第147話 立ち塞がりし者

分厚く黒い不気味な雨雲が空をすっぽりと覆い、そこから降りしきる雨がまるで王都に垂れこめた闇のカーテンのように見える。


地上を打ちつける雨音が静寂を掻き消し、あたかも万雷の拍手のようにショウゾウの耳には聞こえていた。


宿坊の屋根の上から半径15メートルの球状に及ぼされたスキル≪オールドマン≫の≪広範囲吸精ジェノサイド≫の効果は、その範囲内の数十人の精気を吸い上げ、それをショウゾウのもとに送り込んでくる。


吸収しているのが、オルドの血を濃く受け継ぐ王族たちだからであろうか、それとも他の要因があるのだろうか。


これまで奪ってきた精気のいずれとも違う、独特の滋味深さのようなものがあり、その上、命の手触りとでもいうべきであろうか、流れ込んでくるエナジーの波長とそれを身の内に取り込んだ際の感覚がとても特徴的であった。


雨の冷たさにも関わらず体が火照るほどに活力が漲り、濃密で力強い膨大な精気が身の内に満ちていくのを感じる。


それと同時に脳内には、レベルアップを告げるファンファーレが幾度となく鳴り響き、拍手のような雨音とともに、何者かがショウゾウの魔の王としての更なる成長を祝福しているようであった。


心の中は、高揚感と万能感で溢れかえり、それを外に放つかのように、ショウゾウは両手を広げ、一筋の光も見えない天を仰いだ。



「……なんというおぞましき光景だ! それが、おぬしの力なのだな」


増幅する力がもたらしたある種の愉悦に浸っていたショウゾウだったが、その声のする方を見て、思わず表情を引き締めた。


その声の主とは、この大魔法院を統べる長にして、そこに所属する魔法使いの最高位である≪大師≫ヨランド・ゴディン、その人だった。


降りしきる雨の中、≪広範囲吸精ジェノサイド≫の効果範囲の少し先の宙に浮かび、厳粛な面持ちでこちらを見つめている。


雨はヨランド・ゴディンの体を避けて地上に落ちており、宙に浮くための≪浮遊ルーテ≫のほかに、何らかの水魔法も並列発動させているのだと見て取れた。


慎重なことだ。

この雨自体に何らかの効果があるのかもしれないと訝しんでいるのだろう。


「周囲にある目に見えぬ力場が、範囲内にいる者たちの≪魔力マナ≫を吸い上げ、それを己の力として加えているのか? エリエンの話では、魔法習得してわずか一年足らずという話であったが、その短期間でどのようにしてこれほどの術者になったのか、得心がいったわ」


ヨランド・ゴディンの考察は、厳密には異なる。

吸い上げられている≪魔力マナ≫はあくまでも≪精気≫のおまけにすぎない。


今の言動から察するにヨランド・ゴディンの目には、≪精気≫は見えていないようで、それに付随して移動する≪魔力マナ≫の動きのみを捉えて、その効果を推測しているようだ。


だが、敢えて、こちらからそのことを明かしてやる必要はない。


吸い集められる≪魔力マナ≫の動きを奴が観察していたとすると、半径15メートル球形の効果範囲はおそらくかなり把握されてしまっていることだろう。

そうなってくると、無防備に範囲内に入り込んでくるといった愚を冒すことは考えにくい。


「ヨランド・ゴディン。エリエンを守ってくれたことに関しては礼を言っておこう。できればこのような形で再会したくはなかった……」


「それは私とて同感だ。二度とお前のような怪物に出くわしたくはなかった。初めて相まみえた時、すでにお前は怪物であった。今にして思えば、あそこで討っておくのであったと後悔しておるよ。今、私の目に映っているのは以前とは別次元の怪物……。お前からはこの大魔法院に残っているすべての者の力を合わせても到底及ばぬほどの膨大な≪魔力マナ≫を感じる。私個人など及びもつかぬほどだ。ショウゾウ、それほどの力を得るのに、一体何人の魔法使いを犠牲にしてきた?」


「さあて……。数えてみたことは無いが、それは儂が望んでしたことではない。初めて、おぬしに相まみえた時、儂は純粋の魔法使いとしての研鑽を地道に積もうとしておったし、冒険者として真っ当に活動しておったのだ。その儂を、何の前触れもなく拒絶したのは光王家が作り上げたこの社会、そして世界の方だ。この身に宿る≪魔力マナ≫と素養の大半は、追手として迫りくる神殿騎士たちやこの場所で、儂を滅ぼすべく研鑽を積んでいたらしい王族たちから得たものだ。力への渇望から好んでしたわけではない」


「エリエン……。あれは不憫な娘よ。私の養女になってからもずっとお前のことを案じていた。お前にヨゼフの面影を感じ、まるで肉親のように慕っておったぞ。だが、エリエンがお前に感じた親しみは、おそらくお前が奪ったヨゼフの≪魔力マナ≫などによるものであろう。お前からは、わが親友、ヨゼフの名残を微かにだが今だ感じられるからな」


ヨゼフの≪魔力マナ≫の痕跡がある?

