第176話 王命

王国の西、はるか遠い地にあるB級ダンジョン≪悪神の息吹いぶき≫で、ショウゾウが≪風の魔精≫シルウェストレをその封印から解き放ち、己が眷属に加えた頃、オースレンでは思いもよらない事態が起きていた。


闇の怪老を討つべく、自ら王都を発ったヴィツェル十三世が、王都の周辺の都市を北からぐるりと順に巡幸した後、百騎からなる精兵と限られた供を引きつれたまま、突如、このオースレンを訪れたのだ。


到着を報せる使者もないまま、光王旗を掲げた一団を発見したオースレンの物見の兵からの急報を聞き、現領主のフスターフは肝を潰すことになった。

当然のことながら、出迎えの準備などはできておらず、慣例のないことであったから、どう対応すべきか途方に暮れるほかは無かった。


光王自らが兵を率いての突然の来訪。


それは長いオースレンの歴史にあっても異例中の異例のことであり、その土地に住まうすべての者が困惑し、そして天地をひっくり返したような大騒ぎを引き起こす大事件であったのだ。


そのような状態であったため、この地を任されているグリュミオール家であっても、王都の別天地に住まう光王の姿を一目見ようと群がる民衆を、衛兵隊と従騎士隊も含めた全兵士で統御とうぎょし、領主の館までの最低限の安全を確保するのがやっとで、歓待の準備を整えるような時間と余力はなかった。


オースレンに滞在している監察使ルシアンにも、光王がオースレンを訪れるという報せは届いていなかったようで、まさに寝耳に水といった感じであったそうだ。


都市を囲う城壁の門が開かれ、堂々たる風格と威厳を放ちながら現れたヴィツェル十三世の一団に、現領主をはじめとするすべての者は、ただただひれ伏すほかは無かったのである。


掲げられた光王旗は、まさしく王権の象徴。

その一団が紛れもなく光王の軍勢であることを誇示していたのである。


「光王様の御来訪を、オースレンに住む全住民を代表して、この地の領主フスターフ・ゼーリア・ヴォン・グリュミオールが心より歓迎の意を申し上げます。急な御越しゆえに十分な出迎えもできず、どうかお許しを……」


フスターフが進み出て光王の跨る騎馬の前に跪く。

ルシアンはグリュミオールの臣下の列からは離れた光王に最も近い場所で同様に片膝をついている。


「そのような形式ばった挨拶などよい。そのようなことよりこの地にはいかほどの兵がおるか?」


ヴィツェル十三世は馬上から辺りを見渡し、城門前を警備している多くの兵たちを目で追った。

そして、一目、光王の姿を見ようと集まった民衆を制するために配置された兵士たちの列までにも視線を這わせた。


「兵でございますか?」


「そうだ。このオースレンで備える兵数はいかほどかと、余は尋ねておるのだ」


「はい。迷宮の運営に回している兵を除きますと、都市防備のための兵がおよそ300。それに予備兵が150。あとは衛兵隊が80、従騎士隊が50。総勢、最大で600を下回る規模でございます」


「そうか、この規模の都市にしては少ないが、永らく続いた太平ゆえ仕方のないことなのであろうな。人口はいかほどか?」


「おおよそではございますが、8000人前後かと……」


この質問にはどのような意図があるのか、フスターフはそこから光王のオースレンに対する要望が何であるかを測ろうと必死に思考を巡らせていた。

それは父から譲り受けた先祖代々続く領主としての地位を守るためであるし、そうすることがノルディアスの臣民たる自分の責務であると考えたのだ。


はじめて目の当たりにする光王の尊顔を拝し、緊張と不安で一杯だったフスターフの心は感激と自らの主への忠誠心で打ち震えていた。

齢は七十近いという風聞であったが煌びやかな軍装に身を包んだ光王からは、誰もがひれ伏さずにはいられないような不思議な雰囲気と迫力が漂っていて、まさに王たる者の威厳に満ち溢れていたのだ。


光王は、フスターフの報告を聞くと、腕組みし、あごの下の髭を触りながら、微かに難しい顔をした。


「……オースレン領主フスターフに命ず。今すぐ、この街のすべての城門を閉ざし、一人たりとも生かして外に出すな。すべての兵を動員し、厳しく見張れ。これは王命である」


「城門を閉ざす? このオースレンを封鎖せよと仰せなのですか?」


王に尋ね返すは無礼だと頭で理解しつつも、つい反射的に言葉が出てしまった。


ぎろりと光王の眼が動き、思わず顔を上げたフスターフを見下ろしている。


「そうだ。これから、このオースレンという街は余の国の地図上から消え失せる。この地に住むすべての人間の命とともにな。このオースレンには、怪老ショウゾウが潜んでおり、我ら光王家の支配を覆そうという闇の勢力が集いつつあるのだ。悪の根はすべて断ち切らねばならん。闇に加担する者は、何者であってもその存在を許すわけにはいかんのだ。我が臣、フスターフよ。このオースレンの全住民、八千余の血と命をその忠義の証として我に捧げよ。その代償として、グリュミオールには代替地としてより豊かで広い土地をやろう。さあ、この都市の封鎖を始めろ。良いな」


光王の思いがけない命令に、フスターフは己の耳を疑い、思わず固まってしまった。

反論しようにも頭の中が真っ白になり、言葉がうまく出てこない。

さらに全身から冷や汗が流れ、上手く息が吸えなくなっていた。


助けを求めるように監察使ルシアンの方を見たが、彼もまた表情を強張らせており、青ざめて身動き一つしていなかった。

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