第194話 闇の虜囚

グロアの死を無駄にしてはならぬ。

いや、死そのものというよりも、それがもたらした≪機≫を……。


あの薄暗い部屋の寝台に横たわったグロアの無残な亡骸との別れを済ませた後のショウゾウはまさしく多忙を極めた。


オースレンの被害状況、光王の死のもたらした各地の情勢変化、そしてグロアを殺した謎の女性の正体に関する情報などを、アラーニェがノルディアス王国中に放っている≪蜘蛛≫からの情報によって、できうる限り把握しようと努め、さらには混乱の最中にあるオースレンの復興と独立的自治を保つ方策についても考えを巡らせねばならなかったのだ。

そして、各地に散っていった魔人たちにも、グロアの身に起きたことを素早く伝達し、未だ明らかになっていない謎の敵の存在に対して警戒するように周知徹底を図った。



魔人の存在はできるだけ世の中に伏せておきたいという方針を伝えていたにもかかわらず、グロアがなぜ単身で光王に対峙することを選んだのかは、今となってはわからない。

短い付き合いながら、功名心やおのが蛮勇を誇りたいという動機などで行動する男では決してなかったと今でも思っているし、その性格は慎み深く、従順で、自らの考えで行動を起こすことはほとんどなかったと記憶している。

加えて≪従魔の儀≫によって、眷属となったグロアは、その魂のつながりによって、主であるショウゾウの不利益になると思われるような行動はとれないはずだった。


留守の間の全権を委任していたアラーニェの制止を拒絶し、光王に挑んだ挙句、魔人という存在の恐ろしさを世に知らしめることになってしまったのは、大失態と言えなくもない。


ショウゾウははなから光王など相手にしておらず、適当にあしらっておけばよいという考えであったから、グロアが挙げた戦果についてもさほどうれしくは無かった。


ただ、光王がよもやオースレンの住民を虐殺してまで自分を除こうとするとはさすがに考えていなかったし、もし自分がその場にいたらどういう決断を下したかは正直微妙だった。


光王を殺すことで引き起こされる、社会秩序の混乱によって損なわれる利益と、オースレンの全住民の命。

どちらがより重いだろうか。


おそらくグロアは、儂が望むと自らが思った行動に殉じたのかもしれない。

あの場で光王を討ち、オースレンの民を救うことが儂の利になると考えたか、あるいは自らの願望を叶えつつも、不忠には当たらないと判断したか。


いずれにせよ、もはや時は戻らないし、グロアの死がもたらしたこの≪機≫を十分に生かし、最大の利益を生み出さねばならぬ。


グロアという人材の命の価値に見合うだけの利益を。


グロアの独断が大失態になるかどうかはその上に立つ儂のこれからの行動にすべてかかっている。



現時点での知り得る各地の情勢のおおよそを把握したショウゾウは、まず最初にオースレン近郊でギヨームの部下が捕縛した光王家の者と思われる虜囚に会ってみることにした。


その虜囚は少ない供の者を連れて徒歩でオースレンを脱出しようとしていたが、光王兵らを追っていた衛兵隊に見つかり、抵抗虚しく身柄を拘束されることになった。


その後、身なりや風貌などから、この地に派遣されてきていた監察使のルシアンという者であろうということが判明し、独房で≪喰魔しょくま≫アンドレによる執拗な拷問を受けていた。

オルドの純血である者には、アラーニェの使い魔による眷属化も効果がなく、手荒な手段を取らざるを得なかったのだ。


このルシアンなる人物からは少し興味深い話が聞けそうだと報告を受けたショウゾウは、アラーニェを伴い、この伏魔殿の最下層にある牢獄の独房を訪れたのだが、そこに繋がれていた虜囚の無残な姿に思わず顔を背けてしまった。


手足の指がところどころにしかなく、全身傷だらけで、片耳と鼻が無い。


「これはひどいな。おぬしがやったのか?」


「はあ、どうにもこうした尋問は苦手で、口を割らせるのに手間取りました。こいつ、意外と強情で、だんまりを決め込まれてたんですが、でもようやく俺たちのあるじとなら話してもいいって……」


「そうか、嫌な役目をさせてしまったな。ご苦労だった。あとは儂が話そう」


ショウゾウは、壁に両手首を鎖でつながれたまま項垂うなだれているルシアンに歩み寄り、そのところどころ皮膚が剥がれ鼻が欠けたその顔を見下ろした。


「……お前があの狂犬の飼い主か? 」


「狂犬? それは誰のことかはわからぬが、少なくともこの伏魔殿ふくまでんの主であることは間違いない」


ルシアンはようやく顔を上げ、腫れて重そうな瞼を見開きショウゾウの顔を見た。


「くくっ、そうか。私は闇の怪老の手に落ちたのだな。このオースレンの兵と貴様らは繋がっていたというわけか。滑稽だ。何も知らない愚かな私は、最初からお前たちの掌中にあったというわけだ」


「……光王家の、それも高貴な身であるそうだな」


「光王家……。今となっては、その響きも虚しいかぎりだ。光王家であることなどもはや何の意味も持たない。このような日が訪れるとは夢にも思っていなかったが、なんとも脆いものだ……」


