第140話 別天地と外界

王都ゼデルヘイムの王城を囲む広大な円形状の区画は、都市の内側に設けられたもう一つの城壁によって隔離され、光王家の血を引く者、すなわち王族だけが住むことが許された文字通りの別天地となっている。


王族に生まれた者のうち、次男以下の男子は、ノルディアス王国から海を渡って北に浮かぶオルデンセと呼ばれる島から伴侶を得て、それぞれ分家を名乗り、独立することが多い。

そうして生まれた光王の宗家以外の分家は数百を数え、時の光王の配偶者となる女子を輩出することを何よりの誉れとしている。


分家間の格の上下は、オルデンセ島から嫁いでくる女性の家の格に依存しており、その家格は、当主の宮廷内での地位や役職、その出世に大きく影響してくる本来の習わしであったのだが、当代の光王ヴィツェル十三世はその血の粛清を経て、己の意向を人事にも大いに反映させた。


光王家の長い歴史の中でヴィツェル十三世は、外征によりノルディアスの領土拡大及び文化収奪を成し遂げたほか、宮廷内部においてもまさしく変革者と呼ぶにふさわしい存在であったのだ。


オルデンセ島には光王家と祖先を同じにするオルドの民が、原初の色を濃く残した独自の生活様式を守り、暮らしている。


同じ神を信仰し、また同じ祖先をもつ両者は互いに良好な関係を維持しながら、こうした姻戚関係を深め続けてきたのだが、光王家にとってこれは近しい者の血が重なりすぎるのを防ぎつつ、オルドの純血を保つには欠かせぬことであった。

島の女性を王族の配偶者として迎える代わりに、大陸由来の特産物や財貨などの貢物がなされるのが古来よりの取り決めであった。




このようにゼデルヘイムに住む庶民から別天地と呼ばれる区画に閉じこもるようにして暮らす王族の多くにとって、都市を二つに隔てる内城壁の外側はほとんど未知の世界といっても過言ではない。


それゆえにノルディアス王国の政の中枢である宮廷でのが、別天地の王族やそれに準じる宮廷貴族たちを驚愕させることとなった。


怪老ショウゾウなる得体のしれない老人ただひとりを捕まえ、あるいは始末するという目的のためだけに、各家の王城の職務についていない十歳以上の全男子を、特別の事情が認められる場合を除いて動員するという前代未聞の決定がなされたのである。


動員によって集められた男子は、大魔法院に送られ、その身に宿る≪光の魔力≫の適正と魔法使いとしての素質を確認されたうえで、いくつかのカテゴリに分けられる。


そして、大魔法院の≪導師≫以上の魔法使いの引率を受けながら、ノルディアス王国各地に派遣されることになったのだ。


これは≪闇の魔力マナ≫を感知できる人材の不足を解消させるべくひねり出された苦肉の策であり、十分な成果が上げられるかどうかは全くの未知数であったのだが、ほかに打つ手はなく、重臣たちにしても己の身内を危険にさらす恐れのある苦渋の決断であった。


この動員令を聞かされた王族や宮廷貴族たちは、当然のことではあるが大反対し、王城を含む別天地では内乱とみなされかねないほどの大騒動となったが、光王の命である旨の勅書が掲示されると異論を唱える者はたちどころにいなくなった。


光王という存在とその身に宿る神の力の恐ろしさは、別天地に住む者たちにとっては迷信や言い伝えの類ではなく現実の恐怖であった。


ヴィツェル十三世の即位直後の血の粛清や逆鱗に触れ、命を落とした者の逸話などあげれば枚挙にいとまがない。


歴代の光王たちもまたそのオルディン神より授かった≪呼び名ケニング≫を用い、血と恐怖で王族たちを束ねてきたこともあり、王族たちにとっては、光王への畏れは本能をも脅かし、もはやその意識の根底に染みついていると言っても過言ではなかったのだ。



大将軍の誉れ高きデルロスもまた二人の息子と光魔法の適正に優れた選りすぐりの武官を十二名引き連れ、自らも王都の外に赴くことになった。

これは他の王族の不満や動揺を抑えるために自ら志願したものでもあり、国の防備など大将軍としての職務は、周辺諸外国の動静が今は静かなこともあって、光王の許しを得た上で、腹心の将軍に代行させることにした。


