第182話 最大の誤算
光王ヴィツェル十三世の最大の誤算は、敵を怪老ショウゾウただ一人、あるいは付き従う者がいたとしても、その救出した仲間のような有象無象が数人いるだけであると思い込んでいたことである。
これはショウゾウが魔人たちの力を頼らず、その存在をできるだけ表の世界の人々に知られぬように使役するに留めていたことが功を奏したのであるが、その他にもこうした事態に至った原因が彼の内面にもあった。
神の力を宿しているという絶対的な自信から、己以外の他者を軽んじ、自らこそが人間という種の頂に立つ唯一の超越者であると自負していたことから、よもやその自分を脅かす存在が他にいることなど思いもしていなかったのだ。
魔の力を宿す人。
すなわち魔人という存在を、光王はおろかこのイルヴァースの人々は、グロアと名乗った異形の戦士を通して初めて知ることになった。
獣魔グロアは、全方向から殺到してくる光王の兵たちを一瞥することなく、大地を蹴り、ただ光王に向かって真っすぐ突進を開始した。
手にした
「くっ。なんだ、この化け物は!」
「止まらんぞ!陛下、陛下を守れ」
それはまさに人外の膂力であり、あっという間に光王の乗る騎馬に近づくと、跳躍一番、襲い掛かった。
「陛下!」
側近たちの叫ぶような声が響き、グロアの間合いに光王が入ろうかというその時、一筋の雷光が走り、それを妨げた。
その雷光を放ったのは、大師≫ヨランド・ゴディン、その人であった。
グロアはたまらず、空中で身を翻すと近くの地面に着地し、唸り声をあげた。
胸部の毛皮が焼け焦げ、煙を上げる。
その周りの皮膚も火傷を負っていたが、柔らかな薄紅色の光がその傷を覆い、見る見るうちに癒していく。
あっという間に
「ほう……。獣人よ、その光は命魔法だな。無骨な戦士に見えて、魔法も心得ておるか。しかもそうやっておのれの≪
ヨランド・ゴディンは、光王を守るようにグロアの前に立ちはだかり、両手で印を組む。
グロアは、覆面の目を赤く光らせ、今度はヨランド・ゴディンに襲い掛かるが、今度は光王の側近の騎士たちがそれを阻もうとする。
魔法使いを含む集団戦闘においては、その魔法の力を有効に生かすべく、こうして近接戦闘に長けた者が前衛を務めるのは定石であり、光王の側近に侍る騎士たちは当然にそのことを心得ている。
「光王様、大師様、危のうございます。お下がりくだされ」
光王は後方に下がり、グロアとの間に再び分厚い兵士の壁が立ちふさがる。
さすがに選りすぐりの騎士たちは技量も然るもので、力で圧倒されながらも、五人がかりでグロアを足止めするのには成功しており、ヨランド・ゴディンの遠距離からの魔法攻撃との連携で優勢にたったかのように、その一時は思われた。
だが、それも束の間、グロアの身にある異変が起こり始める。
全身に獣毛のようなものが生え始め、屈強な筋肉の塊であるその肉体が
「だみたちのぐるしむごえがきこえる。おまえたちをごろして、はやくゆかねば……」
グロアは猪の被り物を取り去り、古い火傷の傷がほぼ大半を覆う醜い素顔を晒した。
それは煮えたぎる油を生きたまま注がれでもしたかのような酷い有様で、グロアの素顔を間近で見た者たちは、皆一様に顔を
グロアはやがて、屈強な兵士たちを見下ろすほどの巨体となり、その顔と体はまさに野獣そのものといった風貌になった。
野獣化しても、その顔に残った古傷はそのまま残っており、ひどく醜い。
そして、皆がその変化に度肝をぬかれ、恐れおののいたその刹那、その巨体をものともしない、まさしく
立ちふさがっていた騎士たちのうちの一人に一瞬で詰め寄ったかと思うと、その丸太のような腕の振り下ろしで、兜で覆われたその頭部を一瞬で叩き潰した。
「魔物だ! 人が魔物に変わった!」
「殺される。こんな化け物にかなうわけがない……」
周囲から悲鳴のような声が上がるが、身がすくんでいるのか、兵士たちの反応は鈍い。
殺された仲間の隣に立っていた騎士が慌てて、グロアの胴体に剣を振り下ろしたが、その刃は空を切り、かすりもしなかった。
グロアの巨体は、信じられない
グロアは一所にとどまらず、ましらの如き
兵士たちの屍で周囲は足の踏み場もないようになり、ついにはグロアに向かってゆく者もいなくなった。
ヨランド・ゴディンの魔法も照準が定まらず、追尾効果のある光弾を放っても、それは素手で弾かれてしまっていた。
「火力不足か」
大魔法院でショウゾウを迎え撃った時の様な≪
ある程度、まとまった時間を稼いでくれれば、高位魔法を放つことができるのだがと、ヨランド・ゴディンは自分の唇を噛んで悔しがった。
「もう、よい。これ以上は兵の無駄遣いになる。お前たちは下がれ」
光王は馬を降り、腰に下げた一族に代々伝わる宝剣を抜くと失望を隠さない顔でそう言った。
「グロアとやら、何やら言葉が不自由なようだが、お前はショウゾウに関わる者か?」
「……」
「答えぬのか。それともその野獣の如き姿では人の言葉を話せぬのか? いずれにせよ、我らオルドに
光王の身の内から眩いばかりの光が溢れ、その全身が一回り大きくなったかのような錯覚を、その場にいたすべての者が覚えた。
光王の周りの空間が歪んで見え、そしてこれは錯覚ではなく、その体がわずかに宙に浮いた。
光王の持つ優美な装飾が施された宝剣は、その身に帯びた光に呼応するかのように輝きを増し、得物は槍ではなく、隻眼でこそないものの、それはまさに壁画などで見るオルディン神を彷彿とさせる勇ましさであった。
≪獣魔化≫し、野獣を思わせる姿になったグロアと≪
対峙する両者の姿は、まさに神話で語られるような一場面のようで、周囲の者たちはもはや見守ることしかできなくなっていた。
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