「それはどういうことだ? 光王が死んだとて、また次の光王たる者がいるのであろうし、おぬしもまたその継承権を有する王族なのであろう?」


「我らはただの器にすぎない。神の力たる≪呼び名ケニング≫を納めるためのな。その≪呼び名ケニング≫が、光王家の手を離れた今、我らの存在する意味もまた喪失した。神の加護を失った光王家に誰が従うだろうか。付き従っていた側近も私を見捨てて何処いずこかに逃げ去り、そしてその結果がこの無様な今の有様だ。やがて各地を治める領主貴族たちも光王家の支配を離れ、独立などを企てるであろうし、周辺の国々も混迷を深めるノルディアスに食指を伸ばすに違いない。長久の平穏は崩れ去り、混沌の時代がやって来る。これはすべて、貴様らが引き起こしたことだ。貴様らのせいで、みんな死ぬ。そして、姉上も……。もう誰も止められない。このノルディアスの破滅は誰にも留めることはできないんだ!呪われろっ!そしてお前たちのせいで命を失うことになるすべての人間の呪詛をその身に浴びるがいい!ショウゾウ、お前たち闇の者もいずれ蘇った≪光の使徒≫に一人残らず殺される。これはもう避けられない運命なんだ!」


「落ち着け。その衰弱具合では、興奮すると体に堪えるぞ」


「もうどうなっても構うものか。最後に、私をこんな目に合わせた元凶の顔を拝み、呪いの言葉の一つでも吐きかけてやろうと思ったが、それももう済んだ。殺せ。あの狂った長髪の男に再び引き渡すくらいなら、一思いに、殺してくれ……。頼む……」


かなり精神的に参っているのか、いきなり緊張の糸が切れたかのように今度は滂沱の涙を落とし、もともとは白皙であったであろうその顔を異様なほど歪めている。

鼻が無くなっているせいか、間抜けな音が鳴り、それがいっそう悲惨な感じがした。


「まあ、待て。そんなに死に急ぐことはあるまい。儂は、お前が言うその≪呼び名ケニング≫だの、≪光の使徒≫だのに興味がある。儂の配下のグロアという者の命を奪ったのも、おそらくはそうしたものと関りがある存在によるのだろう。グロアを殺した光の翼をもつ白銀の髪の女について、何か知らぬか?」


一瞬、ルシアンの表情が強張こわばった気がした。


「……たとえ知っていたとしても誰がお前たちなどに教えるものか。さあ、殺せ。はやく殺してくれ!私はもう死んでしまいたいのだ」


「やれやれ、近頃の若い連中は「死ぬ」だの「殉じる」だのとすぐに口にする。人間などという生き物は放っておいてもそのうち老いて死ぬ。そんなに死に急ぐことはあるまい」


「……殺せ、殺してくれ。姉上を失った今、もう生きていても仕方がない」


「なあ、取引をせんか? 」


「…………取引……だと?」


「そうだ。お前の話では、光王家自体が揺らぐような危機なのだろう? そしてお前はその状況に絶望し、自暴自棄になっている。違うか?」


「……」


「おそらく拷問に遭う前のおぬしは、ずいぶんと美丈夫だったのだろう。その酷い有様でももとの顔が想像できるからな。しかもそのように手足を不具にされては自らの未来に絶望してしまう気持ちもわからないではない」


「白々しい。貴様がやらせたのであろう!」


「いや、儂が命じたのではない。命じたのではないが、主として配下の者の行動には責任がある。ほれ、少しじっとしていろよ」


ショウゾウは、≪老魔ろうまの指輪≫を嵌めた左手で、≪闇・小回復デア・キュオラ≫を発動させた。

ルシアンの顔や手足に蠢く闇が張り付き、欠損部分や生皮などが少しずつ修復されていく。


「むず痒いと思うが我慢しろ。これは儂の命魔法でな。時間はかかるが、すべて元通りになる」


「何のつもりだ?」


「いや、何、取引に応じてもらうための、いわば前払いだ。気に入らなければ、またアンドレにお前を食わせることになる。だがな、儂はお前たちが思うような悪人ではないと自分では思っておるゆえ、そんなむごい真似はしたくない。お前たち光王家は、一方的に儂をノルディアスに徒為あだなす存在と決めつけ追い立てたが、本来の儂は争いを好まぬ好々爺なのだよ」


ルシアンは少し腫れが引いて、開きやすくなった目でショウゾウを睨んだ。


「まあ、今は信じられぬと思うが、取引に応じておいおいその辺のところを見定めればよいのではないかな。そして、敵に回るのが得策であるかどうか、自分の頭でよく考えてみると善い。これはお前さんにとって、何一つ損が無い話だと思うが、話だけでも聞いてはみぬか? それに、さっきから「姉上、姉上」と口にしているが、何か他にも困りごとがあるのではないか?ことと次第によっては力を貸してやっても善いぞ」


「……私に何をせよというのだ?」


「なに、簡単なことだ。お前が知ることのすべてを我らに話してくれればそれだけでいい。その、≪呼び名ケニング≫とかいう神の力のこと。光王家しか知らぬ知識や実情。≪光の使徒≫とかいうやつのことも知りたいな。そう、それとお前の姉上とやらの話もだ。オースレンの城に滞在中だったというエレオノーラという女……それがグロアを殺したという女だったのだろう?」


にこやかだったショウゾウの顔が途中でにわかに無表情になり、目が据わった。


そして急に重く、低くなった声色こわいろにルシアンは思わず息を呑んだ。








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