第131話 殺人者の境界
なぜ、人を殺してはいけないのか。
このような質問を口にしたならば、おそらくどのような社会にあっても、白い目で見られたり、頭のおかしい危険人物であると見做されてしまうことだろう。
人間が、人間を殺してはならない理由自体は簡単だ。
それは、その社会を支配する権威ある存在が、「殺人をしてはいけない」と決めたからだ。
法律や刑罰、時に道徳や宗教を用いて、そういった社会通念が行きわたる環境を醸成しているのだ。
本来、人間は人間を殺しても構わない。
戦争や死刑などで人間を殺すことは許容されているし、殺人を行った人間に神は天罰を下したりはしない。
歴史を紐解けば、人類の歴史は殺人の歴史だ。
敵対者を殺すことで、相手の持つ全てを己がものにするという行為を営々と続けてきたのだ。
殺し、殺され、そうして最後に生き残った者が栄華の極みに到達した時に、自らの支配を持続的かつ確実なものにするために言うのである。
「人を殺してはいけない」と。
人間は、己の生存と繁栄を実現するために殺人を行う生き物なのだ。
だが、そうした社会通念であるとか、道徳心だのを植え付けられた普通の人間は、この真実を頑なに否定する。
だが、そうした考えに憑りつかれた人間はあまりに無防備であり、自らを殺そうと襲い掛かってくる相手に対してでさえ、どうしても
ショウゾウがエリックに対して止めを刺すように迫ったのは、殺人者と非殺人者の境界を越えさせるためであった。
これから先は、≪光≫の者たちとの激しい殺し合いになる。
自分たちを殺そうと襲ってくる相手に、エリックのような考えを持っていては命がいくつあっても足りないし、パーティ全体を危険に晒してしまう可能性もあった。
自らの手を汚すことができないようであれば、連れて行くべきではない。
そう考えてのことであったのだ。
ショウゾウはエリックの善良さと素朴さを好ましく思っていた。
ゆえに、エリックが血の通過儀礼を経て、自分と同じ側の人間になったことを頼もしく思う反面、修羅の道に引き込んでしまったことへの申し訳なさのようなものも感じずにはいられなかった。
ショウゾウたちは、因縁をつけてきた地元の冒険者たちの死体をそのまま捨て置き、F級ダンジョン≪悪神の
レイザーの気配察知を頼りにできるだけ、冒険者との遭遇を避け、≪休息所≫には立ち寄らず、一気にボスモンスターのいる地下三階を目指した。
この迷宮の特徴は、これまでの迷宮と異なり、両棲、または水棲の魔物も存在していることだった。
各フロアはそれほど広くなく縦型の構造で、地下一階は、小鬼や
淡水の深く大きな水たまりのようなものが、天然の岩場からなる道の先々で広がり、その水中には古代魚を思わせる厳つい外見をした魚型の魔物たちが泳いでいた。
遠目に見て、投網や銛などを使って狩りを行っている冒険者たちが散見されたが、そちらには近寄らず足早に去ることにした。
レイザーによればこれらの水棲の魔物は、水際に近づいたりしなければそれほど危険ではなく、そのドロップアイテムを得る目的が無いのであれば無視した方が得策であろうということだった。
とはいえ、先に進むほどに岩でできた足場は狭くなっていき、魔物たちの中には水を吹きかけて水中に落とそうとするものもいたので、ショウゾウの魔法で時折、対抗せざるを得なかった。
この迷宮は、レイザーも未攻略のものだったので、予備情報も無く、こうした水中の敵に適した武器や道具も用意してこなかったので意外と手こずらされることになった。
水中と陸を自由に行き来する
実戦の経験を少しでも多く積ませる狙いがあり、エリックもまたショウゾウの意図するところに気付いてか積極的に前衛に立った。
大盾と重装備で敵の攻撃を受け止めることを重視するスタイルのエリックにとって、剣は敵を牽制するためのものであって、攻撃の手段としてはあまり有効に使えていなかった。
そうした様子を見て、いずれエリックにはちゃんとした剣の師をつけてやりたいものだとショウゾウは内心で思った。
ショウゾウの剣術は、元の世界で身に着けていた剣道に自分なりの創意工夫を加えた我流である。
剣道の小太刀は本来、それだけで戦うことは無いため、その扱い方や理合をそのまま小剣に流用することができず、しかも杖と併用する場合は二刀流の特殊な立ち回りをしなければならない。
両手技が基本の剣道とは親和性が低く、その技術の大部分を生かし切れていないというのが実情であったのだ。
杖と共に使う時は、相手の攻撃を受け流すことで相手の動きを封じることに主眼を置き、剣のみで扱う時は、片手技、両手技を相手によって使い分けるなどして工夫をしてはいるものの、剣と刀の差異もあって、剣士として自分は三流以下というのがショウゾウの自らへの評価であった。
それゆえに、エリックから剣について聞かれても差し障りのない助言しか与えぬようにしていたのである。
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