第183話 裏で糸引く者、悩める者

「グロア……、あれほど言って聞かせたのに、勝手な真似を……」


オースレン北地区の裏側。

虚界ヴォダス≫にある伏魔殿ふくまでんに設けられた軍議の間で、≪蟲魔ちゅうま≫アラーニェは一人、虚空に浮かんだ≪蜘蛛の目≫と呼ばれる八つのヴィジョンを睨みつつ、そう呟いた。


討って出たいと申し出てきたグロアには固く出撃を禁じていたのだが、それに背かれた形だった。


この≪蜘蛛の目≫は、各地に放っている使い魔の視界と連動しており、切り替えつつ、離れた場所の状況を最大八か所まで同時に映し出すことができる。


その一つに映し出されていたのは、神の力を纏う光王と対峙するグロアであり、ショウゾウからこの伏魔殿の留守を任されているアラーニェにとっては唯一の計算外となる光景であった。


アラーニェの考えでは、光王の掃討作戦に対して、魔人や魔物を差し向けるつもりは毛頭なく、自らの直属の配下となったギヨームら≪蜘蛛≫の、すなわち闇に身を委ねた人間のみの力で対処するつもりだった。


如何に怪しもうとも、ヨートゥン神が創造したこの≪虚界ヴォダス≫に干渉することは、光王ら≪光≫の勢力には到底できぬと思われたし、どれだけ時がかかっても主たるショウゾウが帰還するまで、このまま黙ってやり過ごすのが得策であろうという考えであったのだ。


伏魔殿を含む≪営巣≫によって人が生活できるように整えた空間は、その収容人数が限られていたために、自らが影響力を持つに至った貧民街とその周辺の北地区の住民だけを避難させるだけで精いっぱいであった。


ショウゾウ様の深淵なお考えは私の及ぶところではないが、おそらくオースレンの住民の全滅は望んではおられまい。

あのお方は人の命に重きを置いてはおられないが、己が資源としての人間の無駄な損失は嫌っておられるように思われる。


アラーニェはこのように考えて、できるだけショウゾウの意を汲めるように差配したつもりだった。


そして、これがアラーニェにとっては、主たるショウゾウに対する最大限の譲歩でもあった。

実は、今世こんぜに生きる人々のほとんどは、かつてヨートゥン神を裏切り、オルディン神に与した氏族たちの末裔であった。

それはいわば、自分やグロアをはじめとする魔人の元になっている魂の持ち主であった者たちやその属する氏族を破滅に追いやることになった仇敵の子孫であることを意味する。


ゆえに、アラーニェの目には、いずれも憎むべき敵同士が殺し合いをしている様なものだと映っており、ショウゾウの存在が無ければ、見殺しにしても一向に胸が痛むことではなかったのだ。


だが、同じ魔人であってもグロアにとってはそうではなかったようだ。


≪獣魔≫グロアの元になっている魂の持ち主は、辺境の蛮族王と恐れられていた偉大なる王の長子にして、その片腕であった英雄、不滅の凶戦士グロアのものであった。

凶戦士グロアはその父王が≪光≫の勢力によって敗死させられた後も、ひたすら抗い続け、それに手を焼いたオルドの者たちはグロアの里の全住民を人質に取り、投降させるという苦肉の策をとることで、ようやく彼をとりこにしたのだ。


住民の命は助けるという条件であったが、オルドの王は抵抗する者たちへの見せしめにするとして、捕縛されたグロアの眼前で、その一族数百人を老若男女一人残らずその首を刎ねた。

慟哭したグロアは自らの舌を嚙み切り、恩讐の眼差しをオルドの王に向けたまま息絶えた。

グロアの顔の火傷は、ヨートゥン神が死した後も各地で連携して抵抗を続ける他の者たちの情報を聞き出すべく、情報を聞き出そうとしたオルドの武将の拷問によってできたものだ。

一滴、一滴、燃え滾るような高温の油を何度もたらされ、それでもグロアは口を割らなかったのだそうだ。


おそらく、グロアには虐殺の対象になっているオースレンの民が、殺された同部族の者たちと重なって見えたのだろう。



「アラーニェさん、その……少しよろしいでしょうか?」


この場に近づいていることは把握していたのだが、敢えて無視していたある人物が、≪鍛魔たんま≫マルクに伴われ、軍議の間にやって来た。


「マルク、なぜその娘をここに連れてきた?」


アラーニェは、傍らに立つエリエンを無視して、その隣で気まずそうにしている≪鍛魔たんま≫マルクを睨んだ。


「いや、その……、あれだ。このお嬢さん、暇さえあればわしの工房にやってきて、入り浸るようになっておったのだが、さっきからしつこくお前さんと話がしたいと頼み込んできおってな。断りきれんかった」


