第192話 遮る霧、阻む闇

ヴァルキュリャの半数ほどを引き連れノルディアスへの帰還の途に就いたビレイグだったが、未だ「暗黒の大陸」を出ることができないでいた。


ビレイグたちが闇の生物をせん滅し、解放したはずの土地には他所から移住してきたらしい別のものたちがもうすでに跋扈ばっこしている状態になっていて、それらを退治しながらの移動は決して容易なものではなかったのだ。


最初にこの土地を訪れた時よりはだいぶ個体数が少なかったが、それでも周囲への警戒を解くわけにはいかず、夜は見張りを怠ることができない状態だった。


加えて、原因不明の深い霧が昼夜を問わず辺りに立ち込め続けており、まるでこの「暗黒の大陸」から出るのを何者かが妨げようとしているのではないかと勘繰りたくなるような天候だった。


予定の半分も移動することができないこの状況にビレイグたちが苛立ちを感じ始めたある日のこと。


まだ夜が明けたばかりだというのに、空が瞬く間に暗くなり、そしてにわかに信じられない数の雷光と雷鳴が立て続けに発生した。


そのあまりにも異様な様子に、ヴァルキュリャたちはそれぞれの得物を手に取り、最大限の注意を周辺に向けたが、ビレイグだけは地べたに腰を下ろし、自らの愛槍に手をやることすらしなかった。


ただ、その表情は、様子を伺おうとしたヴォルヴァが話しかけるのを躊躇うほどに険しく、そして怒りに満ちたものであったため、他のヴァルキュリャたちも思わず沈黙してしまった。


「……恐れていたことが現実のものになりつつある。エインヘリヤルどもの封印がどうやら何者かによって解かれたようだ」


「エインヘリヤル!? まさか、≪呼び名ケニング≫の所持者に何かが起こったというのですか?」


「ああ、おそらくそうだ。あのショウゾウという闇を宿す若者の仕業かどうかはわからぬが、少なくともヨートゥンの息がかかった何者かに討たれたとみて間違いあるまい。あの天空を轟かす万雷は封印の喪失を意味している。≪呼び名ケニング≫に封じていた十三体の≪光の使徒エインヘリヤル≫が解き放たれてしまった」


「驚くべきことですが、そうであればひとまずノルディアスの方は安泰ですね。そのショウゾウとかいう闇の者や、仮にそれ以外の何かが出現していてもエインヘリヤルたちが対応してくれるでしょうし……」


「残念だが、おそらく、そうはならん。あれらは、完全なる失敗作だ。われの制御無くしては、その本性を現し、未曽有の混乱と血の惨劇を生み出すのみだ」


「そんな……。ビレイグ様、それはどういうことなのですか。エインヘリヤルは、もとは我らと同じヴァルキュリャ。あのヨートゥンらとの戦いでも大いに役立っていたではありませんか?」


「確かにな。われの目の届く範囲においては、その通りなのだ。しかし、死せるヴァルキュリャを再び蘇らせるという禁忌を犯し、生み出されたエインヘリヤルは、我が求めていたものとは全く異なるものであったのだ。一度失われたものは、二度と元通りにはならぬ。その苦い教訓を得る結果に至ってしまったのだ。傷つき、砕けたヴァルキュリャの魂魄を、死せる英雄たちの優れた魂でごうと我は考えたのだが、上手くはいかなかった。死者の魂の持つ無念や生者に対する憎悪などが清く正しかった娘たちの神聖さを著しく穢してしまったのだ。奴らはヴァルキュリャだったころのようではない。我をすら欺こうとする邪悪な怪物に成り果ててしまっていたのだ。それでも、我に殉じ、その命を預けてくれた娘たちに対する愛情を捨てきれなかった結果、廃棄を決断することはできなかった。いずれ目的を果たし、ノルディアスに戻った暁には、なんとかかつての心を取り戻させる試みを果たそうと、上手く連中を言いくるめ、≪呼び名ケニング≫に封じ込めたまでは良かったのだが、まさか、ヨートゥン亡き今、再びこのような状況に陥るとはまったく予想だにしていなかった。お前たちには黙っていたが、エインヘリヤルは闇の復活に対する備えなどではない。愚かで、未熟な我の、恥ずべき失態の結晶であるという、ただ、それだけなのだ」


「えーと、それはつまり……。それって、私たちに嘘をついていたってことじゃないですか! 」


ヴォルヴァは、その幼さの残る愛らしい顔を真っ赤にして、糸巻き棒を振り上げた。


「すまん、すまん。しかし、制御さえできれば、心強い味方となるのは間違いないのだ。だが、あやつらを制御するには、今の我の力でたりるかどうか……」


「何を弱気になってるんですか!それに、今の話からすると、急いで戻らないと残してきた人間たちが危ういってことですよね」


「まあ、そうだな」


「そうだな、じゃありませんよ!まったく、ビレイグ様は本当に責任を感じているんですか? 昔はもっと威厳があって、すごい神様だと思っていたのに、最近は本当にポンコツ化してますよ。一体全体、どうしちゃったんですか?」


ヴォルヴァのすごい剣幕に、ビレイグはたじたじになり、その怒りをなだめるのでやっとであった。

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