第190話 骨

人間や動物には死を察知する能力があるという話がある。


いわゆる「虫の知らせ」や「第六感」などというもので、身内の死を事前に知るといった話は世の中に掃いて捨てるほどあるが、ショウゾウはそういった現象をまったく信じてはいなかった。

それは自分という人間が血縁を持つ者との情が薄かったという理由によるものかもしれなかったが、父母や兄弟の死の間際にもそういった予知めいた現象は一度たりとも起こったことが無かった。


人は一人で生まれ、一人で死んでいく。

そういうことなのだろうと思っていた。



≪風の魔精ましょう≫シルウェストレの大いなる風のかいなに抱かれて、その操る凄まじい突風によって、≪虚界ヴォダス≫を一気に飛びぬけたショウゾウたちは、伏魔殿のすぐ手前で無事着地し、体感ではあるがおよそ三十分ほどで帰還することができた。


表の世界であれば、馬で半月ほどかかるところ、それがこの短時間でついてしまうあたり、その速度は少なくとも時速500キロメートル以上は出ていたのではないかと思われ、ショウゾウよりもぞんざいに扱われ、連れてこられたレイザーとエリックは帰還後もしばらく激しい眩暈と嘔吐で立ち上がることすらできなくなっていた。


「なんだ。だらしないぞ。ふところに抱かれていた儂はともかく、ミュルダールを見ろ。平然と……」


そう言いかけて、ショウゾウは思わず言葉を失ってしまった。


突如、自分と繋がっている何かがぷっつりと切れたような得も言われぬ心地がして、その脳裏に獣魔グロアの、厳つい風貌に似合わぬ澄み切った瞳をした顔が浮かんで、そして消えた。


グロアが死んだ。


それがなぜかはわからないが、確かにそうであるという確信があった。


そして、突如、右足の小指の先の骨が熱く、うずくように痛み、しばらくすると逆にそこから湧き上がるような力が宿るのを感じた。


その力がどのようなものであるかはわからなかったが、その異様な力は、小指から全身に伝播してゆき、やがてショウゾウの持つ闇の力をも増幅していくような感じだった。


ショウゾウはうずくまり、そして無意識に己が泣いていることに気が付かされて、それを慌ててぬぐった。

男の涙は、うれし涙であっても恥。


「おい、やっぱりショウゾウさんも、相当参ってるんじゃないか。うっ、駄目だ。おえぇー」

「僕はもういっそ死にたいです!うっぷ……」


もう吐くものも胃に残っていないので余計に苦しそうな二人に、「ゆっくり休んでから来るがいい」と声をかけ、ショウゾウは、眷属たちを連れ伏魔殿に戻った。


おそらくは隔絶された≪虚界ヴォダス≫にあるからだろうか、シルウェストレとミュルダールがグロアの死について気が付いた様子は無かった。




「ショウゾウ様、よくぞご無事で……」


出迎えに現れた≪蟲魔ちゅうま≫アラーニェにも何も変わった様子は無かった。

そして、ただ一言、表情一つ変えずに「グロアが死にました」とだけ伝えてきた。


最近、個人的に少し深く関わるようになったので、その無表情が不自然に取り繕ったものであることは容易に察することができた。

だが、ショウゾウはそれに気が付かないふりをし、「そうか」とだけ答えた。


喰魔しょくま≫アンドレが回収してきてくれたグロアの遺体は、彼が使っていた部屋の石造りで簡素な寝台の上に寝かされており、胴体に空いた二つの大きな貫通傷がとても痛々しかった。


「グロア……。随分ときれいな顔をしておるな。羨ましいことよ。儂にはどうしたらこのような死に顔で逝けるのか、想像もできん」


老い衰え、その身を病魔に侵され、それでも現世に多くの未練があったショウゾウは、かつてその無念と憂さを晴らすべく、渋谷で多くの人間を道連れに死のうと考えた。


だが、有象無象のかかわりのない人間を何人殺めようとも気が晴れることは無く、割腹自殺をする直前まで消えなかったのは、選ばれた人間であったはずの自分が消えてなくなることへの自然の摂理ともいうべきものに対するぶつけようのない怒り、無念、そしてやり残した多くのことへの未練であった。


すべてをやりきったとでも言いたげなその安らかな顔の古い火傷跡をショウゾウは撫でてやり、そして背を向けた。


死者は安らかに眠れ。


生者にはまだ為すべきことがある。







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