第159話 神力の器と血の継承

宰相デュモルティエと大将軍デルロスの発案による、怪老ショウゾウの追討作戦の状況を、ヨランド・ゴディンは軍棋ぐんぎという駒を使った遊戯に例えて光王に説明を図った。


「光王様、軍棋ぐんぎは、相手の王駒を取った者の勝ち。配置されている王駒以外の様々な動きをする駒を減らし、王駒を孤立させての状況をつくるのがこの遊戯の一般的な進め方ではございますが、このノルディアス王国全体をこの遊戯の盤面に見立て、対戦相手の王駒を怪老ショウゾウとお考え下さい。すると妙な状況にあるとは思われませぬか」


「回りくどい話は好かぬ。結論を申せ」


「では、申し上げましょう。盤面中に所狭しと配置された光王様の手駒。だが、対戦相手の怪老ショウゾウの王駒はどこにありましょう。盤上にやみくもに置かれた駒は全部、光王様の手駒。取るべき相手の駒は、盤上に置かれていない。盤上に置かれていない駒は、取ることができず、この遊戯は初めから成立していない」


「つまり、貴様はデュモルティエたちのとった方策は、無駄だと言いたいのだな」


「いえ、そうではありません。一定の効果はあるでしょう。その費用と各地の領主たちに与える負担などに見合うだけの効果があるとは思えませんが、少なくともショウゾウの活動に影響を与えることはできる。各地に戦力が散っていったおかげで王都の周りが手薄になった印象を与えることができましょうし、このような対応しかできぬ光王家の皆様は愚物ばかりとショウゾウを油断させることができる」


全身の震えを何とか抑えながらヨランド・ゴディンは、なんとか声を絞り出した。

ここにきてようやく、異様なまでの威圧感や震えや冷や汗などの謎の症状が、光王の持つ何らかの力によるものではないかと思い至り、胆力を振り絞ることでそれに抗おうとした。


「貴様はもう死を覚悟しておるのだな。良いぞ。それで良い。取り繕った虚言を聞きたくてそなたをここに呼んだわけではない。余はもう、廷臣どもの愚かさには絶望しているのだ。皮肉な話だが純血を保つことばかりに囚われたこの歪な光王家の在り方が、オルドを弱く、愚鈍にした。若かりし頃の外征でそのことに気が付かされたが、それをそのまま捨て置いた余の不明が今日の状況を一層混迷させてしまっている。……話がそれたな。続きを申せ」


「なぜ軍棋ぐんぎに例えたのかと申しますと、それは別の視点を持っていただきたかったからです。光王様と怪老ショウゾウはあくまでも遊戯者。私を含め、他の者たちは皆、盤上の駒にすぎません。遊戯者は、そのルールを無視すれば相手の駒を盤上から排除することもできるでしょうし、盤面そのものを乱し、遊戯そのものをなかったことにできる。逆に駒は遊戯者に対して何もできません。少なくとも私の見立てでは、怪老ショウゾウはその手の暴挙を行っているように見える。盤上に自らの駒を置かず、遊戯者の意のままの相手の駒を自由に排除したり、動かしたりしている」


「なるほどな。怪老ショウゾウは、余と対等とみるべき相手であると言いたいのだな」


「少なくとも盤上の駒に討ち取れるような存在ではありませぬ。自ら対峙したその感想を申せば、あれは各地に配置された王族の方々や凡百の魔法使い、苦し紛れに雇った冒険者崩れの者たちなどが相手になるような存在ではないのです」


「それほどの怪物か?」


「はい。≪秘文字ルーン≫を用い、こちらが完全に有利となる場を整え、十分な準備の上で、相対しましたが、最上級の光魔法≪天威招雷ジャスア・ラ・ガーン≫を用いてなお、仕留めきれませんでした。あの者は出会う都度、その力を増していったように思えますが、次に出遭ったときにはどのような脅威に育っているか想像だにできませぬ」


ヨランド・ゴディンの話を聞き終わったヴィツェル十三世は、何か考え込んだような顔になり、しばし沈黙した。


「……ヨランド・ゴディン。そなたは光王家を、いやオルドの血を恨んではおらぬのか?」


「突然、何を仰せでしょうか。これまでの私と大魔法院の献身は陛下には伝わっていたものと……」


「そうではない。お前の出自の話をしているのだ。聞けば、そなたの母は、れっきとした王族。それも、外王家などではなく、先王の直系。すなわち余とは非常に近い血縁であったと聞く。不義から下賤の者の種を受け、追放の後、そなたを産んだらしいが、母子ともにさぞ惨めな思いをしたことであろうと思ってな」


「そのようなことはございません。今は亡き母も、私も、外の世界は外の世界なりの幸せがございました」


「外の世界の幸せか。それは余にもわかる。自ら長く外征に出て、歴代のどの王よりもそれが分かっているつもりだ。別天地だけがおのれの世界と思っている多くの王族たちの方こそ、本当は不幸せであるやもしれぬともな」


「それは、……光王家の頂に立つお方の言葉とも思われません」


「許せ。これは余とそなたの二人だけの場での話だ。だが、外征の折、余は痛感した。血の純粋さを追い求めるあまり、別天地に閉じ籠ることになった我ら光王家は外の世界の者たちが持つ命の強さ、したたかさを失ってしまったのだとな。そなたも知っておろうが、迷宮から得られる魔石の力と余の持つ≪呼び名ケニング≫、そしてオルディン神の遺された加護である光魔法によって、外征自体はうまくいったかのように取り繕えておるが、その実、余が率いた軍自体の被害は深刻なものであったのだ。ノルディアス王国の軍自体の力や人材の質などは他国に大きく劣っていたように思われた。千年に迫る御世で、盤石なる統治体制と国内の太平が長く続いた影響もあったのであろうが、大陸最強国の呼び名は虚しく響くだけであったのが実情だったのだ。滞った水は濁り、腐る。血も同じだ。永永無窮とした時の流れが、光王家を、オルドを弱くしてしまったのだ。おぬしも大魔法院にて、王族と世に敬われておる者たちの目を覆いたくなる愚かさと無能さを目の当たりにしたのではないか?」


