第184話 悪食
風雲急を告ぐ。
光王ヴィツェル十三世と獣魔グロアの放つそれぞれの光と闇の気に呼応してか、オースレンは、まさに天が乱れ、にわかに風が吹き荒ぶ様相を呈し始めた。
地上では、悲鳴や怒号が飛び交い、多くの人間の血が流されていたが、事態が収拾を見せる気配は無く、オルディン神に救いを
そう、神は人を救わない。
神を信じる者も、そうでない者も、皆一様に死んでいく。
「金目の物を出せ! 隠すと身のためにならんぞ」
幼子を人質に取られ金品を奪われる父親のすぐ近くで、母親が犯されている。
オルディン神殿によって営まれていた
命を繋いだのは、運命に抗い剣を取った者と生まれながらの幸運を持ち合わせた者だけだった。
そういう意味では、最も幸運だったのは東地区だったかもしれぬ。
それが誰にとっての幸運であったのかは別にしても、西地区でのギヨーム率いる抵抗軍と光王兵との間の激しい戦に巻き込まれることも、北地区での人知を超えた者たちによる戦いにも巻き込まれずに済んだのだから。
この東地区は、他の地区に比べて最も光王兵の姿が地上から見られなくなった地区である。
冒険者ギルドの者たちが、建物内に立て籠もり抵抗を続けていたのも東地区だったのだが、そこに向かう兵は少なく、膠着状態が続いた。
光王兵は金品の略奪などに忙しくで、抵抗を続ける手強い冒険者たちの方になかなか目が向かなかったのだろうと当事者たちは考えたのだが、そうではなかった。
この東地区の掃討部隊に配属されたボルイェは、オルドの血を引く混血であり、厳しい選別と訓練を経て、光王軍で精兵百人の隊長を任されている数少ない栄光騎士のひとりである。
栄光騎士は、別天地の外に住居を与えられてはいるが、その俸給を受けて、王城での勤めを許されており、王都を二つに分かつ内城壁を出入りする自由が与えられている。
ボルイェが率いる部隊らは、東地区の民家の捜索を命じられていて、怪老ショウゾウを捕まえるためであれば、いかなる暴虐の限りを尽くしても良いとの例の許しを、光王から直々に得ていた。
ボルイェは最初、今回の任務に対してあまり気乗りはしなかったのであるが、六人の娘と二人の息子を持つ父親でもあったため、いくらかでも収入の足しになればと、部下たちと共に金品の強奪に加わっていた。
俸給は、暮らしていくのに何不自由のないものであったが、家族たちには少しでも贅沢をさせてやりたかったし、子供の養育費のために、自身もだいぶ節約を強いられていたのだ。
良心は咎めたが、怪老ショウゾウを討ち、光王陛下の恩に報いるためだと自分に嘘をつき、心を鬼にすることを決めた。
家々に部下と共に押し入り、住人を殺害した後、金目の物を物色し、それを奪った。
ボルイェたちは豪商や富裕層が比較的に多い東地区でも中央寄りのエリアを目指し、その
扉を壊されていたために、ボルイェは他の仲間に後れを取ったと思ったのだが、家中荒らされていたものの、奥の寝室には住民がまだ残っていたのだ。
最終的には皆殺しにせよという命令だったはずだったが、この住民たちはなぜ生かされているのか、そのことにまず疑問を持った。
若い夫人は引きちぎられた衣服のまま、幼子を抱きしめ、泣いており、この家の主人と思われる男はけなげにも金属製の燭台立ての先をこちらに向けてきた。
当然のことながら、彼らはひどく怯えた様子で、ボルイェはそれが自分たちに対しての恐怖であると思っていたのだが、様子がどうにもおかしい。
彼らの目線は、自分たちだけではなく、その足元の床にも向けられていて、どこか視線が定まっていないようであった。
「おい、ここに来た兵たちはどこに行った? お前たちはなぜ生かされている?」
ボルイェの問いに家の主人は震える声で答えた。
「わからない。ここに来た兵は皆、消えてしまった……」
「消えただと? どういうことだ!」
ボルイェは剣で、傍にあった椅子を破壊し、声を荒げた。
だが、次の瞬間、床が抜けたような感覚が襲い、気が付くと、風景が一変していた。
頭上には、簡素な線で描かれた動く人型が三つ、そして壊された椅子や寝台、家具など、先ほどの部屋の内部であると思われるものが、描かれており、その他はまったくがらんどうな空間が現れたのだ。
地面が無く、まるで水中に浮かんででもいるかのような奇妙な場所だった。
線が時折現れては消え、それによって描かれた風景が一定のゆっくりとした感覚で明滅している感じだ。
線で描かれた風景が消えている間は、星が無い夜空のようで、どこか物寂しい雰囲気がある。
「た、隊長、この場所は一体……」
