第152話 ショウゾウの望み

水浸しになっていた地下牢から、階段を上って、司王院の一階に出ると、そこには多くの死体が転がる惨状が広がっていた。


同様に地下から上がってきた囚人たちもまだ何人かそこにいて、戸惑った様子であったが、ショウゾウの姿を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。


「おい、爺さん。この有様ありさまは一体なんだ? 光王こうおう様の恩赦が下されたのではなかったのか?」


「光王? そんなこと、儂は言ったかな? 騒ぎが大きくなった方が、都合が善い故、すべての牢を解放したまでのこと。文句があるなら、大人しく牢に戻るがよかろう」


「くっ、それじゃあ、この看守たちを殺ったのは、誰だ。爺さん、あんたが一人で殺ったっていうのか? 」


「そうだ。お前たちも同じようになりたくなくば、そこをどけ。オルディン大神殿で起こっておる騒ぎで、そちらに人が集まっている今が好機なのだ。邪魔をするならば、斬るぞ」


ショウゾウは、衛兵から奪って使っていた血濡れの長剣の切っ先を囚人たちにこれ見よがしに突き付けた。


通常であれば、このような後期高齢者に剣を向けられたとて、少しもひるまぬような札付きの悪である囚人たちではあったが、ショウゾウの鋭い眼光に怯んだのか、それともその身から漂わせる得体のしれない気配と迫力にてられたのか、いずれにせよ、あとずさりし、二人に道を空けた。



五十人ほどはいたであろう、脱獄囚たちは戸惑いながらも、天の助けとばかりにそれぞれ逃げ去っていき、ショウゾウたちもそれに紛れて、司王院の敷地の外に出た。


二人は、そのまま小雨降る通りをしばらく進み、路地裏に入った。


「ショウゾウさん、これからどうするつもりなのですか? 追っ手もすぐにやって来てしまいますし、王都から出るなんて無理ですよ。すぐに捕まってしまいます」


「エリエン、大丈夫だから儂に任せておけ。……おい、ナクアよ。聞こえるか? ここならば、≪秘文字ルーン≫は無かろう。≪魔洞穴マデュラ≫を開けてくれ」


ショウゾウの呼びかけに応じて、ナクアが、目の前の空間にぽっかりとした大穴を出現させた。

そして、そこから飛び出して、ショウゾウの肩にすばやく乗った。


驚いたエリエンが、目を丸くし、再び何かを言おうとしたが、ショウゾウは人差し指を唇の前に立てて、それを遮り、急いで≪魔洞穴マデュラ≫の中に入るように指図さしずした。

あの大魔法院での突然の別れから、ショウゾウの周辺では、おおよそ常人では思いもつかぬほどの様々な変化があった。

このナクアについてもそうであろうし、エリエンにしてみれば、多くの疑問で頭がいっぱいになっていても当然のことであろう。


その疑問のひとつひとつに対して、丁寧に答えてやりたかったが、まずはエリエンを無事に王都から脱出させることが優先事項だった。


魔洞穴マデュラ≫から、この現世の裏の世界とも言うべき≪虚界ヴォダス≫に逃げ込みさえすれば、まずは一安心であり、再会を喜んだり、質問に答えたりするのはそのあとでもよかろうとショウゾウは考えていたのだった。



虚界ヴォダス≫に初めて足を踏み入れたエリエンは、そのあまりにも不思議な世界の有り様に戸惑い、そして言葉を失ってしまったかのようだった。


全面が黒に塗りつぶされた世界に、線で描かれただけの王都の街並み。


その線で表現された建物や路地裏に置かれた木箱や材木を手で触れようとしても透過してしまい、手で触れている感触もない。


地面も線で描かれているだけで足裏に、その大地を感じることは無い。


「空っぽ……。≪魔力マナ≫も、物質も何もない……。空っぽの世界……」


エリエンはそう呟いたかと思うと、先ほどまでの張りつめた顔はどこへやら、無邪気な少女のような笑顔を浮かべて、こちらを見た。


「そうだ。ここは、虚界ヴォダスという創りかけの不完全な世界だ。この世界には、魔人と呼ばれる闇の眷属たちと、そこにいるナクアしか出入りすることはできないらしい。だから、ここまでくれば、もう安全だ」


虚界ヴォダス……。ショウゾウさんは、どうやってこの世界を知ったのですか? こんなすごい発見。国中の魔法使いや学者たちが、その存在を知ったらきっと大騒ぎになるでしょうね。私も、つい童心に返ってしまうくらいに驚きました」


