第169話 男の真価

若きメルクスの姿が瞬く間に、老いて醜いショウゾウの姿になっていくのを、フェイルードたちは驚愕を持って目の当たりにすることになった。

先ほどまで鳴りを潜めていたショウゾウの規格外の≪闇の魔力マナ≫が全身から溢れ出し、≪失われし魔法の探究者≫ルグ・ローグの顔が一気に青ざめた。


レイザーとエリックの素性に気付きながらも、目の前にいる人間が瞬時に老化するなどという展開は、名うての冒険者である彼らをもってしても予見できなかったようである。

ショウゾウから放たれる強烈な圧と風貌の変化の異様さにまばたきひとつできずに固まったままでいた。

メルクスを怪老ショウゾウの一味の誰かであるらしいとは予想できても、まさかその本人であるとは誰も思っていなかったようだ。


「なんて、ことだ。お前が……。まさか……」


フェイルードの顔が強張り、ようやく他のメンバーたちも立ち上がって、即座に動けるような態勢を取る。



この時、ショウゾウが考えていたことは二つだけ。


レイザーとメルクスを殺すのに、フェイルードたちがどのくらいの時間を要するのかということと、まず先に誰を殺すべきかということだ。


寄せ集めの烏合の衆であれば形勢不利を悟れば、著しく戦意が損なわれるであろうし、集団戦の主導権を握りやすくなる。


やはり、お前かな。フェイルード。

一目置かれているであろうお前を殺すのが一番、効果的なのではないか。


さあ、どうでる。

儂は、殺し合う準備ができているぞ。


腰の剣で来るなら、こちらも負傷覚悟で組み付き、スキル≪オールドマン≫で、生気を奪ってやろう。離れて弓なら、魔法だ。



意外なことにこの場で最も早く動き出したのはエリックだった。

傍らに置いていた剣を手に、自らレイザーを庇うような動きを見せたのだ。


「待て、みんな! 手を出すんじゃない」


この場においてまだ座ったままなのは、ショウゾウとフェイルードの二人だけだ。


ふたりは先ほどまで杯を交わし合っており、まだそのままの位置を保っている。

手を伸ばせば、スキル≪オールドマン≫で命を、若さを、奪える距離だがさすがに隙のようなものは感じられなかった。

動揺もとうに抑え込んだようで、ショウゾウを目の前にして怖じた様子は微塵も見せていない。

そのフェイルードが仲間たちに向けて鋭く言った。


「メルクス……。いや、ショウゾウと言った方が正しいか。よもや目の前にいるお前が世を騒がす怪老であったとはな。さすがに、驚いたぞ」


「こちらこそ。この場において、取り乱さずにいるその冷静さと豪胆さに驚いておるよ。後の先を取るつもりであったが、その若さで善く自制できたものだ」


「最初にも言ったが、別に俺は事を構えたいわけじゃない。俺たちはあくまでも冒険者であって、賞金稼ぎじゃない。光王に媚びへつらう気もなければ、金にも困ってないしな。こんなところで無駄な命の奪い合いをする気は無い」


「なるほど、儂らとやり合うのは割に合わんということか。だが、こちらとしては正体を知られた以上、このままおぬしらを見逃すわけにはいかなくなった。トラブルを避けたければ、お前は儂らに近づくべきではなかったのだ。『好奇心は猫を殺す』ということわざをおぬしは当然知らぬであろうがな」


「ああ、後悔しているよ。お前の正体が怪老ショウゾウだったと知っていたならば近づくことは無かった。俺たちの目的はあくまでも迷宮の調査を兼ねた、新パーティの軽い肩慣らしのつもりだった。この≪悪神の息吹いぶき≫は、独特の地理や局地的気候の異常などの様々な条件から冒険者があまり訪れない迷宮なんだ。迷宮消滅の理由を探る意味でも貴重なサンプルだし、そこにまさか世を騒がしている話題の中心人物がやって来るとはまさか誰も思うまいよ」


