第134話 濁流

最初は微かな振動であったのが、時間の経過とともにまるで人間の鼓動のような間隔で、迷宮全体が大きく揺れ始めた。


いよいよ迷宮の消滅に至る変化が起き始めたのだ。


地底湖の湖面が大きく波打ち、その水位が徐々に上がり始めた。

陸地であった部分が徐々に少なくなり、すぐ足元まで水たまりになってしまう。


「これは、いかんぞ……」


ショウゾウは、慌ててボスモンスターの部屋を出たが、そこの地面も、もはや半ば水没しかけていた。

深い水たまりの中には、水棲の魔物が溢れ、かなり過密な状態になっており、このまま水位が上がったならば、それらが一気に溢れ出しそうなほどだった。


ショウゾウは駆け出し、レイザーたちが待つ≪休息所≫に急いだ。


途中、地元の冒険者たちは魔物に襲われ、阿鼻叫喚の様相を呈していたが、これまでの迷宮でもそうだったように、ショウゾウに向かってくる魔物は一匹たりともいなかった。

大量に発生した毒蛙や鬼紋大蛙フロッガーなどが地面を覆い尽くし地上を目指してはいたが、ショウゾウが近づくと、どの魔物も途端に大人しくなり、襲ってくるどころか、その進路を妨げるまいと道を空けてくれた。


「おい、レイザー、エリック、急いでこの迷宮を出るぞ」


≪休憩所≫の扉に入るなり、そう言って声をかけると二人は広げていた食器などを急いで片付け、ショウゾウのもとに集まって来た。


「ショウゾウさん、無事だったんですね。ボスモンスターはどうでした?」


「ああ、なんとか倒せたわい。そんなことより、この迷宮は直に水没する可能性がある。見ろ、扉の隙間から水が漏れてきておるだろう? 急げ!」


ショウゾウは、詳しい話はあとだとばかりに二人の背を押し、避難を促した。




魔物たちはショウゾウの意を解しているのか、それとも何か別の力が働いているのか、レイザーやエリックにも牙を剥くようなことはなかった。

もっとも、それはショウゾウが見ている場合のみに限定されているのかは確かめる術も無いのだが、地上に溢れ出した迷宮の魔物たちは一様に大人しく、まるで王者の行進を平伏して見守る民たちのような従順さでその行く手を遮るものは一匹とていなかった。


ショウゾウたちは迷宮の入り口が見える離れた丘のような場所まで避難したのだが、そこでこの世のものとは思えぬような光景を目の当たりにすることになった。


F級ダンジョン≪悪神のうれい≫の入り口がある岩壁の盛り上がった小山のようになっている地形が突如爆発し、大量の水が吹き上げたのだ。

水は天にも届きそうなほどの高さまで打ち上がったが、その勢いはとどまることを知らず、迷宮の出入口があった辺りはあっという間に水没して濁流となっていた。


その濁流はやがて川となり、魔物たちを押し流しつつ、近くのゴバエ湖に流れ込み始めたのだ。


明け方のゴバエ湖に浮かぶいくつかの漁民の船は、この流入してきた濁流の影響なのか、それとも迷宮から溢れ出した魔物たちによるものなのか、次々と転覆し、水底に沈んでいく。


「おい、俺たちももっと高台に逃げよう。とんでもない水の量だ」


レイザーに促され、そこからさらに山の方に向かって登っていくと、増えた水が周辺の地形を破壊する様子が一望できた。


湖に入りきらなかった水は、木々をなぎ倒し、山間を進んで、新たな川のようになっていた。

この迷宮からの出水いでみずがいつ枯れるのかはわからないが、もう現時点でもバッソンビエン男爵領への影響は計り知れないことが分かる。

ゴバエ湖での漁業は、濁水と魔物が入り込んだことによる影響を免れ得ないであろうし、平野が少ないこの土地においては、この濁流により農地が壊滅的な被害を受けるであろうことは明らかであった。


迷宮が消失し、その資源に頼ることもできなくなった場合、これらの地域経済への打撃をどう乗り越えるつもりであるのか。


この土地の領主であるバッソンビエン男爵が思いがけず直面することになった受難を想像し、その原因を作り出してしまったショウゾウではあったが思わず同情したくなってしまった。


各地の迷宮を消失させるということは、このようにノルディアス王国の現状を、まさしく濁流の中に水没させるような行いであり、ショウゾウとしてはこのような手段を決して好んで行っているわけではなかった。


自らが手中に納めようと思っているぎょくを、自ら損ねたいと思う者などいるはずがない。


ショウゾウにしてみれば、冒険者としての成功を足掛かりにして、いずれ権力の中枢に入り込み、君主や領主などの統治者ではなく、それらを裏で支配するフィクサー的な存在として長く君臨することを目標に掲げていたのだ。


あの日、王都の大魔法院の≪大師≫ヨランド・ゴディンから警告の言葉を受け取ってから、すべてが変わってしまった。

意図せずして、≪光≫に属するという者たちに目の敵にされ、国中に手配書が回るなど、ショウゾウとしての自分は社会的に完全に抹殺されてしまったのだ。


未だに何の理由で追われることになったのか、向こう側の事情は漠として知れない。

この眼下にある濁流の中の折れた木々の残骸のように、ただ突然に巻き込まれ、いずこかに運ばれていく途上なのだ。






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