第204話 儚き魂

「やめろぉ、ぐるなぁ……」


ゲイルスケグルは、頭を抱えまるでダンゴムシのように床の上で丸まっていた。

眼や鼻や口から、透明な液体を垂れ流し、やってきたショウゾウたちにも気が付く気配が無い。


家魔やま≫アニカの≪家主いえぬし≫によって作り出された民家の中は、古いながらも手入れが行き届いており、清潔で、居心地が良さそうな温かい雰囲気だった。

花瓶には野山に咲く慎ましやかで可憐な花々が活けてあり、奥の方からは何やら旨そうな料理の匂いが漂っていた。

広すぎも狭すぎもせず、まるで我が家のような居心地の良さを感じる室内の調和を乱しているのは、このゲイルスケグルの異様な様子だけだった。


「あら、ショウゾウ様。外は決着がついたのでございますね」


アニカは穏やかな笑みを浮かべ、手にしていた編み物をテーブルの上に置くとショウゾウらを出迎えるかの如く、慌ててこちらに歩み寄って来た。

こうしてみると、小柄で上品な感じの老婦人といった感じで、その正体がグロアやオルゾンたちと同じ魔人であるとは全く思えない。


「ああ、ひとまずはと言ったところだ。ところで、こ奴は一体どうなっておるのだ?かなり、普通ではない様子だが……」


「今、この者の魂は、わたくしが生み出した、とある≪家の記憶≫の中に囚われてしまっているのです。私は、家屋に宿った人々の思い出を取り出し、それを己が術とします。長く住まれた家の記憶ほど強力な術となり、染みついた人々の思いの種類によって様々な効果を生じさせることができます。このオースレンが見舞われた悲劇は、悲しさと恐ろしさ、そして強い怨嗟のこもった≪家の記憶≫を多く生み出していました。私はそういった≪家の記憶≫を保存しておくことができ、この者が見ているのは、その中の一つなのです」


「なんとも、恐ろし気な術であるな。このゲイルスケグルとて、人知を超えた存在なのであろうが、それがこのように為す術もなくなってしまうとはな……」


「……それがどうにも妙なのです。私の力は主に二つ。一つは対象をこの≪我が家≫に隔離し、屋外との関りを強制的に断つこと。もう一つは魂に直に作用する幻覚を見せることなのですが、後者は特に神や精霊など、人に在らざる者には効果が薄い。そうであるにもかかわらず、この者に対する術の効きようは……、あまりにも魂魄自体があらわで、しかも脆弱すぎる感じがいたします」


「なるほどな。それがこのゲイルスケグル固有の弱点なのか、この≪光の使徒エインヘリヤル≫という連中の性質なのかはわからぬが、試してみる価値はあるかもしれん。命魔法には、精神に作用する魔法もあるようだし、儂も後で習得しておいてもいいかもしれんな」


「それでショウゾウ様、この者の始末はいかがいたしましょうか」


アニカはおっとりとした口調で床上でうずくまっているゲイルスケグルに視線を落とした。


「うむ、そのことだが、少し試したいことがあってな。儂の自由にしてもかまわんか?」


「ええ、それはもちろんのことでございます」


ショウゾウは、ゲイルスケグルの肩にそっと触れるとスキル≪オールドマン≫を発動させ、そのを確かめ始めた。


≪オールドマン≫のレベルが上がるにつれ、それを使用する際の感覚が繊細かつ鋭敏になっており、命の根源たる部分の≪精気≫とその上澄みである≪活力≫または≪生気≫の違いがはっきりとわかるようになっていたのだが、つい先ほどのレベルアップ時になにかその力が新たなる高みに昇った感覚があった。


指先から伝わってくるのは、ゲイルスケグルの生命、いや存在そのものの形だった。


薄く、脆い、継ぎ接ぎだらけの古布のような薄っぺらい魂に、不釣り合いなくらいの≪光気≫が宿っている。

そしてその薄っぺらい魂が張り付いているのは、逞しく生命力に満ちた人間の男の魂だ。


なるほど、一つの肉体に二つの魂が同居しているわけだ。


あのルシアンの姉とやらも突如、人が変わった風になったそうであるし、この≪光の使徒エインヘリヤル≫どもがどうやって人間の肉体を奪っているのかが少しわかった気がした。


「引き剝がせるかな」


ショウゾウは短くそう呟くと、実験とばかりにスキル≪オールドマン≫で、ゲイルスケグルの部分のみを吸おうと試みた。


だが、上手くはいかなかった。


ゲイルスケグルの魂は、この肉体の持ち主の生命の根源部分にしがみ付き、なかなか離れようとはしない。

≪オールドマン≫はそもそも生命の根源たる力を奪う能力であり、それに引きずられて取り込まれるスキルや魂というものはあくまでもその付属物にすぎないのだ。


付属物である部分を主たる対象にはできない。そういうことなのだろう。


ショウゾウは、ゲイルスケグルの魂の剥離を断念し、肉体の持ち主の≪精気≫に目標を変えた。


肉体が死ねば、どうなるのかを見てやろう。


ショウゾウの肉体に、男の生命力が流れ込み始めた。

芳醇なエナジーだ。

若々しさは無いが、健康で、どこか厚みと深みのようなものを感じる。


ゲイルスケグルが宿る肉体の顔が次第に艶を失い、皺が増えて、張りを保てなくなってきた。


そのとき、何か異変を感じたのか、突然、ゲイルスケグルの魂に変化があった。

慌てたように憑りついていた魂から逃れようとしたのだ。

しがみ付きを解き、どうにか肉体から抜け出ようとしたのである。


だが、≪オールドマン≫の作り出した吸収の勢いは強く、まるで川の流れに抗えぬ水面の塵のように、ゲイルスケグルの魂はショウゾウの体に取り込まれてしまった。


ショウゾウは、思いがけぬ異物を取り込んでしまったような感覚があって、スキル≪オールドマン≫を解除した。

そして、胸の前の服の布地を掴み、握りしめて、悶えた。


それは燃え滾り、液体化した金属を呑み込んでしまったかのような心地がして、ショウゾウは苦しさのあまり、奥歯を強く噛みしめて耐えた。


「ショウゾウ様!」


心配したのかオルゾンたちが周りに集まって来た。


不思議な感覚だった。


自分の中に明確に別の何者かが存在していて、それがショウゾウの肉体を奪おうと暴れ狂っている。


ショウゾウはその存在を揉み潰すかのように強く念じ、「これは儂の体だ。儂の命だ。誰にも渡さん。儂以外の何者も、決して儂では在り得ないのだ。失せよ!」と心の中で叫んだ。


強力な自我。


儂が儂であるという強い意志で逆に貴様を喰ろうてやるわ。


自分の中の≪オールドマン≫の力が、ショウゾウの呼びかけに呼応したのか、強く、妖しく輝きだし、ゲイルスケグルの魂を分解し始めた。

分解された部分は、ショウゾウの存在に取り込まれていき、よりその存在を大きくし始めた。


ゲイルスケグルの魂の脆い部分があり、そこから夥しい数の何かが離れていく。

まるで人間の魂のように移ろいやすく、儚い何か。


『何が、何が起きているのだ。ここはどこだ。私は、一体どうなってしまっているのだ! 壊れていく、私が、私でなくなる。ああ、私はいったい誰なのだ。ああ、オルディン様、お助けを! 』


ゲイルスケグルの断末魔が脳内を駆け巡ったが、それも束の間、すぐに静寂とこれまで感じたことが無いような万能感が満ちてきた。



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