれば、完全に解放とはいかんがある程度の自由は認めるつもりだ」


「……」


「ギヨーム、まだしばらくそこに居れよ。お前にも関わりがある話だ」


ショウゾウは、ギヨームに一度目を向け、再びルシアンに視線を戻す。

そして、ルシアンに向けてのことだろう。

ショウゾウは、光王家の置かれている現状と、王国内の情勢を丁寧に説明し始めた。


「仮に≪呼び名ケニング≫の継承が為されなくなったとしても光王家の者たちが団結し、宮廷の機能さえ維持できていたら、そのような事態にはなっていなかっただろう。宮廷は、もはや光王家から≪呼び名ケニング≫が失われてしまったことを、他の連中は未だ知らないようだね……。それで、私に何をさせようというのだ」


「……お前、光王になる気はないか?」


ショウゾウの言葉に、ルシアンだけでなく、その場にいた全員が目を見開いて驚きを隠さなかった。



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