それはつまり今までに奪ってきた多くの命の痕跡もあるということなのか。

それとも魔法使いだけは特別なのであろうか。


「ヨゼフ殿は、病魔に侵され、激痛と死の恐怖に苦しんでいた。死の間際に立ち会ったのは確かに儂であり、彼の≪魔力マナ≫を得たのも事実であるが、その死に顔は安らかであった。この件に関しては、何ら恥じるようなことはしておらんと断言できる」


ショウゾウとヨランド・ゴディンの視線が交錯し、一瞬の沈黙が訪れた。


気が付くと雨の勢いが少し弱まり、霧雨となっていた。


「ヨランド・ゴディンよ。もうしばし、おぬしと語らっていたい気もするが、どうやらもう行かねばならぬようだ。儂は、籠に囚われた小鳥を迎えに行かねばならん。妨げる気であれば、おぬしを殺していかねばならんが、できればそれはしたくないと考えておる。この場はどうか退いてはもらえぬであろうか?」


「笑わせるな。眼前で、これほどの殺戮を繰り広げておいて、何を言う。お前に≪魔力マナ≫を吸われた王族たちからは、もう微塵も何も感じることができない。非魔法使いであっても微量ながら≪魔力マナ≫を有しておるものだが、それが無いということはすなわち死亡していることを意味する。まさに悪鬼のごとき所業だ」


「自分を殺そうとやって来る者たちを殺して、何が悪い? ヨランド・ゴディン、考え直せ。お前と大魔法院に所属する全魔法使いをまとめて、人材として引き受ける用意が儂にはある。光王家を見限り、儂に付け。命を無駄にするな」


「問答無用だ。私は、お前が、エリエンを取り戻すべく、この大魔法院にいずれやってくることはわかっていた。その私が、何の備えもないままこの場にのこのことやってきたと思うか? 今日、この時、死すべきは貴様だ!」


ヨランド・ゴディンが天に向かって、「カーッ!」と何やら気合のこもった一喝を放つと突如、魔法院全体の地面に、魔法契約の際に用いるものとは別の光る円形の魔法陣が浮かび上がった。


六芒星。


均等に配置された光、地、水、火、風、命のそれぞれの魔法属性を表す記号が線で結びつき、円の中でその図形を形作っている。


それと同時に、長く白い眉毛に隠されたヨランド・ゴディンの両目が光り、痩せて枯れ木のような体の周りに膨大な≪魔力マナ≫が集まりだした。


そして、それを合図としたかのように大魔法院の建物の方から複数の≪魔力マナ≫の反応がこちらに向かってきていることに気が付く。


その数は二十を超える。

大魔法院に所属している高弟たちであろうか。

どの≪魔力マナ≫もこれまで返り討ちにしてきた神殿騎士たちと遜色ない。


おそらく戦闘になれば、近くの司王院やオルディン大神殿の騎士詰め所などからも異変に気が付き、増援が殺到してくるに違いない。


ショウゾウは、屋根の上から、地上の様子を見た。


短時間で降った、行き場のない大量の雨水がまるでちょっとした浅瀬のように低い方、低い方へと流れていっている。


おそらく王都内の川や側溝は氾濫し、市街地にも相当の被害が出ていることであろう。


この宿坊があるオルディン大神殿の敷地よりもやや低い場所にある司王院などはここよりも集まった水が多く、エリエンが投獄されている地下牢にもかなり浸水しているであろうことが予想される。

司王院の建物は、一度にこれほどの雨量があることを想定した造りになっておらず、止水のための設備は無い。

一階に侵入した雨水は、そのまま地下の階段を通ってそのまま流れ込むはずだ。


ショウゾウは、≪蜘蛛≫に、司王院の地下牢に投獄されたことのある者を探し出させ、間取りとおおよその広さなどの情報を詳細に調べ上げた。

どのくらいの雨量で、雨水がエリエンのいる地下監獄に到達するのか計算するためだ。


その計算をもとに≪水魔≫アンジェルに、どのくらいの時間にどの程度の強さの雨を降らせるか細かく指示を出していた。


雨が弱まったのはもう十分な量の雨が降ったというアンジェルからの合図だ。


計算が正しければ、地下牢はひざ下ぐらいの水位になっていることだろう。

そうでなくても、幾ばくかの水は届いているはずだ。


何もない空間に水を創成するのには多くの≪魔力まりょく≫が必要だが、身近にある水を操るのであれば、それほどの負担はかからない。


水魔法を得意とするエリエンであれば、その大量の雨水を操って自分の身を守ることもできようし、本人がその気であれば牢獄から出ることも可能であると思われた。


だが、その想定は、万が一、自分が司王院にエリエンを迎えに行くことが叶わなくなった場合のものだ。


一人でも多くの敵を自分に引き付け、それを一網打尽にしたうえで迎えに行ければ、それが最上だ。


ヨランド・ゴディンに敗れ、行けなくなった場合でもなんとかエリエンが脱出できるくらいのきっかけぐらいは作ってやりたかった。


厳しい取り調べや長い軟禁生活で心が弱ってしまっている恐れもあるが、ここはあえてエリエンの生きたいという強い気持ちを期待したいところだった。


「まあ、無論のこと、こんな場所で息絶える気は毛頭ない。そっちがやる気であるならば、受けて立つまでのこと」


ショウゾウは、右手で小剣を抜くと左手の≪石魔せきまの杖≫とで、剣道における二刀の構え、「正二刀」や「逆二刀」とは異なる構えを取った。


それは不思議と二天一流で名をはせた伝説の剣豪の立ち姿にも似て、小剣の刃先と杖頭を前方に向け、ゆるりと脱力したような独特のものであった。








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