第200話 我が家へようこそ

ゲイルスケグルは自らを引き込もうとする得体の知れない無数の白い手に抗うことなく、その身を委ねた。


この白い手の一本一本は、女の細腕のようであり、振りほどこうと思えばできたのだが、ゲイルスケグルは自らが引き込まれていく先がどこであるのか非常に興味をそそられていた。


封印を解かれてから今に至るまで、闇の気を持つ者の痕跡を探ろうと、地上に目を光らせ続けていたのだが、このノルディアスにはそれらしき気配もなく、どこかに連中の隠れ家のような場所が存在するのではとゲイルスケグルは推理していた。


この行く先が、光の使徒エインヘリヤルの持つ闇の気を感知する能力を遮断する性質の空間であるならば、自らの推理が正しかったことの裏付けとなり、さらには、長く待ちわびた狩りの獲物が待ち構えている可能性もあったのだ。


オルディン神の命令の下、ヨートゥン神側に付いた魔法神、精霊、そして人間とこれまで数多く戦いを繰り広げてきたが、未だ心の内には、未知の戦い、そして好敵手を渇望する闘争心とでも言うべきものが燃えたぎっていたのだ。


戦いこそが我が存在意義。


如何なるものを、如何に屠ったかだけが、からっぽのおのれの中身を満たしてくれると本気で信じていた。


生前のヴァルキュリャだったころの記憶はほとんどない。


気が付いたときにはエインヘリヤルとしての自分がいたし、過去を思い出そうにも見知らぬ者たちの記憶の断片がノイズとなって、それを阻んでくる。



これから繰り広げられるであろう激闘に胸を高鳴らせていたゲイルスケグルであったが、着いた先の風景には愕然とさせられることになった。


そこは古めかしく、荒れ果てた感じの普通の民家の内部のようで、奥に暖炉がありその手前には家族用の使い込まれた感じのテーブルがあった。

部屋の隅には棚や調理台などの家具が配置されていて狭い。

木でできた床には、血の跡と思しき複数の染みと壊された椅子の残骸や食器の破片などが散乱していて、なんとも不穏な雰囲気であった。


落下してきたはずが、天井を見上げると穴などは無く、背後には建付けの悪そうな木製の扉が一つあるばかりだ。


「……いらっしゃい」


ふと気が付くと、調理台の向こうに見知らぬ小柄な老婆がいてじっとこちらを見ていた。


「き、貴様……、いつからそこに?」


如何なる猛者相手でも臆したことのないゲイルスケグルであったが、この時はさすがに狼狽の顔を見せざるを得なかった。

来た時には、この部屋内が無人であることを確かめたし、誰かがそこに移動したような気配も空気の流れも感じていなかった。

この老婆は音もなく、忽然とそこに現れた。そんな感じであった。


「私はずっとここにおりましたよ。やって来たのはあなたさまの方でございます」


「ぐっ、おのれ、何者か? 名を名乗れ!」


ゲイルスケグルの詰問調の問いを、聞いているのか、いないのか、老婆は穏やかな笑みで受け流す。


「まあ、良い。貴様もあのショウゾウの仲間であろう。答えぬのであれば、死んでもらうだけだ!」


ゲイルスケグルは手に持っていた槍を窮屈そうに引き寄せ、そして老婆の胸元めがけて、突き出した。


だが、槍先にはすでに老婆の姿が無く、空振りに終わった突き技の威力が壁を打つにとどまった。


次の瞬間、ゲイルスケグルの体は吹き飛ばされ、背後の扉に叩きつけられた。


見ると胸元には槍でついたような穴傷があり、そこからどろりと血液が溢れ出していた。


「ば、馬鹿な……。これは一体」


ゲイルスケグルの肉体は、デルロスという男のものであったが、エインヘリヤルたる自分の≪光気≫によって著しく強化されており、並みの攻撃など通すはずが無かった。


「ねえ、どうして僕たちを殺したの?」


気が付くと自分の足元に血だらけの幼子が這い寄って来ていて、じっとゲイルスケグルを見つめていた。


「離れろ!」


その幼子の青ざめた顔が何とも不吉に感じたゲイルスケグルがその顔を蹴りつけると、今度は自らの顔面に、誰かに蹴られたような感触があった。


そして吹き飛んだ幼子の方を見ると、今度はその周囲に胴体に刺し傷のある若い男が立っており、視線を右に移動させるとそちらには衣服のはだけた女と首をわきで抱えた老人、そして先ほどの幼子よりも少し年長の子供が恨めし気な顔でゲイルスケグルを見つめている。


「くそっ、幻術にしてはあまりにも精巧すぎる。そして、この負傷は本物にしか思えない。これはどうなっている。ここは一体、どこなんだ?」


ゲイルスケグルは胸の傷を押さえながら、なんとか立ち上がり、すぐ近くの扉を開けようとした。


だが、扉はびくともせず、取り付けられている取っ手を押そうが引こうがびくともしない。


「無駄ですよ」


振り返るとそこには、先ほどの老婆が再び姿を現していて、薄気味の悪い家族らしき一団の後ろの方から声をかけてきた。


見たところ、異様に無表情であることを除けば何の変哲もない老婆だ。

ただ、一つ奇妙なのは闇の気はおろか、人としての気配すらしていないことだ。


そこでふと別の異変に気が付いた。


室内だけではなく、この建物の外に無数にあるはずの自分以外の存在の気がすべて消え失せて、自然の動植物や目に見えぬ微生物の類まで死に絶えたかのような状態だったのだ。


同胞はらからのロタや他のエインヘリヤルたち、そして首領たるレギンレイヴもどこにいるのか感じ取れない。

光の使徒同士は、互いの魂の波長を知り尽くしているがゆえにたとえ距離的にどれだけ離れていようとも、位置関係を見失うことなどありえないはずだった。


老婆を除く全員が、のろのろと近づいて来てレギンレイヴに縋り付いてきた。


「やめろ!私に近づくな!」


薄暗い室内にゲイルスケグルの叫び声が響き渡った。

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