第161話 エリエンの苦悩

あの激しい雨の夜の救出劇の後、ショウゾウは自らエリエンと数日ほど距離を置いていた。


光王ヴィツェル十三世に出征の動きがあり、その他にも魔人たちの処遇や組織化など、やるべきことが山積していたこともあったが、それ以上に、エリエンに今後のことを考える時間を与えたかったのだ。


エリエンはレイザーたちと同様に一室を与えられ、伏魔殿内の行動の自由を認められていたが、あえてあまり出歩くことをせず、隣室のレイザーたちと別れてからこれまでのことなどを互いに語り合って過ごしたようである。


そして、レイザーからエリエンの様子がだいぶ落ち着いたようだと聞き、ショウゾウはようやくエリエンと向き合う覚悟を決めた。



「色々と忙しくてな。顔も見せずにすまんかった」


ショウゾウは、≪老魔の指輪≫をつけた老人の姿のまま、エリエンの部屋を訪れ、レイザーとエリックにもその場に立ち会ってもらうことにした。


虚界ヴォダス内での説得がうまくいかなかったこともあり、二人きりでの会話を避けた形だ。

他の人間の目があると、人は己を律しようという心が普段以上に働くもの。

その効果を狙った形だったが、上手くいくかどうか。


「いいえ、ショウゾウさんにはまだちゃんと助けてもらったお礼を言えてなかったですし、その……感情的になって見苦しいところを見せてしまって、申し訳ありませんでした。私、どうしてもショウゾウさんたちと一緒にいたくて……国外に一人だけ逃れるなんて嫌なんです」


「頑固な娘だ。何も一生そうして暮らせと言うておるわけではない。ノルディアスの政情が安定し、身の危険が及ばぬ状態になったら、戻って来れるのだ。必ず迎えに行く。約束しよう」


「レイザーさんから聞きました。ショウゾウさんがこれからしようとしていること、そしてこれまでしてきたこと。その姿だって、偽りの仮の姿だって……」


「そうか……」


ショウゾウはレイザーに敢えて口止めはしなかった。

むしろ、エリエンが聞きたがっていることを、知りたいだけ教えてやれと伝えていた。

幻滅し、自ら離れていく決意をすることを期待していたのである。


ショウゾウはその指から≪老魔の指輪≫を抜き去り、若い二十五歳当時の姿に戻った。


事前に聞いていたようではあっても、さすがにその変化を目の当たりにしたエリエンは、信じられないものを見るように驚きの表情を浮かべた。


「……これが、今の儂の本当の姿だ。だが、先ほどまでの老人の姿も決して偽りの姿ではない。まあ、話せぬ事情も色々とあるが、儂はあの状態からこの姿に若返ったのだ」


レイザーには、相手を老いさせる能力の一端を開示しているが、それが自らの若返りに寄与するものだとは伝えていない。

勘の良いレイザーのことだからそのことには気が付いている可能性が当然あったが、どうやらエリエンには精気を吸い取る能力については伝えていないようだった。


エリックも同様に、「老人の姿は仮のものである」としか聞かされていなかったようで、そこにはレイザーなりの考えと自分への配慮があったのだろう。


だが、普通の思考ができる人間であれば、オースレンでの≪老死病≫騒ぎとショウゾウの若返りを関連付けることは当然可能で、二人とも薄々は気が付いているという可能性は十分にあった。


「エリエン、それにレイザーたちもよく聞いてくれ。これは最近になってようやくわかってきたことであるのだが、どうやらこの世界において儂は、その存在を許されざるよこしまなる災いの元凶とみなされているらしい。これには、オルディン神やら、滅びし悪神やらが関わっているようなのだが、儂自身も一方的に巻き込まれた形でこの因果については、よくわかっていない。あの王都での突然の離散から、よくもまあこうして再会できたものだとうれしく思っているところなのだが、これから先のことはもはやどうなるか、それこそ神のみぞ知るだ。お前たちの未来について何の保障もしてはやれぬし、命の危険も及ぶやもしれぬ。儂はノルディアスの王家から一方的に敵視され、今や怪老ショウゾウとして手配中の身であるし、その自分と行動することがどれだけ危険なことであるか想像に難くは無かろう。無論、儂とて、ただむざむざと殺されたくはないし、今は必死でこの状況をどうにか覆そうと画策しておるところだが、これまで通り、付いて来てくれるかは各自にもう一度よく考えてほしいのだ。他の二人にはもうおおよそ理解できていようが、特にエリエン、儂はおぬしが考えているような人間では、およそない。儂は自分が生き残るため、この世界の秩序を大きく乱し、そしてこれからも多くの者の命を奪うことになるであろう事も厭わぬ人間だ。儂とともに歩むということはその悪業に加担するということ。悪鬼羅刹の道に足を踏み入れることになるのだ」