大陸最強国であるノルディアス王国にとって脅威となる外敵は今のところ存在していない。

むしろ、祖国にとって最大の脅威と目されている怪老ショウゾウをこそうち滅ぼすのが大将軍たる己の使命であると考えたのだ。

デルロスは、怪老ショウゾウを討ち果たすまでは戻らない覚悟であった。


「父上……、やはり僕も行かなければならないのでしょうか」


ゼデルヘイムの庶民が住むエリアに出る内城門の前で、父であるデルロスに次子アーミンが不安げな顔で訪ねてきた。

アーミンはここに来るまでに何度も外界そとかい行きに難色を示しており、再びその不安の虫が顔をもたげたようであった。


アーミンは今年十歳になったばかり。

外界に赴くのは生まれて初めてのことなので、無理もない。


「なんだ、お前、外界に行くのがそんなに怖いのか? 偉大なる父上の同じ血を引く兄弟とは思えない臆病さだな。俺なんか、外界に行くのは二年ぶりで、今から楽しみで仕方ないけどな……」


そう言ってアーミンの頭の猫っ毛をくしゃくしゃにしたのは兄であり、デルロスの家を継ぐ長子であるジョルジュだ。

アーミンよりも歳は六つ上。

部門を誉とするデルロスが武芸はもちろんのこと、光魔法の基本的な扱いは習得させている。


「はっはっ、ジョルジュ。お前、自分が初めて外界に出た時のことを忘れたのか? アーミン同様に行きたくないと母親にしがみついて離れなかったではないか」


そんな兄弟のやり取りをデルロスは声を上げて笑った。


デルロスはかつて自分が外征の軍を率いていた時の経験上、自分の子供たちにできるだけ外界の実情を目の当たりにさせ、この世の現実を間違って捉えぬように育てたいと考えていた。


それゆえに、自らの任務の傍ら長子ジョルジュはできるだけ連れて歩くことにしていたのだが、そのおかげもあって、ほかの家の子弟よりは外界に慣れていた。


「父上、それは言わない約束です。私にも兄としての威厳というものが……」


「そうだな。だが、自分がかつてそうであったことを忘れてはならんぞ。兄として、弟の気持ちを察してやるのだ。相手の気持ちを知り、それに応じた行動をとれるようになることはとても大事なことだ。お前がやがて継ぐことになる家業もそうだが、武芸においても、宮廷での諸事についても、これが万事をうまくやる秘訣なのだからな」


「はい、父上、心に留めておきます」


デルロスはそう返事をした長男とそれを真似して復唱して見せた次男を頼もしげに眺め、二人に城門の先へ行くように背を押し、促した。


そして、その時に気が付いたのである。


いまだ正体のわからぬ怪人……ショウゾウと相まみえることを楽しみに思う一方で、あの光王さえも動じさせているその闇の脅威に臆する自分の心の弱さを。


ほかの王族たちを納得させるという意味では、二人の息子を連れて行かねばならないのは仕方のないことであったが、宮廷において第二位の地位にある自分であれば、今回の危険な外界行きを避ける手立てはいくらでもあったし、特例で息子たちを同行させないことも批判は浴びるであろうが、できたはずだった。


しかし、こうしてジョルジュたちを連れていくことにし、そして実際に救われたのは己の心ではないのか。


子を守る父親の立場であることで、任務の困難さとこれから立ちはだかるであろう闇から目をそらそうとしているのではないかという自分への疑念が、デルロスの脳裏に浮かんでしまった。


厳重警戒の王都から脱出し、オルディン神殿の手練れの神殿騎士たちを虐殺した闇の怪老ショウゾウ……。


実戦からは遠のき、思った以上に年月を重ねてしまった今の自分で、はたして今回の怪老討伐を成し遂げることが叶うのだろうかと考えてしまったとたんに足がすくみ前に出なくなってしまった。


その様子を怪訝に思ったのか、息子たちが振り返り、こちらを見ていた。

頼もしい子飼いの武官たちもまた普段とは違うデルロスの様子に戸惑っているようであった。


「ああ、すまない。何でもないんだ。ふとなにか忘れ物がないか気になってな。さあ、行こう。父とともに、悪者退治だ」


デルロスは息子たちの姿に励まされ、再び歩み始めた。

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