第201話 降らぬ雹、虚しき嵐

ナクアに≪魔洞穴マデュラ≫を生成させ、≪虚界ヴォダス≫に引き込んだ≪光の使徒エインヘリヤル≫たちをショウゾウも追った。


ショウゾウが降りた場所は、先ほどまで自分たちがいた場所の裏側で、そこにはどこにでもある年季がかった民家がぽつんと一軒、それとエインヘリヤルのロタの姿があった。


この民家は、眷属である≪家魔やま≫アニカの≪家主いえぬし≫の力で生み出した固有の領域空間であるらしい。

この家の形をした領域空間は、アニカの許可なくしては何者も出入りができず、それゆえに、多人数の≪光の使徒≫がつられてやってきた場合には戦力の分断に使うとアラーニェが説明していた。

北方のとある小村に潜り込み、そこを彼女なりのやり方で支配しつつあったのを、一時的に呼び戻した形だ。


そして今回の企てのために呼び戻した魔人がもう一人。


精霊がほとんど存在しないはずの≪虚界≫に突如、火の玉のようなものがいくつも浮かんで現れ、それと同時に一人の男の姿が闇から現れた。


その男は、赤髪をろうそくの炎のように頭頂部のみを残した奇抜な髪形で革製の個性的な衣服を身に纏っている。


≪火魔≫オルゾン。


おそらく誰よりも激しくグロアの死を嘆き、悲しんだ魔人だ。




「……ここはどこだ?答えろ」


ロタは、そのあどけない幼子の容姿とは似合わぬ厳しい口調と表情でショウゾウを睨んだ。


「おや? 無視を決め込んでおったが、ようやく口を利くつもりになったか」


「このイルヴァースにこのような場所が存在していること、我は知らぬ。不完全で、不安定な世界……。ここが貴様ら≪闇≫の住処すみかというわけか?」


「いや、住処というわけでもない。お前が言う通り、この≪虚界≫は不完全な世界だ。こうして生存できておるのだから、空気などはあるようだが、住むには色々と不足しておってな。表の世界から色々と持ち込まねばならん」


「それで? このような得体の知れぬ場所に我を引き込んでどうしようというのだ。数の有利に頼めば、我を討てるとでも考えたか?」


「いや、まあ、討てなくとも今は別に構わん。未知のものを分からぬままにしておくリスクを負いたくはなかったのでな。そういう意味ではもうすでに目的は達せられていると言えなくもない。さらに、ここで頭数を減らせれば、なお、善し」


ショウゾウの目配せで、≪火魔≫オルゾンが動き出した。


周囲に浮かんでいた無数の火の玉をロタに向けて、一斉に飛ばした。


「 この雹と嵐を司るロタに火とは、笑止!」


ロタは目を閉じると、水と風の精霊たちに向けて命令を発した。

ロタは神々が創りし、これらの精霊たちに対して強力な支配力を有しており、魔法使いのように≪魔力マナ≫を支払って、様々な現象を起こすといった回りくどいことをしなくてもその意志一つで、様々な超常現象を自在に引き起こすことができる≪精霊支配≫の能力を持っていた。


このような火の玉などすべて嵐で吹き飛ばしてくれる。


ロタは余裕に満ちた表情で構えていたのだが、すぐにその表情を一変させることになった。


有らん限りの支配力を発揮し、広範囲に精霊たちに呼びかけても、そのいらえは無く、嵐はおろかそよ風すら起こらなかったのだ。


奇妙な空間であり、精霊の気配が乏しいことには気が付いていた。


しかし、その存在が皆無であるわけではなく、確かにこの空間にもごくわずかに風の精霊がいるはずなのだ。

そして闇の怪老の周囲には潤沢な数の風の精霊がなぜか寄り集まっている。


だが、精霊たちは我の命令に耳を貸そうとしない。


信じられないことだが、すべての風の精霊が我の支配を拒んでいる。


ロタは、その事実に愕然とし、思わずショウゾウの傍らに寄り添い漂っている存在を凝視した。


それは透明な人間の女のような姿をしており、ロタのエインヘリヤルになって以後の記憶の中にその姿があった。


「馬鹿な……。お前は風の精霊王!」


嵐を起こすことができなかったロタは、≪火魔≫オルゾンの火の玉の集中砲火を浴びることになり、身をよじって、さらに≪光気≫による防御を行ったが、被弾は避けられなかった。

背中に数発。足に二発。肩と腕にそれぞれ一発ずつ。

オルゾンの火の玉は爆発することも質量的な打撃を加えてくるでもなく、ロタの体に張り付き、その部位を継続的に一定の火力で燃やし続け、じわじわと火傷の重症度を高めようとしている。


「ハッハッー!大したことない威力だと思ってるだろうが、その≪火種ひだね≫は俺が解除するまで決して消えることはないぜ。燃え広がることも、火力を増すこともないが、その分、長く苦しむことになる。グロアが受けた死の苦痛をお前ら全員に思い知らせてやる」


ロタは、辛うじて言うことを少しは聞く、わずかばかりの水の精霊たちをこの場に集め手懐けようと呼びかけたが、その反応は鈍く、この世界の外にいるときのようなわけにはいかなかった。

この異空間に在る精霊たちはイルヴァースの地上に存在しているものとどこか違って、淀み、不純な感じがした。


雹を降らせるどころか、わずかの湿り気を発生させるのでやっとだった。


しかも体に付着した火の玉は、火の精霊の力を介していない不思議なもので、水で消せるかも微妙なところであった。


「……正直、驚いたな。貴様は、たしか……風の精霊王シルウェストレ。愚かにもヨートゥン側につき、我が同胞によって消滅させられたと記憶しているぞ!その貴様が、なぜ未だに存在している?」


ロタの問いかけに≪風の魔精ましょう≫シルウェストレは応えようとせず、その近くに立つショウゾウをまるで抱きしめるかのように包み込み、穏やかな笑みを浮かべているだけだった。

どうやら、あのシルウェストレはあの怪老の周囲にああして漂い、自分がここの外の世界から引き連れてきた精霊を使って防護しているようだ。

この周囲の風の精霊の支配を妨げているのもおそらく奴の仕業で、その支配力はほぼ互角。

働きかけていた精霊たちは中立の立場をとっているようだった。


だが仮に妨害を受けていなくとも、この空間に在る風の精霊たちを意のままにするには相当の苦労を強いられそうだった。


この闇と動く線による風景しかない世界に存在する精霊たちの性質は明らかに異常だ。


ここにきてようやく、エインヘリヤルのロタは自分が置かれている危機的状況を理解した。



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