振り返ると部下たちも同じようにやって来ていて、不安げな表情をしていた。
そして、同時に、この場にやって来ていたのは自分たちだけではないことに気が付く。
部下たちの後方には、もうすでに数十人ほどの宙に浮いた、藻掻く光王兵がいて、そして何よりもう一つ、地上では見たこともないような奇怪な化け物の姿があったのだ。
それは人間を丸のみにできるような大きさの蜥蜴のような姿をした化け物で、鱗などはなく、つるりとした薄桃色の表皮をしており、ところどころ血管のようなものが浮き出ていた。
化け物は長い舌を伸ばし、次々と光王の兵士たちを口中に放り込んでいく。
そして、あらかた目の前の者たちを食べつくしてしまうと、今度はボルイェたちの方に歩みを進め始めたのだ。
逃げなくては……。
ボルイェがそう強く思うと体が少しずつではあるが化け物から遠ざかるように流れ始める。
手足をばたつかせても、まるでだめだがこの方法なら移動できそうだ。
「これは……?お前たち、念じるんだ! 行きたい方向を強く念じれば、どうやら体が動くようだぞっ!」
部下たちにそう伝えたあとで、ふとあることにも気が付く。
自分が地面だと信じる場所を定めると、そこを起点に体が垂直になろうと動き、しかも足下にかたい何かがあるような感触になるということに。
「せいかーい。お前、なかなか良い勘してるな」
抑揚が無く、感情がこもらないような声。
気配もなく、突然、何者かに耳元で囁かれて、ボルイェは肝を冷やした。
慌てて身をよじって見るとそこにはひどくやつれた男が顔を異様なほど近づけており、二度驚いた。
「お、お前は誰だ? 」
「オレか? 聞いてどうする? まあいいや、隠すのもめんどくせー。オレはアンドレ。ああ、おまえは名乗らなくていいぜ」
「なんだと、つまりお前は敵か? この妙な場所に引き込んだのもお前の仕業なのか?」
「そうだ。お前は、他の連中より良い身なりしてるからな。他の連中よりは長生きさせてやる。感謝しろ」
アンドレと名乗る男と話しているうちに、化け物によって連れてきた部下二人が悲鳴を残し、喰われてしまった。
「ど、どけっ。貴様! 化け物が来る。ええい、邪魔だと言っておるだろう!」
ボルイェは腰の剣を抜き、踏み込む地面を意識しつつ、バランスが取れないながらもなんとかアンドレに切りつけることに成功した。
だが、その刃はアンドレの首に迫る直前でぴたりと止まり、動かなくなった。
見るとアンドレは、親指、人差し指、中指の三本でボルイェの剣の刃を掴んでおり、顔色一つ変えていなかった。
「さっきから、化け物、化け物って失礼だな。あれは俺のかわいい胃袋ちゃんだよ。言葉遣いには、本当に気をつけな。オレみたいにナイーブな男は傷つくぜ、マジで」
「胃袋? お前は本当に何なのだ!くそっ、俺はひどい悪夢でも見てるのか? ここは一体どこなんだ」
「おい、そろそろ自分の置かれた状況を理解しろや。ここは東地区の地下部分の真裏に作った俺の狩場だ。≪
アンドレは、ボルイェの体を掴み引き寄せると、右耳にいきなり齧りつき、そしてそれを咀嚼した。
「ぐああっ、き、貴様、何を……」
「ぺっ。まじいな。いいか、残った左耳でよく聞け。めんどくせーから一度しか言わないぜ。まず、俺に今後質問するな。そして次に、光王についてお前が知っている情報を全部話せ。その兵装からするとお前、兵卒じゃなくて将校だろ。光王の持つ力、このオースレンに来ている軍の陣容、兵力、配置。ああ、別にそれ以外でもいいや。王都にいる予備戦力だとか、配下の陣容とか、内情でもいいぞ。お前が重要だと思う情報を全部吐き出せ。情報の価値を、お前の残り寿命に換算してやる」
「誰が、お前などに……」
「あっそ」
次にアンドレが齧り取ったのは、鼻だった。
少し噛んで、そして、その辺に吐き捨てる。
ボルイェは悶絶し、命乞いをするような目でアンドレを見たが、その目には何の感情も浮かんでいないようだった。
「あのさ、俺、このままだと、仲間
アンドレは、気を失ってぐったりしたボルイェを、≪胃袋≫の方に押してやり、餌にした。
「くそっ、それにしても尋問ってやつも結構難しいもんだな。ショウゾウ様には使えない奴だって思われたくないし、なにかもっと簡単に手柄あげられる方法は無いものかな。グロアみたいに命令違反して出撃するのはナシだとすると……、ああー、めんどくせー」
アンドレは背中まで伸びた灰色の長髪の頭を掻き、愚痴をこぼした。
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