第177話 憎悪と嫌悪

「……すべての城門を閉ざせ。何者も都市の外に出すな。住民たちには屋外に出ぬように厳命せよ。逆らうならば……殺しても構わん」


普段から温和で、声を荒げることもめったにない領主フスターフであったが、この時ばかりは、弟のルカでさえ見たことのない険しく、狂気に満ちた形相をしていた。


そして何より、この配下の者たちに下した命令の内容にルカはおのれの耳を疑い、そしてそれが聞き間違いなどではなかったのだとわかると深く失望した。


いかなる理由があろうとも、領主が、自ら治める民を殺すようなことが許されるはずがない。


ルカは、自分が兄を諫めねばと思いつつも、この光王を前にしていかにすべきか途方に暮れた。

光王からは得体の知れない何か尋常ならざる圧を感じ、気を抜くと心が委縮してしまうような妙な感覚があったのだ。


領主の兵に制され、遠く離れた場所でその様子を見守る民衆には、光王と若き領主との間で交わされたやりとりは聞こえていない。

だが、その物々しい雰囲気にざわつき始め、跪くのをやめて、城門前の様子をうかがおうとする者も出始めた。


フスターフの命令を受けた部隊長たちは戸惑いつつも各自受け持つ場所を決め、兵を連れてそれぞれの持ち場に向かおうとする。




「それでよい。オースレン領主は、若いが、感情に流されずに冷静な判断ができる人物のようだな。兵の統率もよく取れている」


光王ヴィツェル十三世は満足げな顔になり、今度はその視線を監察使ルシアンに向けた。

それは自らの孫に向けられたものとは到底思えないほどに冷たく、厳しいものであった。


「ルシアンよ。このオースレンに目をつけておるとはさすがの小賢しさよな」


「いえ、怪老ショウゾウを討つという大任を任されておきながら、未だなんの手柄も挙げられておらず、我が身の至らなさを痛感しております。加えて、このような場所に陛下自ら足を運ばせてしまうような事態になるとは……」


「おぬしにしてみれば、余に出しゃばられたくはなかったであろうがな」


「いえ、そのようなことは……。怪老ショウゾウに関する情報は完全に途絶え、打つ手なしの状況でしたので、陛下のお出ましで、膠着した状況が打開されれるのであれば、この上なきことかと……」


「相変わらず口先だけは達者だな。そして、何もせずにいたことがかえって余の役に立つとは、悪運の強い奴。お前が率いてきたノルディアス王国の正規軍五百名と神殿騎士団テンプルナイツ百名が損なわれることなく、そっくりそのまま残っておろう。オースレンの封鎖は、フスターフらに任せ、おぬしらは余のショウゾウ狩りに付き従え。良いな」


「それは御意にございますが、ひとつ確認させていただいてもよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


「陛下はなぜ、このオースレンにあの闇の怪老がいると確信を持たれたのでございましょうか? ノルドを脅かすあの怪老の脅威は、陛下と同じ光の血脈に連なる私も重々、承知していますが、これほどの規模の都市の住民を根こそぎ虐殺するとなると、諸外国や他の領主貴族たちに与える影響も大きく、万が一、それが間違いであったとなれば取り返しのつかない結果を招くことになるかと……」


「それは間違いないであろうな。だが、その心配には及ばぬ。そのために、をわざわざ巫女宮ふじょきゅうから連れ出したのだからな」


光王は、自らの背後にある馬車を、振り返ることなく、親指で指した。


「まさか……、巫女姫ふじょき様をあの白亜の塔から連れ出したのですか?」


「そうだ。エレオノーラを、お前の姉を帯同してきておる。幸運なことに、次の巫女姫に相応しい力を持つ女児が余のひ孫の中に現れてな。お前の姉の代わりはもうすでにおるのだ。予言の力は然ることながら、闇の眷属を探り当てる霊感の強さが、エレオノーラにはある。狡猾な怪老がこうして余という囮にすら喰いつかぬのであれば、こちらから出向くほかは無かろう。エレオノーラは、このオースレンに多くの闇が集っていることを感知した。それはこのノルディアスにあってもっとも濃く、深い闇であるとのことだ。余の幕下ばくかに加えたヨランド・ゴディンもまた、このオースレンには何かあると嗅ぎ取っており、もはや疑う余地は無い」


「……姉は、エレオノーラはこの後、どのような処遇となるのでしょうか? 天寿を全うしていない巫女姫が巫女宮を出るなどということはこれまでに例のないこと……」


「やはり血を分けた姉弟。気になるか……」


「はい」


「いいだろう。これはまだ本人にも、誰にも伝えてはいないことだが、エレオノーラはいずれ余の妻とするつもりだ。あれは、お前たちの祖母に似て器量が優れており、その身に強い霊感を宿しておる。さぞ、強き子を産むであろうな」


暗い情念のようなものを滾らせている光王の両のまなこを、愕然とした様子でルシアンは見上げた。

そして、心の奥から強い憎悪と嫌悪がこみあげてくるのを何とか堰き止めようと自らの服の胸のあたりを鷲掴みにした。

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