「まあ、俺はもう地獄までショウゾウさんに付き合うって決めているからな。もともとがケチな小悪党。惜しむような人生じゃない。だが、エリック、そしてエリエン。お前たちはまだ若い。このノルディアスを離れたって十分にやり直しがきくし、よく考えた方がいいぜ。このショウゾウさんの歩む道は、どう考えたって表街道ではありやしないんだからな」


レイザーが、壁際の椅子に腰を掛け、ショウゾウから貰った魔王具≪病毒びょうどくの刃≫の手入れを行いながら、飄々と言った。


病毒びょうどくの刃≫は、ガントのD級ダンジョン≪悪神の痛み≫のボスモンスターが落とした初ドロップ品で、ダガータイプの短剣であったために、ショウゾウがレイザーに譲ってくれたものだ。


病毒びょうどくの刃≫は、軽く、強靭かつ鋭利な刃を有しているほか、所有者の殺意に呼応して、傷つけた相手を病に至らしめる病毒を放出するという効果がある。

刃から浸出する病毒は、その殺意の強弱によってその有害性が増すが、使用者並びに魔王具の真の所有者であり、貸与者であるショウゾウには効果を発揮しない。


非力なレイザーにとっては心強い相棒になると、ショウゾウは確信しており、これを惜しむ気持ちは全くなかった。


「僕ももう覚悟は決めてます。神殿騎士たちに捕まって酷い拷問を受け続けていたあの時に自分は死んだのだと考えたら、もう何も怖くはなくなった気がします。それにショウゾウさんと一緒にいると自分がでくの坊の役立たずじゃないって思える。最近は、少し自分にもやれることがあるぞって自信がついて来たところなんですよ」


エリックは嬉しそうに言い、その短く刈り込んだ頭に手をやりながら、はにかんだ。

レイザーの欠損した指もそうだが、エリックの前歯も、以前施した闇魔法による治癒でもうだいぶ前から、すっかり元通りになっている。


「エリエン、おぬしはどうだ? 儂の本性を知り、恐ろしくなったのではないか? この伏魔殿のおどろおどろしい様子を見ればわかる通り、儂は今や魔物や魔人らの親玉のような存在になっておる。儂のもとを離れたくなったのではないか?」


ただ一人うつむいて口をつぐんでいるエリエンにショウゾウは尋ねた。


「……不思議と恐ろしくは無いんです。ショウゾウさんは元より、この伏魔殿と呼ばれる場所も、魔人と呼ばれる方々も、そして魔物たちも。なぜでしょうか、なんだか懐かしいような気さえするんです。ヨゼフの埋葬のためにショウゾウさんと行ったヨールガンドゥとここはどこか同じ匂いがする」


「……そうか」


「でも、時間が経つほどにわからなくなってしまいました。私これから一体どうしたらいいんだろうって。ショウゾウさんがこれまでしてきたことを聞いて、私はレイザーさんやエリックさんの様に割り切ることができないでいます。ショウゾウさんたちとは一緒にいたい。でも、きっとこんな気持ちのままでは、きっと足手まといになってしまう。みんなを危険にさらしてしまう。ショウゾウさん、もう少し時間をくれませんか? 私に考える時間をくれないでしょうか?」


涙をため、鼻の頭を赤くするほどに思いつめたエリエンの顔を見ると、どうにも調子が狂ってしまう。

儂はこんなにも甘い人間だったかと困惑するばかりだ。

ここで決めよというその一言がなかなか出てこない。


結局、ショウゾウはエリエンにしばしの猶予を与えることを決め、部屋を出た。



ショウゾウはこの後、魔人たちにある提案をし、自らはレイザーとエリックを連れて初となるB級ダンジョンの制覇に挑むことを決めた。


だが、その出発の日がやってきてもエリエンの気持ちが定まることは無く、伏魔殿に置いて行くこととなった。


付いて行くことも、離れることも決めることができず、足踏み状態のエリエンの苦悩はもうしばらく続きそうであった。

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