ヨランド・ゴディンは内心、大きな戸惑いを抱えながら、この問いには言葉が出なかった。

亡き友の娘エリエンの一件がなかったとしても、大魔法院で面倒を見た外王族の子弟たちの世間知らずさと傲慢さ、そして王族以外は人に非ずと言わんばかりの態度に、これが幼少の頃、おのれが憧れていた王族なのかと複雑な思いを抱いていた。


だが、よりにもよって、その王族を否定するような言葉が、その血族の長たる光王の口から聞かれようとは露ほども思っていなかったのである。


「ふふ、答えずとも好い。答えはその顔に現れている。ヨランド・ゴディンよ、光王とは真に孤独な存在だ。今の王族は、所詮、オルディン神より光王家が賜った力、≪呼び名ケニング≫を継承するための器の言わば、予備にすぎん。宮廷にはその事実を理解もできずに、王の座に恋焦がれ、内心では余の死を待つ者ばかりだ」


「なんとお答えしたものか……」


光王は、普段胸の内に秘めていた何かを幾ばくかは吐き出せたのか、少し険の取れた顔つきになっていた。


「……すこししゃべりすぎたようだな。そろそろ、お前をこの王城に召し出したことの本題に入るとしよう。ヨランド・ゴディン、我がノルディアスの現状を、お前は軍棋ぐんぎに例えたが、それはやはり≪呼び名ケニング≫が何たるかも知らぬ者の浅ましき発想だ。だが、この宮廷の者たちよりも深い洞察を持っていることは窺えた。あの闇の脅威に、まるで歯が立たぬ者たちを各地に派遣したところで討つ事などはかなわないというお前の考えは至極納得のいくものであったが、ではそのあといかにすべきか、お前はその答えを持っておるか」


ヨランド・ゴディンは光王の問いに沈黙した。

これが、彼をして、死を覚悟させた理由であり、その沈黙こそが答えであった。


ショウゾウと相まみえたオルディン大神殿には、用意周到ともいえる≪秘文字ルーン≫による戦うための準備がなされていた。

その≪秘文字ルーン≫は、王族の出である母親らから教えられた秘伝であり、その家の与えられた役割から偶然、息子であるヨランド・ゴディンへと受け継がれたものであったのだが、それは血なまぐさい闘争などと長く無縁となっていた光王家にあっては今やだれも見向きしなくなった黴臭い知識と技術であったのだ。


例の王族への傷害事件で空振りになるところであったのだが、エリエンを罠の餌とし、ショウゾウをオルディン大神殿内の敷地内におびき出す当初の計画により、≪秘文字ルーン≫を用いた巨大魔法陣の用意が為されていたおかげで、あの場は互角と思われる戦いを演じることができた。


だが、あれが素の状態であったならば、自分では今のショウゾウを討つことは不可能であると身をもって理解している。


自分に倒せぬ相手であれば、他の何者がそれを成し遂げることができようか。


大魔法院の長にして、その筆頭たる≪大師≫としてのそうした自負もあり、口をつぐむほかは無かったのである。


「怪老ショウゾウは、余、自らの手で討つ」


一瞬、光王が何を言ったのか、ヨランド・ゴディンは理解することができなかった。


「そ、それは恐れながら、無謀かと……。光王様は、唯一無二にして、掛け替えのない身。御自ら、ショウゾウを討つなど……」


「世に最強の魔法使いであると呼び声高き其方が討てぬとあれば、他に手は無かろう。それに、余はかけがえのない身ではないぞ。余が死ねば、わが身に宿りし、神の力は、オルドの血を持つ者でもっとも相応しい次なる器へと移るのみだ。現光王が、自ら後継者を選び、渡すのが通例なれど、不測の事態にもそれが絶えぬようにそうした働きが備わっているのだ。次なる器が壊れれば、また更に次なる器へ。わかるか、ヨランド・ゴディン。これは、戦などではない。あの怪老は、偉大なる≪呼び名ケニング≫の力を宿すものと延々と戦い続けなければならんのだ。栄光なるオルドの血が絶えるその日までな」


光王は玉座から立ち上がり、全身から凄まじい≪光気≫を漂わせ始めた。

そして、人で在る身のおのれの本能を震わせていたのは、この神の力であったのだと悟った。


それは、ヨランド・ゴディンをして未知の力であり、畏怖させるに余りある圧倒的な気の迸りであった。


「こ、これが神の力……≪呼び名ケニング≫……」


「ヨランド・ゴディンよ、汝に命ず。これよりは余の傍に侍り、余のためにその命を捧げよ。拒むことは許さん。その身に流れる血の半分は我がオルドのものなのだからな。余とそなたの二人で、このノルディアスに災いをもたらす闇を打ち払うのだ」


光を纏い、おのれを見下ろすその立ち姿は、隻眼でこそないものの、まさにオルディン神の現身の様に映った。


「……御意」


この求めを誰が拒むことができようか。

ヨランド・ゴディンは、首をたれ、観念してそう答えた。




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