第168話 運命の悪戯

フェイルードと名乗るこの男と、その仲間四人を簡単に始末できる相手ではないと判断したメルクスは、なんとか事を荒立てずにやり過ごす方向で懐柔の手立てを探っていた。


≪悪神の息吹いぶき≫の奥深くで待ち構える迷宮の守護者の単独撃破が待ち構えていることもあり、ここで無駄な争いをするのは得策ではないと思ったのだ。

レイザーやエリックを巻き込んでしまうため、スキル≪オールドマン≫の≪広範囲吸精ジェノサイド≫は使うことができないし、派手な高位魔法は使用が限られる。


障害になるようであれば、如何なる犠牲を払おうとも始末するしかないが、無駄な争いを避けることができるのならばそれに越したことは無い。


「俺はメルクス。この頬傷の男はイザークで、この若い奴はエランだ。王都から離れた迷宮ばかり潜っていたせいで、ギルドや王都周辺の最新の事情には疎い。もしよければその辺の話を聞かせてもらえないだろうか? もちろん、ただでとは言わない。こいつを開けて、ささやかではあるが酒盛りなどしないか。ここで出会ったのも何かの縁だろう」


メルクスは、伏魔殿から持ってきていた年代物の葡萄酒を≪魔法の鞄マジックバッグ≫から取り出すと、フェイルードに手渡した。


「ほう、こいつは良い色の葡萄酒だな。刻印をみるとオースレンの年代物だな。こいつはツイてる。俺は、葡萄酒に目がないんだ」


「乳酪や干物の類でよければ持ってきているので、それをあてに。もしよければ、お仲間も一緒にどうだろう」


「ああ、そうだな。これを見たらだれも文句は言うまい。呼んでこよう」


フェイルードは酒瓶片手に仲間のもとに戻っていった。




メルクスたちとフェイルードの一団は、干し肉などを炙るために火をおこし、それを囲むようにして腰を下ろすと、各々自己紹介した。

エリックとレイザーは、メルクスが割り当てた偽名を名乗り、簡単な自己紹介をした。


このフェイルードという男。

これは自己紹介やそれに関わる会話の中でわかったことだが、冒険者の間ではとても有名な人物であるらしい。

エリックもレイザーもその名を知っていて、代名詞である「深淵の到達者」のほかにも「不死」や「竜殺し」など数々の異名を持ち、国内でも三人しかいないS級冒険者のうちの一人であるとのことだった。


寄せ集めだと言っていた彼の仲間も、皆、A級の冒険者パーティに所属していた者ばかりで輝かしい実績を持ち、尚且つ、その経歴に恥じぬ実力者ぞろいだった。


≪巨岩≫スティーグス、≪失われし魔法の探究者≫ルグ・ローグ、≪癒せぬ者無き≫フェニヤ、≪自在剣≫ヴォルンドール。


メルクスはさっぱりだったが、冒険者を長くやっていれば必ず何度かは耳にする名だと、レイザーが教えてくれた。


まだ百九十近く残っている迷宮の中で、B級ダンジョンはその数、わずか十。

しかも初めて攻略に挑戦するB級で、このような者たちと遭遇してしまうとはなんという運命の悪戯か。


「さっきも言ったが、迷宮を主戦場にする冒険者の時代はもう終わりを告げようとしている。迷宮消滅や魔物の大量発生という直接のリスクと環境の変化。これは避けられない流れなんだ。何せ、今や地上にはおびただしい数の魔物が解き放たれている。わざわざ迷宮に潜らなくても魔物由来の素材は手に入るわけだし、解体の手間はあるが、魔石だってしっかり死体から入手できる。最近では、魔物の死体処理を商いにする者たちも多く現れて、世の中は少しずつ変わりつつあるというわけだ。冒険者ギルドは、人々の暮らしを脅かす魔物退治に力点を置き始めていて、古来の≪魔物討伐隊≫の時代に逆戻りっていうわけだ」


