第170話 傷ついた獣の心

ショウゾウは、一度大きく息を吸い、そして吐きながら、肩の力を抜いてみせた。

そして、努めて何も宿さぬ目でフェイルードの顔を改めて見つめてみる。


若く、精悍で、力が漲っているのを感じさせる整った顔立ちに、暗く、赤い、燃えるような色合いの髪と瞳。


それは、怖じる気持ちも、戦いに逸る気持ちも浮かんでいない。

さざ波一つ立たぬ心を映し出したような綺麗な顔だった。


その顔を見たショウゾウは内心で密かにおのれの未熟を恥じた。


人に追われ、傷ついた獣のような心。


いつしか自分は、そのような心に成り果て、必要以上に他人を恐れるようになっていたのではなかったのではなかろうか。


無論、置かれている身の上を考えれば、警戒を強めざるを得ないのは仕方のないこと。

しかし、過剰な警戒は、自ら不必要に、新たな敵を生み出すことにつながる。

そうして、自分の棲む世界を狭め、孤独と破滅に突き進んでいった者たちをショウゾウは、これまでの人生で目の当たりにしてきた。


「……まったく、これは如何なる者の、如何なる悪戯なのであろうな。フェイルードよ、おぬしはこの我らの出会いをどう思う?」


「どう思うと聞かれても困るな。この出会いは、人と人のそれとは違う。山野や迷宮で未知の怪物と遭遇した時、あの時の状況に等しい。背を見せて逃げ出せば追われ、死んだふりもかなわぬだろうとみて、こうして冷や汗を我慢して、あんたと対峙している。それだけだ」


「怪物か……。まさしく、その通りであったな。だが、怪物も狩人が恐ろしい。儂の目はその恐怖で曇り、危うく間違いを犯すところであった。フェイルード、そしてその仲間たちよ。幼稚な威嚇はもうやめることにする。改めて、少し儂の話を聞いてくれぬか」


ショウゾウは、威嚇のために全開にしていた≪闇の魔力マナ≫をもう一度その身の内に戻し、頭を下げた。


その意を酌んでくれたのか、フェイルードは仲間たちにいったん落ち着くようにと声をかけた。

一番激していた≪自在剣≫ヴォルンドールもフェイルードには逆らう気がないのか剣を腰の鞘に戻した。


ショウゾウは、そのフェイルードの気遣いに礼を述べ、そして光王家ひいてはその部下たちに追われることになった経緯を説明した。


この異世界に来た経緯や魔導の書のことなど、やはり話せぬことは多くあるので、それに触れることはできなかったが、冒険者になって以降の、特に王都で起こった神殿騎士たちの執拗な追跡についてなどについて語った。


その上で、今後も光王たちに大人しく捕まる気は無いということ、そして自分たちの人生を取り戻すための戦いをしているところであることを説明した。


「……なるほどな。その不幸な成り行きには同情はするが、どうして急にそのことを俺たちに明かそうと思ったんだ?」


「誤解を解いておきたくてな。怪物などではなく、話が通じる同じ人間であることを分かってほしかった。儂らは、この迷宮の攻略をすることが第一の目的でここに来ておる。おぬしらも同じであるのだろうが、どうかここは儂らにこの迷宮を譲ってはくれまいか?」


「譲るも何も、別にこの迷宮は誰のものでもないし、俺たちはある調査をしながらゆっくり攻略するつもりでいるから、先に攻略するがいい。邪魔はしない」


「……それが、そうはいかんのだ。この迷宮は、まもなく消滅し、おびただしい数の魔物が地上に溢れ出すことになるだろう。そうなれば、如何におぬしたちほどの手練れであってもただでは済むまい」


ショウゾウの突然の言葉に、その場が、騒然となった。


「ちょっと、待て。今、何と言った。この迷宮が消滅すると言ったのか」


「そうだ。≪悪神の息吹いぶき≫は、もうじき消えてなくなる。だから、あえて譲れという言葉を使ったのだ。お前たちには、今すぐ、この迷宮から退避することを勧める」


重苦しい空気がその場を支配し、歴戦であるらしいフェイルードたちも各々考え込むようなそぶりを見せている。

にわかには信じられぬのは仕方のないことだと思った。

内容は元より、なによりそれを語っているのは世を騒がしている手配中の人間なのだ。


「なぜ、お前はこの迷宮が消滅することをしっているのだ? それに魔物の大量発生が起きた場合にお前たちはどうするつもりなのだ?」


最初に疑問を口にしたのは、≪自在剣≫ヴォルンドールだ。

先ほどのやり取りを見ていても思ったのだが、どうやら考えたことを口に出さずにはいられない、率直な人物であるらしい。

年齢は、フェイルードよりも少し上、四十に差し掛かろうというあたりか。

背と腰、そして左太腿にそれぞれ丈の異なる三振りの得物を携えていて、どうやらそれが異名の由来であろう。


「それは、仲間でもないお前たちに明かすことはできぬな。今後、建設的な友好関係を築けるのであればその一端を教えてやらないでもないが、今は大人しく忠告を受け取っておくことをお勧めする」


「オーケー、オーケー。それでいい。それでいこう」


フェイルードが何かを察したのか、ショウゾウとヴォルンドールの間に割って入ってきた。


「メルクス、いやショウゾウでいいのかな」


「ああ、そっちが本名だからな。この姿の時は特にそう呼んでくれ」


「よし、ではショウゾウ。俺たちはこれから、この迷宮を出ていき、安全な場所からお前の話が本当かどうかを確かめさせてもらうよ。もし本当だったら、こちらから、ぜひ、協力関係を結んでほしいと申し出るつもりだ」


「フェイルード、それ本気なの?」


≪癒せぬ者無き≫フェニヤが その優美な眉根をひそめて言った。


「ああ、フェニヤ、本気だとも。ショウゾウ、実は俺の方もいくつか困った事情を抱えていてな。手詰まりな状況に陥っているんだ。協力者は一人でも多い方がいいと考えている。それにどうやら迷宮消失の謎についても何か知っているようであるし、それが明らかになれば、こんな辺鄙な地方の迷宮で回り道する必要もなくなる。どうだ、そういうことで手を打つというのは?」


「儂の方はそれでかまわん。もう、とうにお前たちとやり合う気など無くなっておったわ。迷宮の消失についても一部、情報を開示しても良い。ただ、一つ条件がある。この場所で儂らと遭遇したことは他言無用で願いたい。もし、これが守られなかった場合には、何処に潜んでいようともその命は無いものと思ってくれ」


「ああ、わかった。その目を見れば、それがただの脅しではないということがわかるよ。肝に銘じておくこととしよう。みんな聞いたな。俺たちは、この場を引き上げるぞ」


フェイルードの言葉に仲間たちが、広げていた荷物の回収にかかる。

フェイルードもショウゾウたちから背を向け、その場を離れようとしたその瞬間、ただ一人、その指示に背く者がいた。


淀みのない殺意。


ヴォルンドールは背の長物を抜き、躊躇いのない突進で一気にショウゾウをその間合いに捉えると、踏み込み一閃、横薙ぎの一撃を放ってきた。




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