頭を搔いてすまなそうにしているマルクに、アラーニェは思わずため息をつきつつも肩を落とした。


「エリエン、伏魔殿の本殿には近づくなと言っておいたはずだぞ。ここはおまえのような人間がやって来るところではない。用があれば、付けていた使い魔に話せと言ったはずだ」


「ごめんなさい。そうしたのだけれど、連絡がつかなくて……。それで、マルクさんにわがままを言って、連れてきてもらったのです。本当にごめんなさい」


「それで、用とはなんだ? この通り、今、私は忙しい」


エリエンは、空中に浮かぶ≪蜘蛛の目≫に映った各地点の光景に思わず息を呑んだ。

東西南北各所の略奪行為やそれに対する抵抗の様子などが目まぐるしく変化し、この≪虚界ヴォダス≫の表側ではこのような惨劇が繰り広げられているのかと改めて驚かされた形だ。


というのも、エリエンは≪虚界ヴォダス≫に避難してきた北地区の者たちの姿を伏魔殿の外側に設けられた居住区で目にし、事情を聞いた上でここにやって来たのだ。


「私を……、この≪虚界ヴォダス≫から表の世界に出してください」


「お前、自分が何を言っているのか、わかっているのか? オースレンは今、欲望に身を委ねた者どもによる血の狂騒の最中さなかにある。殺戮さつりく、強奪、凌辱……思い浮かぶ限りの悪業が、光王の兵どもによって為されているのだ。現世うつしよに戻ったとて、お前の如き、脆弱なただの人間風情に何ができる?」


「アラーニェさんのおかげで、魔導神ロ・キという神と魔法の再契約ができましたし、今まで水と命の魔法しか習得できなかったのが、他属性の魔法も使えるようになりました。魔法使いとしての力量は以前よりも格段に上がったつもりです。私にも何かできることが……、一人でも多くの命を守ることができるようになったと思うんです」


「自惚れるな! お前に魔法神の変更と再契約を勧めたのは、無駄にショウゾウ様の手を煩わせることが無きよう、自衛のためのすべを身に着けさせるためであったのだ。ショウゾウ様からはお前の身の安全を頼まれているゆえに、仕方なく手を差し伸べたものを、自分が何者かになったように勘違いするのは、はなはだ滑稽だぞ。自分が人のために何かできるなどと、囲われ、守られているだけの未熟なひな鳥が軽々しく口にするな」


珍しく激したアラーニェを前にして、エリエンは何も言い返すことができずにうつむいてしまった。


「アラーニェ、そこまでいうことはなかろう。エリエンは、ショウゾウ様のために何か役に立ちたいと常日頃から話していた。そして、生まれ育ったオースレンの人々が苦しむさまを見ていられなかった気持ちは、おぬしにも理解できよう?」


「マルク、お前は黙っていなさい! 」


アラーニェに睨まれ、マルクは肩をすくめて、エリエンの陰に隠れた。

いらないことを言ってしまったと舌を出し、その隆々たる体を丸めて、頭を下げる。


「エリエンよ。ショウゾウ様のお役に立ちたいと思うのであれば、なおのこと、この≪虚界ヴォダス≫で大人しくしていなさい。今のお前にできることなど、外の世界には何もない。それに、新たな属性の魔法を使えるようになったとはいっても契約したての魔法など、よほどの素養と天賦の才が無ければ、実戦で使うことはおろか、安定化さえ難しかろう。ショウゾウ様でさえ、段階を踏み、ひとつひとつ確実に使いこなせるよう陰ながら血のにじむような努力をされているのだからな。わかったら、下がれ。私は忙しい」


失意のエリエンの手を引き、マルクは軍議の間から出ていこうとしたが、背後からアラーニェの声がかかる。


「マルク。抵抗している市民の数に比べて、武器が多く不足している。冒険者ギルドにできた拠点と、外にいるギヨームに渡してやりたいのだが、今からであれば、どのくらい用意できる? 」


「そうさなあ、一刻いっときほどくれれば、二千人分くらいは用意できるが……」


「それほどは待てない。品質はそこそこのものでいいし、数もその半分ほどでいい。大至急用意してくれ。輸送は、魔物どもにやらせる」


「人使いの荒いことだが、お前の頼みであれば、頑張るほかはあるまい。さあ、エリエン、いくぞ。お前にも手伝えることがある。お前さんが発現させた魔法の効果をわしがとりこみ、武器に吹き込むのだ。直に守ってやれなくても、わしらが創った武器が人々の命を守る。今はそれで我慢するのだ」


言い聞かせるようなマルクの言葉にエリエンは静かに頷き、そしてアラーニェに頭を下げた後で軍議の間から駆け去っていった。








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