第178話 兄弟に起きたこと
オースレンの東西南北、それぞれの地区にある城門は封鎖され、城壁の上にも弓を携えた多くの兵が配置された。
街の人々は屋外に出ることを禁じられ、日中にも関わらず巡回の兵士しかいない街並みの物々しい様子はまさに異常という他は無かった。
その異常な街の様子を、領主フスターフは城にある塔の屋上から、苦悶に満ちた表情で見つめていた。
その背後には弟のルカ、そしてギヨームが並んで立っており、さきほどから黙ったままの兄の背中をただ見守る形だ。
この城は現在、主君である光王ヴィツェル十三世に明け渡され、
監察使ルシアンは城に足を踏み入れることは許されておらず、光王の傍らにあって、闇の怪老を狩るべく北地区の住民の掃討作戦に従軍している。
掃討軍は四つに分けられ、もっとも治安が悪く、強い抵抗があると予想された北地区に最も戦力が集中されることになった。
この北地区に最も強い闇の気配があるという巫女姫のお告げもあって、その兵数は他の近くの倍、しかも当代で最強の一角を占めるとの呼び声高き魔法使いのヨランド・ゴディンも配置されるなどの念の入れようだった。
「……いよいよ始まってしまう。この見慣れたオースレンの歴史ある街並みが今日で消えてなくなってしまう」
塔の屋上の外周を囲む
今は兵士たちの家族が城や詰め所などに避難している最中であり、それが終われば作戦開始を告げる合図が為され、虐殺が始まってしまう。
「兄上、いえフスターフ様。この掃討作戦は止められないものなのでしょうか?我らは本当にこのまま民たちを見捨ててもよろしいのでしょうか? このような非道を見逃してはグリュミオールの名は血に塗れ、後の世まで呪われることになりましょう。光王様をお諫めし、別の方法をお取りいただくよう進言すべきではないでしょうか」
「ルカ、頼むから何も言うな。これは天から降った災いのようなもの。そうとでも思うしかないのだ。父が私に領主の座をお譲りくださった日に、領主としての心構えをあの不自由な口で涙ながらに語って聞かせてくれたが、その中でも最も大事で、例外なく貫かねばならないものは、光王家への忠誠であると仰っていた。光王様という存在が如何に神に等しく、恐ろしい存在であるか……。歴代の光王様には、オルディン神に与えられた神の力が宿っている。その神の力は、≪
「まさか、そのような力が存在するわけがありません。神の存在を否定はしませんが、それほどまでに他者を超越した存在などあっていいはずがない」
「気持ちはわかるが、過去数度行われた外征では、父もその≪
「兄上もまた、その神の力に屈したというわけなのですね。しかし、如何に神に近き者と言えども、このような非道が許されていいはずはありません。あの、ショウゾウという老人唯一人を殺すためだけに、八千人の人間の命を犠牲にするなど、これはもう悪魔の所業と呼ぶほかは無い。それに盲従する兄上もまた同罪ではないですか」
「なんと言われようが、これはもう決めたことだ。グリュミオールの家を、お前たちを守るためには仕方がないことだと考えている。汚名は、私がすべて被る覚悟だ。もし、従えないのならお前たちは参加せずとも良い。従騎士隊と衛兵隊の兵権をはく奪する」
「兄上!」
ルカの悲痛な叫びもフスターフの決意を覆すことはできなかった。
フスターフは二人を置いて、その場を離れようとしたが、いきなりギヨームが動き出し、ルカたちの思いもよらない行動をとった。
ギヨームは、自らが腰に下げた長剣を抜き、フスターフの腹部を刺し貫いたのだ。
そして、その剣を勢いよく引き抜くと、無表情のまま、フスターフの体を床に押しやった。
「ぐぬっ……。ギヨーム、お前、いったい……何を?」
フスターフはおのれの傷口から流れ出た赤い血を手のひらで触れて確認したが、何が起きたのか把握できず、ギヨームの見下ろす目を見つめ返した。
「誰かっ!来てくれ。ギヨームの兄上が乱心した! 」
ルカが急ぎ駆け付け、持っていた布でフスターフの腹部を抑えつつ、大声を出した。
塔の階段がある建屋から、その声を聞きつけて城の衛兵と、管理型迷宮の定期報告のために城に戻って来ていた≪赤の烈風≫マルセルが駆けつけてきた。
マルセルは、光王が訪れた前の日からこの城に滞在しており、状況が状況であることから、ルカの護衛として階下に控えていたのだ。
マルセルはその場に駆け付けた他の誰よりも速く、ギヨームとルカたちの間に割って入り、魔力を帯びた赤い刀身をもつ剣≪レッド・ウェラー≫を抜き放った。
それは居合術の様に、鞘から抜くと同時の剣撃であり、速度も鋭さもおおよそ常人には目で捉える事すら困難なものであったのだが、ギヨームはそれをなんとか受け止め、さらにそれをはじき返した。
「なんだと?」
会心の一撃に、勝利を確信していたマルセルは驚愕し、一瞬の隙ができた。
そしてマルセルほどの冒険者をして、次の行動を躊躇わせたのはギヨームの身に起きたある変化だった。
ギヨームの首のあたりに黒い染みのようなものが這い出してきて、それが徐々に大きくなったかと思うと、まるで蜘蛛の形をした刺青のようなものに変化したのだ。
ギヨームは、マルセルのその一瞬の隙を突き、塔から身を投げた。
それは、重い黒甲冑を身に着けているとは思えない身軽さで、塔の下を覗き込むと、両手の指先の力だけで塔の壁の凹凸に掴まり、上を見上げているギヨームの姿があった。
ギヨームは、まるで蜘蛛のような身のこなしで次々と別の地点に飛び移って行き、そして、そのままどこかへ見えなくなった。
「くそっ、逃げられたか」
「マルセル、あれは本当にギヨーム兄さんだったのか? あんな動き、普通の人間にできる動きではなかった。それにあの蜘蛛の入れ墨のようなもの、まるで生きているようだった」
「私にも何が何だか、さっぱり。長いこと、冒険者をやってますがあんな不気味なものは見たことも聞いたこともありませんね。それに最初の≪レッド・ウェラー≫での不意打ち。受け止められたのもショックだったが、それ以上にあの膂力……。ルカ様から聞いてはいましたが、力自慢の兄だという話は本当でしたね。正直、少し見くびってました」
「いや、あなたの落ち度ではないよ、マルセル。いくら力が強いと言っても、それは身内の中ではという話だ。城の者たちの中にはもっと上の力自慢がいたし、あんな力は兄さんには無かったと思う。それにしても、何という日なんだろうね。そしてこんな時に、私にできることは何もない。力無き自分を恨みたくなるよ。あの光王様も、ショウゾウもそうであったらしいが、人知を超えたような存在に対して、私たち人はあまりにも無力だ」
ルカは、再び兄フスターフのもとに戻り、うかつに動かしては駄目だと、衛兵たちにとるべき行動を指示した。
少しだけ医術の心得を本で齧っていたルカは、兄を運ぶ担架のようなものを用意させ、自らは止血に努めた。
これが今は自分にできるせいぜいのこと。
兄フスターフを批判しながらも、光王の暴虐を止める術を持たず、逃げ去ったもう一人の兄ギヨームを追うこともできない。
ルカは悔しさのあまり、涙を
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