なるほど、産業構造の転換が為されたということなのか。

まあ、地下に潜るリスクと滞在などにかかるコストと時間を考えれば当然の話か。


「その状況の変化を受けても、まだこうして迷宮に潜っている理由をこっちは聞いてなかったな。俺たちを時代遅れの≪踏破者とうはしゃ≫であると笑ったが、納得いく動機がお前たちにはあるのだろうな?」


メルクスの問いにフェイルードは仲間の顔を見やり、そしてその了承を得られたと判断したのか、重い口を開いた。


「俺たちが迷宮に潜る動機は、てんでバラバラだ。ここにいる面々は昔からの仲間というわけではないし、付き合いもまだ浅い。だが、集団としての目的ははっきりしていて、それは二つある。一つは、迷宮消失の原因究明も含めてのことだが、この迷宮という存在についてのすべての謎を明らかにすること。二つ目はメルクスたちと同じ。王都にあるただ一つのS級ダンジョン≪悪神の深奥しんおう≫の攻略だ」


「人のことを笑っておきながら、結局、目的は同じようなものではないか。≪踏破者とうはしゃ≫と一体、何が違う?」


「すまない。馬鹿にした覚えは全くないんだ。むしろ、そんな骨のある連中が俺たちの他にもまだいたんだなって嬉しかったんだよ。特にS級ダンジョンなんて言葉が出てきたもんだから、つい、こうして胸襟を開いてしまった。お前たちからは危険な匂いがするって警戒してたのにな……」


フェイルードが腰の長剣の柄を撫でながらそう言うと、全身から、異様なほどの圧が放たれて、エリックとレイザーが思わず身動きを止めた。

二人の顔は青ざめ、まるで大蛇に睨まれたカエルの様になっている。


その一方でフェイルードの仲間たちは態度と仕草こそ変えていないが、心の中でいつでも動ける気構えができているように見えた。

フェイルード同様に、冷静かつ豪胆で、余裕と自信に裏打ちされた物腰と態度だった。


「……それでは、どうする。一戦交えるか?」


メルクスは、何事もなかったかのように葡萄酒が注がれた杯を傾けた。


「いや、やめておこう。お前たちと、いやお前と命を奪い合っても、こちらに利は無いと俺の本能が告げている。メルクス……。見た目はずいぶんと若いが、とんだ化け物のようだな、お前は……」


「それはお互い様だ。俺の方も無傷で全員を殺せる自信は無い」


メルクスは葡萄酒の残った酒瓶を手に取り、それをフェイルードの持つ杯に注いだ。


「うちの連中を脅かすのはその辺にしてくれ。見ろ、場が白けてしまっただろう」


「そうか、なかなかに良い余興だったと思うが……」


フェイルードは剣の柄から手を放し、杯を口に運んだ。

フェイルードの体から放たれていた威圧感が消え、その場の緊張した空気が緩んだ。


「メルクス、本当のことを聞かせてくれないか。お前たちはいったい何者なんだ。なぜ、この≪悪神の息吹いぶき≫を訪れた?」


さて、どうしたものか。

何を、どこまで明かせば信が得られるのか。


これまでのやり取りで風向きは悪くないように思えるが、敵に回さぬためにはどうすればよいか。


「……そうだな。どう答えれば疑いは晴れる? むしろ、何と答えてほしいのだ?」


「そこの頬に傷がある男。俺はその男を知っている」


レイザーが思わず口に手を当て、わずかに狼狽えた様子を見せた。

剽軽な態度をとることも多いが、ここ一番では冷静沈着で、この男にしては珍しい挙動だった。


「名はたしか、レイザー。所属していたパーティは忘れたが、かつてオレが率いていた旅団クランに引き入れようという話が出たことがある。ランクこそ低いが、斥候としての技量は高いと同業者の間ではその名が挙がっていたんだ。その後、光王家に反逆した怪老ショウゾウの一味として手配がかけられたときには驚いたよ。人相風体からして、そっちの君はエリックかな」


「そうか、そこまで気が付いていたのに誘いに乗ってきたのか。いいだろう。それほど知りたければ、すべてを教えてやろう……」


メルクスは、首にかけていた鎖飾りを無造作に引きちぎると、≪老魔の指輪≫を手に取り、それを右手の人差し指に嵌めた。






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