第185話 風のシルウェストレ
迷宮の守護者たる≪風の
迷宮はまるで死の間際の痛苦にのたうつかのように鳴動し、その後、おびただしい魔物を地上に溢れさせたが、その主たるシルウェストレの命によるものであろうか、魔物たちはやがていずこかへと散っていった。
シルウェストレは、これまでの魔人たちのような≪
どうやら、この迷宮の周辺で、常に吹いていた異様な強風は、≪風の魔精≫たる存在の気配を感じ取り、慕い、集まって来ていた風の精霊なるものの仕業であったようで、シルウェストレはそれらを取り込み、現世における体を形成したようだ。
一応、人のような姿をしているものの、やはり、死せる人間の魂を源にしている≪魔人≫たちとは見た目からして異なる。
奔放な長い髪をした美しい女性の姿をしているものの、その体は透き通り、辛うじて身に帯びた風の精霊力と呼ばれるものの帯びる光で目視可能なのだが、生き物という感じはしない。
それはまさにおとぎ話や寓話などに現れる自然現象を具象化したような存在であり、まさに風そのものの精であるといった感じであった。
人によっては、シルウェストレのようなものを目の当たりにしたとき神の使い、あるいは自然神そのものと見做してしまうこともあるであろうし、それにふさわしい原初の自然の力強さのような雰囲気をその身に纏っている。
「ああ、やはり地上は素晴らしい。世界には精霊力が漲り、すべてのものが≪
空中でそう感嘆したシルウェストレは一瞬、かき消えて、再びショウゾウの目の前でその姿を形成して見せると跪き、改めて首を垂れた。
「ふむ、なるほどな。決まった肉体を必要とせず、その都度そうして必要な時に、実体化できるのか。便利なものだな。その力はもはや儂のような魔法使いよりも上位の力であるように思われるし、今さら眷属になどならなくても、どこへなりと行ってしまえそうなものであるが……」
「いえ、ショウゾウ様、それは違います。現世に深い未練と執着のある魔人たちと異なり、もともとが自然現象を司る精霊であったわれらは、闇の主たるショウゾウ様の存在無くしては、自我を持たぬただの力の塊へと成り下がってしまうのです。ヨートゥン神により賜った人格、個性、またそれによって得られてきた経験の蓄積たる記憶にわれら魔精は強い愛着を抱いています。これらを失い、ただ地上を巡る風の一部に戻ってしまうのは、我にとって何よりも避けたいことなのです」
「人の身にすぎぬ儂などには理解が難しいことのようだな。しかし、そうであるならば、なおのこと聞いておかねばならん。魔人たち……というよりも、人間と大きく異なる価値観、志向などを持つのであれば、儂の眷属として用いるときに、どのように扱えばよいのだ? 魔人たちであれば、生前の、元になった魂の性格が色濃く残っておるし、功名心や欲望、あるいは愛憎といった人間臭い部分があったりもする。だが、おぬしにそれはあるまい」
「たしかに、そのとおりです。我ら魔精にはそうした世俗的かつ人間的な部分は備わっておりません。そうしたものだと理解し、それに沿うよう努めることはできますが、敢えて我をお使いになるときには、物、あるいは道具と同じように扱われるがよろしいでしょう」
「それでいいのか?」
「はい、主たるショウゾウ様に使役されることが我が喜びにして、存在意義そのもの。我は、自然界に溢れる風の精霊たちを取り込み、その精霊力を我がものにして風を操る≪
「風を操る……。しかし、今、少し気になることを言ったな。風の精霊たちを取り込むということだが、取り込まれた精霊はどうなる? その精霊というのは無限に湧き
「さすがはショウゾウ様。そこにお気づきになるとは……。我が≪
つまり、無尽蔵に使える力ではないというわけか。
自然現象の源になる精霊という概念は元の世界には無かったが、電気やガスといった再利用不可能な消費型のエネルギーのようなものだと思えばいいのだろうか。
環境に与える長期的影響を考えるとその用途は慎重に考えざるを得なくなりそうだ。
「……ショウゾウ様。少しよろしいですか」
「なんだ?」
「私は、遠く離れた風の精霊の声を聴くことができますが、ここからはるか東の地でなにかが起こっている様子……。強い光と闇の気の衝突に、その地の風の精霊たちが激しく動揺している」
「光と、闇の気……、それに衝突だと?」
ショウゾウは、そこに控える≪剣魔≫ミュルダールを見たが、彼は無言のまま首を振った。
迷宮に封じ込められている間は、そこに宿る不思議な力により、互いの魂が繋がっている様な状態にあり、遠い地にあっても各守護者は互いに意思疎通できたそうだ。
そして、どれほど離れていてもヨートゥン神の死骸の各部位であった迷宮の力で、互いのおおよその位置や状況を知り得ることができたのだそうだが、受肉し、魔人となってからはその力は失われ、ある程度の範囲内にいなければ、その闇の気を感じ取ることはできないようだった。
だが、彼ら魔人の上位に位置する魔精はその限りではないようで、その闇の気の持ち主が、≪獣魔≫グロアであると言い当ててみせた。
「グロアが何者かと戦っているということは、その場所とは、オースレンか」
「今の時代において、その地が何と呼ばれているのかはわかりませんが、ヨートゥン神の力の一部を宿す魔人が、その力を全解放して戦っているのであれば、その相手は他ならぬ神自身あるいは、その≪使徒≫などでしょう。ショウゾウ様、いかがなさいますか?」
「どうするも何も、戻るしかあるまい。まずは状況を確かめ、それから打つ手を考える。シルウェストレ、その戦いの決着になんとか間に合わんか?」
「微妙なところですが、≪
シルウェストレの言葉に嫌な予感がしたのだろうか、これまでの移動で散々懲りているレイザーとエリックが一気に青ざめ、怯えたような顔をした。
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