「どうやってと言われても困るな。儂も実際のところは何もわかっておらん。わからぬままに、周囲の状況に振り回されて、今日にいたるという感じだ。あの日、大魔法院でお前を置いて行ってから、随分とお前たちには迷惑をかけた。本当にすまんかったのう……」


「いいえ、私はそれほど酷い目には遭っていませんよ。大師様にはとてもやさしくしていただいてましたし、先ほどまでいた独房でも、なぜか待遇は他の囚人よりもかなり良かったですし、外の空気を吸ったり、運動したりする時間まで与えられていたんですよ」


「そうか。お前が怪我をさせたという王族に後日、性の奴隷として引き渡す話になっていたようであったから、そのおかげであろうな」


「えっ! それは本当の話ですか?」


「ああ、捕らえて尋問した騎士がそう言っておったから、まず間違いは無かろう。その王族はかなりお前にご執心だったようでな、司王府の役人と裏取引していたらしい。だが、その王族もおそらくはもうこの世にはおるまい。あのオルディン神殿の宿坊に寝泊まりしていた王族は、儂が一人残らず殺してしまったからな」


「殺した……? 」


「ああ、そうだ。大魔法院にいたお前も知っているかもしれんが、あの王族たちは儂を捕まえ、殺すための訓練をするためにあの宿坊に滞在しておった。エリエン、お前を救出するために司王府から警備の目をそらさせる目的でひと暴れしたのだが、目的はそれだけではない。儂は、将来において脅威になりうるであろう者たちを先手を打って始末しておきたかったのだ。修練を積み、力をつけるその前にな……」


「あの宿坊にいた王族は、多くがまだ子供でした。ショウゾウさんは、その彼らを皆殺しにしたというのですか?」


「そういうことになるな。一人一人がどのような者たちであったかは、その姿を見てはおらん。だが、確かに感じられた命の手触りとでも言うべきものは確かに、若く、生命力にあふれた者が多く感じられたのは確かだ」


「そんな……」


エリエンの整った美しい顔が青ざめ、血の気を失っているのが見て取れた。


「幻滅したであろう? これが儂の本性だ。お前が儂をどのように思っていたのかはわからぬが、儂は己の目的のために人の命を奪うことをためらわぬたぐいの人間だ。自らが生き延びるため、そしてレイザーやエリック、そしてお前を助け出すために、その何十倍もの人の命をあやめた。だが、そのことに少しの後悔も罪悪感も感じていない。これは、お前たちと冒険者をしていた時からまったく変わっていない。いや、もっと以前からか。これは儂の……生まれ持ったさがなのだ」


完全なる静寂が、黒背景と複数の線からなる世界に訪れた。


この世界特有の現象であるのだが、表の世界での感覚が薄れてきたのだろう。

エリエンの体が少しずつ、地面を表す線から離れ、浮かび始めた。

この世界では未だ上下左右という概念も朧だ。


少し訓練すれば移動も割と自在となるが、その原理が分からなければ自分の意思に反し、今いる場所から少しずつ離れて行ってしまう。


「儂とても、これほどまでに無駄に多くの人をあやめたかったわけではない。このような状況になるのは正直、望んではいなかったのだ。だが、意図せずして、そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。儂を、このイルヴァースに災いをもたらす闇の元凶と決めつけ、一方的に排除しようとしてきたのは、光王家、いや、光王家に支配された世界全体であったのだ。冒険者としての儂は、もはや社会的に抹殺されてしまったに等しい。怪老ショウゾウなどという不本意なレッテルを張られ、もはやまともな人生など送るべくもない。なあ、エリエン。社会から疎外された人間は、幸せを求めてはいかんのだろうか。強大な権力に、その存在を許されなかった人間は生きたいと望んではならないのだろうか。儂は生きたい。生きていたい。何者にも脅かされずに、日の光の下を堂々とな……。そのことが許されない社会であれば、自らの手で、その居場所を作るしかない。今の儂は、そのために動いておる。儂を拒絶した世界の仕組みそのものを破壊し、その上に理想の世界を築く。それを妨げようとする者はすべて排除し、屍の山を築くことにも躊躇いは無い。これが儂という人間の本性であり、歩もうとしている道なのだ。その数多の人間の血でぬかるんだ修羅の道にお前を連れて行くわけにはいかん。だから、幻滅されてしまうことを覚悟ですべてを打ち明けた。儂はお前を、どこかこの国の外にある平和な土地に送り出してやるつもりでいる。そこで、家族でも作り、ごく普通の、人としての幸せを見つけるがいい。それが儂の望みだ」


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