「怪老ショウゾウなどと……。そんなものは光王家の連中が作り出したただの虚像じゃ。儂は唯の人間、ただの一介の冒険者であった。そこにいるレイザーもエリックも同じだ。別に光王家に叛意を示したことなど一度もなかった。ある日突然、何の前触れもなく、一方的に「災いをもたらす者」だと命を狙われるようになったのだ。儂のこの身に宿る≪闇の魔力マナ≫が、連中にはどうにも目障りらしい」


「その闇の魔力マナ……。それは生来のものなのか?」


突然、≪失われし魔法の探究者≫ルグ・ローグが遠巻きに話に加わってきた。

薄汚れた鼠色のローブを身に纏い、魔法使いが好んで被る丸い鍔のついた尖り帽をかぶったこの老魔法使いは、深い知性をうかがわせる深緑の瞳で、なにか真贋を見定めるかのようにショウゾウを見つめている。


「さあ、どうなのだろうな。≪魔儀マギの書≫の表紙は黒。もともとの魔法の適性が≪闇≫であることは、儂に魔法の初歩を説明した男が言っていたが、その男ももう生きてはいない」


「そうか……、しかし、貴殿をこの目で直に見て、なぜ光王家が躍起になっているのか、その理由がはっきりした。貴殿は、古より続く光王家の支配の歴史において、あってはならぬ存在であると同時に、虐げられ、滅びつつあった原初の闇に属し、連なる者たちすべてのよすがとなり得る存在であったのだ。その膨大にして深淵たる闇の魔力マナは、闇の主たるものの証。……そう、我もまた闇に加担し、敗れ、追われた氏族のすえ。皆の者、悪いな。我はお前たちとは共に戦えぬ。闇の主に向ける魔法は持ち合わせておらぬのだ」


ルグ・ローグは杖を構えたまま後退り、自らの仲間たちとも距離を置いた。


「ルグ・ローグ、正気か!お前、俺たちを裏切るのか」


≪自在剣≫ヴォルンドールがルグ・ローグに剣先を向けて、吠えた。


「落ち着け。ヴォルンドール、仲間に剣を向けるな。フェイルードは待てと言った」


≪巨岩≫スティーグスがルグ・ローグを庇うように立ちふさがり、両者は睨み合う形になった。

≪癒せぬ者無き≫フェニヤは静かに状況を見守っており、もしかすると相手の一団の中で一番冷静なのはこの女かもしれなかった。


意外な展開になった。

あの老いた魔法使いが敵に加わらないとすると一気に戦いやすくなる。


しかも見たところ、寄せ集めというのは本当の話のようで、集団としての意思の疎通と連帯は十分になされていないようだ。


「さあて、どうしたものか。いっそのこと、問答無用に斬りかかってきてくれれば、儂もやりやすくなったのだが、少し気が削がれてしまった感があるな。フェイルード、おぬし、いつまでそうしているつもりだ。このまま黙って儂に殺されるつもりか?」


ショウゾウは、傍らで座り込んだままのフェイルードの目を見て、その真意を探ろうとした。

だが、その暗赤色の瞳は穏やかで敵意のかけらも見出すことができなかった。


「俺の剣は人殺しのためのものじゃない。冒険者稼業を長くやってると当然、そんなきれいごとを言ってはいられない状況に陥ることもあるし、この手も当然人の血で汚れてしまってはいる。あんたがどうしても俺たちを殺そうっていうなら、それこそ火の粉は振り払わなきゃならんし、死力を尽くして戦う」


よほど腕に自信があるのか、それともはったりか。

杯を手放さず、座り込んだまま、この期に及んでも剣の柄に手をかけさえしない。

視線はまっすぐだが、精悍で引き締まったその顔の表情からは、人生経験豊富なショウゾウをしてさえ、その心の内を覗くことはできなかった。


「たしか≪不死≫という異名も持っておるんだったな。そのお前が尽くす死力。できれば、見たくはないな」


ショウゾウは珍しく迷っていた。

この目の前の悠然とした態度を続けているフェイルードという男の真価を測りかねていたのだ。


殺すには惜しい。


酒を酌み交わしたことも影響しているかもしれないが、この問答の最中さなか、そういう思いが芽生えつつあるのを認めざるを得なくなってきていた。

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